都をどりや温習会が終わってからの楽しみにひとつが遠出です。舞台の2,3か月前からお稽古で時間的にも気持ち的にもなかなか余裕がなく、どうしても気分の晴れない日々がつづいてしまいます。でも舞台が終わればごほうびが待っている!と思えば、どうにかがんばれるもの。15,6歳からのお客様の中には、親元を離れた舞妓さんたちにとって父のような存在なってくださる方も多く、そんな私たちを暖かく応援してくれたり、はげましたりしてくださいました。
「をどりが終わったら、今度できた大坂の高いビルに連れっててあげるから、がんばりや」と励みになる楽しい提案をしてくださって、お座敷にいる芸舞妓さんの日にちを合せて遠足の日取りを決めるのです。中学をでてすぐに祇園にきた私たちにとって、京都にないきらびやかは夜景も新世界の串カツも珍しくって芸妓さんも舞妓さんもおおはしゃぎ。京都を離れて、羽根がのばして・・・帰るころに「次は温習会やなぁ、舞台楽しみにしてるで。ほな次は鶴橋にみんなでいこな」「やったぁ~!」・・・他愛のないものです(笑)。花街・・・と聞くと艶めかしいイメージがあるかもしれませんが、私の中ではちょっと違っていておっきな家族のようなところでした。その中で密かに「お父さんズ」と慕っていたお客様方は、実際実の父より話す機会も多く、十五歳からの私の成長を見守ってくれていました。
お稽古の悩みも、人間関係も、その他もろもろご相談したり、またされたり。特に私は色気のあるタイプではなかったせいもあるのでしょうが・・・(苦笑)。今でも、お父さんズは、たまにこのブログを見てくださっていて、気にかけてくださっているとお茶屋さんのお母さんから教えてもらいます。そのたびに、心の奥がぽっと暖かくなって、心配かけないようにがんばろう、と思えるのです。もちろん、お母さんズ、お姉さんズはもっといらっしゃいますが、その話はまたの機会に。
私にとって四月三十日は二十年間特別な日でした。さきほど、カレンダーをみて、あぁ千穐楽の日なんやなぁと京都の四月の日々を思い出しておりました。仕込みさんにきてから祇園にお世話になっている間、この日を迎えるまで春の喜びなど感じることもなく(苦笑)。とにかく無事にこの日を迎えるのが毎年の一番の目標。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。都をどりはそれほど、特別で大切な舞台でした。二月から始まるお稽古から、寝坊しないか、舞を覚えられるか、怪我も風邪もなにがあっても四月三十日までは舞台に出なくては。一応私は本番にお休みをしたことはありませんでしたが、舞台稽古中にインフルエンザを第一号で発症したことが・・・・
一堂に会してのお稽古なので、翌日からバタバタと発症者がでて本番ギリギリまでお休みのひとがいたときには、もう申し訳なくて。翌年からは健康に過信することなく、嫌いな予防接種も都をどりを逆算して打ってのぞむようになりました(あまり早く打つと四月まで効力がないらしく)。一日四回の舞台で、役は毎日日替わり。総をどりと言われる群舞、お役つき、お囃子、お茶と毎日とかわります。役によって楽屋入りの時間も、準備も違うので油断ができません!!夜はお座敷もあるので、つい飲みすぎてしまうことも・・・ひと月お休みのないこの一か月のおかげで、いまどんなに忙しくても、なんとか乗り越えられるような気がします。
本当は今月にもっと都ををどりのことを書くつもりでしたが、バタバタしていて結局四月三十日。
時季外れですが今から少しずつ書くつもりです!!
都をどりで書画の展示コーナーを見てくださったことはありますでしょうか?
祇園の女紅場学園には書画科があります。今日は日本画科のおはなし。日本画の教室では、日展の先生が来てくださって教えてくださいます。芸舞妓さんは絵を描くのが好きな子が多いように思うのですが、いかんせんみんな時間がないので生徒数はそんなに多くはありません。学校にはちゃんと岩絵の具も膠も、金泊もそろえてくれている有難いお稽古場。膠を電熱のヒーターでくつくつ煮ながらお座敷で目にする日本画はこんなに大変な工程を経て出来上がるのかと最初は驚いたものです。
黙々と描く時間は無になれる大切な時間でした。毎年都をどりには出品させていただく四月に向けて何を描くのか決めて・・・。いつも締めきりギリギリなので、今年こそは大丈夫!と早めに決めてもやっぱりギリギリ。お稽古の合間をぬっては教室に駆け込んで書き進めいくのですが・・・素人なりにみなさんこだわりの強いので最後の最後まで粘ります(笑)。私もその一人・・・先生にはご迷惑をたくさんをおかけました。今でも、もしいつか時間ができたら、日本画を描いてみたいなぁっ思います。岩絵の具の箱を見てるだけで幸せな気持ちになれますから。もっとたくさん描いておけばよかったな。
舞妓さんといえば「だらりの帯」。花見小路を歩く舞妓さんの背中に大きくゆれる美しい帯は、まるで夢の世界に迷い込んだような気持にさせてくれます。大きく染帯と織帯があり、6~7メートルもあり、下にはそれぞれの屋形の家紋が。これは一説によると昔はまだまだ幼い年の舞妓さんで、夜遅くになって迷子にならないためのものだったと聞いたことがあります。特にいまは屋形の件数も少ないので、後ろ姿でどのこの家の子か一目でわかるのです。染帯の時期になると、かぐや姫の
帯や、長刀鉾の帯、フルーツの柄など、楽しい帯も
多く見ていても楽しくなります!!この帯には、大きな帯枕がふたつも使われており、その重さと大きさだけできっとみなさん驚かれるはず。男衆さんの着付けでしっかり結んでいただかないと、体への負担は大変なものに。でもこの衣装、男衆さんはたったの5分で着つけてくださるのです。まさに神業!
半だらり、といいうのを皆さんはご存知でしょうか?これは約一年間の仕込みさんをへて、お師匠さんから店だしのお許しをいただいた子がデビューの約ひと月前から見習いにいく時の格好です。舞妓さんは、だらりの帯。でもまだ半人前の間は半分のだらり。初々しくて可愛い恰好ですよね!
見習いさんというのは、今でいうとインターンみたいなもので、決まったお茶屋さんに行儀見習いで預かってもらうのです。西村さんの子は一力さんへ。私も一力さんでたくさんのことを教えていただきました。
おしろいをするのも、髪を結うのも、裾をひくのも、お座敷に出てお客様や、よそのお姉さんとお話するのもはじめて。まだ16,7の女の子には心臓がはりさけそうな毎日・・・くたびれて帰っても寝るのは高枕。
おしろいは、もうとにかくひどくて、毎回笑われて。今の子は比較的みなさん上手ですが、当時は本当にみんなひどかった・・・(苦笑)。「なんえ、
おしろい壺から出てきたみたいやな」なぁんてことも言われて「おしろい壺ってなんどすか?」って聞いてまた笑われて。祇園小唄も裾がからまって上手に舞えなくて、そんなときは地方さんのお姉さんがすこしお三味線をゆっくりしてくださったり(笑)。失敗談は数えきれません。お座敷のどこが上座で、どこに気を配らねばならないのか・・・お酒の種類、タイミング、暗号のような言葉。「ハテナ?」の日々が続くのでした。
お着物のいいところ・・・それは何度でも生まれ変わってくれること。本当に気に入った一枚の着物大切にきて、何度も八卦をかえてみたり、最終的にはお座布団や炬燵布団になったり、最後まで楽しめる。いいものだなぁと思います。
この梅の小紋を購入したのは10年ほど前、ぽってりとした縮緬にグレーの濃淡で描かれた反物はひと目で気に入ったものでした。当時まだ20代(後半ですが)だったので八掛は呉服屋さんが地味になりすぎんように、とこの色の八卦を選んできてくれました。年に二か月ほどの出番の着物ですが、色目としては地味なようで華やかで着ていくと周りの方に喜んでいただける一枚は、春先には大活躍。洗いにも何度だしたのでどうしても縮んでしまい今回仕立て直しに出すことにしました。さて八掛選び!春めいた薄色をいろいろもってきましたが、思い切って地味目に。今度はじっくり帯で楽しめる着物になりそうです。来年の楽しみができちゃった(´艸`*)!
今日は息抜き投稿。
祇園甲部の女紅場学園の非常口案内です。ある日さりげなく非常口のマークが書き換えられていました(´艸`*)。
こんな遊び心ののあるひとが、女紅場にいたなんてー!!(←失礼・笑)ちっちゃく衝撃でした。
舞妓さんの学校にふさわしいこのマーク、丁寧なようで、まぁまぁいい加減なこのバランスが絶妙です。肩にはちゃんと縫い上げはあるし、翻る袖に緊急事態の緊張が走ります(笑)。
ところで国際規格として世界で見かける緑の非常口マークはなんと日本人がデザインしたものなんですって。たまにこんな風なパロディーをみつけてはにやけています(笑)。
ちなみに、弥栄会館のお手洗いの案内もかわいいので、この春おでかけの方はぜひチェックしてみてください!!
仕込みさんに入って、毎日毎日お母さんからいろんなことを教えていただく中で、最初の課題がお箸の上げ下ろしでした。屋形にはいって、用事を覚えるより先にまずは毎日のごはんですから。私は心強いことに同じ家にもう一人仕込みさんがいて同期として、まるで双子のように大きくなりました。私は握り箸で、彼女は左利き(笑)。毎回のごはんの時に、お母さんに丁寧に教えてもらうのですが、癖のものですからなかなか大変でした。そんなん気にしていたらご飯の味もわからへん。使えるならいいやん!って正直ちょっぴり思っていて(笑)。
でもその時にお母さんが、なぜ直さなくていけないのか諄々と説いてくださって。「舞妓さんに出たらな、お客様の前で一緒にごはんよばれんならんときもあるし、お取り分けせなあかんときもあんのえ。そのときにおかしなお箸を使い方してたら笑われてしまうやろ。そやさかいに今の間に直しとかんと。」・・・ああ、それは直しとかな・・・と子供心に納得。どうにかお店出しまでには間に合ったのでした。あとご飯を早く食べること、お風呂に早く入ることも、まず教育してもらいました。昔なら家や学校で当たり前に教育されていたことが、私たちと時代ぐらいから個性や、自由という言葉でなおざりにされ始めていて、屋形のお母さんは教えることが10倍、いや、もっと増えたのではないでしょうか。
「私、舞妓さんになる!!」と九州大分らからでてきたのは21年前の春。祇園には同期が6人いました。あまり多い年ではなかったのですが、なんと100%の生存率で翌年にはなんと6人とも舞妓さんデビューできた珍しい年。うちの同期はドライでベタベタ付き合うタイプではなく、とってもマイペースな仲間で、今も変わらず付き合っています。同期というのは友達ではなく、同志。学校のときのとは違う関係性が心地よくもありました。
3月の中学卒業後すぐにお世話になる屋形にはいり、住み込み生活がはじまるわけですが・・・着物もちゃんと着た事のない子たちを1年でお座敷に出られるようにするのは並大抵のことではなく、それはお姉さんもお母さんも、お師匠さんも根気のいることだったと思います。そして本人たちも。故郷も、育った環境もバラバラな私たち。預かってもらっている屋形のしきたりや、家風も大きく違う中でお互いを励ましあい、大きくなっていきました。
お世話になった「西村」さんでは、仕込みさんの当初は高下駄と半幅帯で。この下駄が嬉しくって!髪にはリボンのついたネットがお姉さんがお下がりで。着物も最初はお姉さんやお母さんが着せてくれますが、そのうちすぐ、一人で挑戦させられて・・・お稽古いく前に、見せにいって直してもらってちょっとずつ着られるようになる、そんな感じでした。ある意味ちゃんと着付けとして習っていないので、今でも自己流です。近年では着付け教室に行かないと着物は着られない風潮がありますが、ほんの100年前の普段着。難しく考えすぎのような気もします。もっと肩の力をぬいてお着物を着ていただけたら、着物文化が少しだけ広がるのに。手にもっている長細いものはお扇子入れ。仕込みさんのお稽古は、これだけを抱きかかえて門前のお稽古場に通うのでした。そうそう、一度6人のうち一人だけ100円のたまたま持っていたことがあって、お稽古帰りに缶ジュースを買ってビルの陰でみんなで飲んだことがありました。いっぱいのカケソバならに缶ジュース。これが帰ってから、こっぴどく怒られて・・・正直当時はなんでこんなことでここまで怒られるのかさっぱりわかりませんでしたが、今になれば有難い教えだったと思います。そして祇園町の情報網の速さに震えあがった事件でもありました。門前のお稽古場から家に帰るまでに、情報のほうが先に届く。それぐらい街全体が見守っているその、有難さと怖さを最初に知った甘露でほろ苦い、缶ジュースの思い出です(苦笑)。
銀座の真理福さん姉さんのところにかかっている私の大好きな絵。とっても懐かしく、あったかい気持ちになれる絵です。
いろんなお姉さんのことを思い出す一枚・・・今は私が左側のお姉さんじゃないといけないんだろうけど、この絵をみて自分を映すのは舞妓さんの姿。あったかい気持ちになる半面、私は最後までお姉さんになれていなかったんじゃないかなぁ・・・と反省する絵でもあります。
こうやって、姉妹筋ではないお姉さん方も着物や簪を直してくださって、それが恐縮しながらも嬉しいものでした。花街の中では、基本お母さんとお姉さんしかありませんが、本当に祇園の先輩みんながお姉さんでお母さん。先輩のお姉さん方はわりと個性的で(笑)、憧れと恐れを抱きながら育ちました。
よく、イジメとかあるんでしょ、と山村美沙サスペンス好きのお客様に聞かれていましたが(笑)、意外とないものでイジメはありません!好き嫌いがはっきりしているだけで陰湿なものではないのです。これをイジメといえばそうなのだけど・・・ちょっと違う。上下関係がしっかりしている、個人主義の世界。きつく言われいるとどこかで違うお姉さんが見ていてそっとフォローをしてくれる、なんとも言えないバランスのおっきな家族。そんなあったかいところでした。
祇園の路地の奥にひっそりのある和菓子屋さん。甘泉堂さんというお店なのですが、ここの羊羹は絶品です!!今なら栗蒸し羊羹、夏なら水ようかん。仕込みさんのときにこちらの水ようかんをよばれたときの衝撃。いくらでも食べられる品のいい甘さと舌ざわり。いつか一本食べてみたいっ!と思った私は、自前になって本当に挑戦しました。
ここのお店は味ももちろんですが、敷居の高さも値打ちがあります。無人の店先に立ち、ひたすら「すいません~」と呼びかけ続けないとお店の方が現れてはくれません。そして奥から・・・・とまぁ、あとはいってのお楽しみに。うちの母や呼びかける前に店先でかなり躊躇⁽笑)。買ったあとも「さすが京都・・・」としきに感心していました。羊羹の他にも、不思議な形の最中やお汁粉。バレンタインには予約制のハートの薯蕷饅頭なども。わりと遅い時間まで開いているので、お土産を買い忘れたときなどにも重宝なお店です。
祇園の隠れた名店のご紹介でした!!
2007年は貫一お宮。そう熱海の海岸を散歩する、悲恋のあの二人です。これを思いついたのは、お客様が歌うカラオケを聞いてでした。実際には詳しくお話も知らなくて・・・まぁでも、なんとなくダイヤモンドに目がくらんだお宮ちゃんと、今月今夜の名セリフでお客様世代にはおなじみかなぁと⁽笑)。歌舞伎の演目を選んでも、お客様の三分の一は演目自体を知らない方が増えてきたころでもありました。
そしてなにかほかの組と違うことがしたい私は、パロディーに当時オダギリジョーさんのCMのライフカードを選んだのでした。お客様が貫一お宮のENDを選べる・・・「お金」「勉強」「愛」三パターンのオチがあるというわけです。「お金」は浜田省吾さんの♪MONEY 「勉強」はなんだったけなぁ。「愛」は♪愛の讃歌を選曲して。二日間で約八十件まわるのですが、酔ってくるとお宮を蹴る足に手加減がきかなくなって・・・お化けが終わるころにはお宮ちゃんがアザだらけ(;゚Д゚)!
ごめんね、ごめんね~と蹴っては謝る、まるでDVな彼氏のような二日間だったのでした(苦笑)。
もぉもたろさん、ももたろさん♪
この年に選んだのは桃太郎でした。なぜこの曲を選んだのか・・・・それはコンビを組む彼女は絶対に桃太郎が似合うと思ったから(笑)!私の目に狂いはなく、凛々しい桃太郎姿に!!
ということで・・・私は犬に。雉と猿も揃わねば鬼退治どころかお座敷にもいけません。猿は東京のぬいぐみやさんで調達。雉は剥製というわけにもいかず、京都造形芸術大学さんの学生さんに協力していただきました。重たくなく、かわいく、おしゃれな雉を・・・という無理なお願いをテスト期間中の彼女たちは完璧に仕上げてくれました。発砲スチロールの雉!しかもネックレスなどの装飾のついた超ラブリーな雉に。鬼退治もテンションが上がるってものです。
私の「犬」問題も大変で。裏方さんに知恵をしぼっていただきました。まずは鬘。遊園地で見つけてきたおもちゃの耳を鬘に!お化粧も犬らしさを追及しながらも芸妓のかわいらしさをギリギリに残して(笑)!衣装は・・・どの袴が犬に見えるか、いっぱい並べて選ばせてくださいました。
そして当日には、なんと背中に「いぬ」のサプライズ!!いつも都をどりでお世話になっている最強のメンバーが、お化けも本気で遊んで考えてくださるという心強さ。このクォリティに支えられて、胸を張ってお座敷に行けるのです。確かこの時はパロディは平井堅さんのPOP STAR。真顔でJ-POPを踊る桃太郎と犬・・・シュールでしょ(笑)。
そして祇園では今日からお化け。妹たちが三人で初お化けをします。応援したくって新幹線に飛び乗って、この記事を書きながら京都へ向かっています。お化け魂(なんやそれ・笑)、引き継いでもらえたようで嬉しいです。
この演目は「猩々」と呼ばれるもの。お酒が大好きな妖怪・・・有名な演目で能にもありますし、井上流でもありますが、本来若輩には舞えない大切な演目なのです。ですがお化けは一応別物。
一年に一度違うお流儀の舞を習ってもよい行事なのでこの時とばかり選びました!この真っ赤な鬘と衣装を着てみたくって!そう、意外と単純な理由で演目選び⁽笑)。
このように、たとえ余興であっても本物の拵えをして、お座敷をまわるのですが・・・二日間で80件ほどお座敷をまわらせていただくでしょうか。ようは80回踊りも踊ります。ひたすら、踊って、飲んで、走る!!最後のほうはもうわけのわかないテンションに⁽笑)。
そして衣装は舞台の時ではありえない酷使で傷んでしまうのです。二日目にはそれを衣装やさんが苦笑いしながら丁寧に直してくださって、また出陣!!
ちなみにラメできらめく酒壺はサヨコ特製です。父からの遺伝か小道具を作るのが大好きな私はこの年あたりから道具つくりにもはまっていきました。
いそいそとノムラテーラーに通っては、夜な夜な小道具つくり。ちなみにオレンジの紐は鼓の調べをわけてもらって。改心の出来の壺でした(´艸`*)。
自画自賛ですが。
さて・・・せっかくお酒にまつわる演目をするのだから、パロディーもお酒にしなくては。
「SAKE」と書かれた箱に、一升瓶を仕込んでいざお座敷へ!酒壺の中には、五合は入る朱塗りの大盃がしのばせてあります・・・そう、お客様への振る舞い酒です!!
パロディには子供のころにCMで聞いていら「カッパパ~飲んじゃった~、ちょっといい気分~♪」を選曲。この曲、もう舞妓さんで知っている人はいなんでしょうねぇ・・・
頭におさらも乗っけて、見てください、この笑顔!楽しそうでしょ?!楽しいんですよ~。
お酒を振る舞うと返り打ちにあうこともしばしばで、九時を回るころには早くも、いい気分~ウィッ
なのでした。
早いもので一月も今日で終わり。明日から二月です。祇園にいるころは毎年この時期は節分のお化けの準備におわれている時期でした。そもそも厄払いとして常と違う格好でお参りにいったのが起源のようですが、花街では格好だけにとどまらないとっても楽しい風物詩です。この日は芸妓さんが気心の知れた仲間と組んで、仮装をした上でお座敷で芸をして歩くのです。芝居好きの私は舞妓さんの時からずっと憧れていた行事のひとつでした。襟替えをするやいなや、すぐに同期の子とお化けデビューしたときの演目が「勢獅子」。初参加なのでなるべく軽装で場のあるものを・・・こんな風にちゃんとお祭りの格好をして、お座敷で長唄に合わせて踊りを踊ります。獅子舞もあるので厄払いにお客様の頭にかみつたりして喜ばれたものです。そしてお化けには必ずパロディーが。同じ家のコンビだったので「兄弟船」を選びました。私のポリシーとして私の知る限り祇園で見たお化けの演目はしない!と固く心を決めて2003年から2015年まで、毎年一年で私が一番はりきる節分がはじまったのでした。
しばらくが私の渾身のお化けシリーズをアップしていこうと思います。お付き合いいただけたらうれしおす。初年度はこんなものですが…年々すごくなっていくのでお楽しみに!!なにせ、一年中来年のお化けをなににするか考えているような芸妓でしたから⁽笑)。
友禅の打ち合わせに京都へ。久々に地下鉄に乗ったら・・・「あ~!!わたし!」!!
舞妓さんの最後の年に、都をどりのポスターに描いていただいたものが今も観光協会のポスターに使われていて忘れかけて、いた頃にこうやって見かけるのです。かれこれ十七、八年前ですかねぇ。こうやって見かけると懐かしくってうれしいものです。
右のお扇子を持つ手に私の癖がでていて、当時姉さんに「紗代子さんの手やなぁ」って言われて苦い思い出も一緒に思い出します⁽苦笑)。
都をどりのポスターは昔から日本画と決まっていたようで、かつては磯田又一郎さん、秋野不矩さん、広田多津さんなども手がけておられました。こちらの絵は辰巳寛先生で、今は女紅場の先生でもあります。都をどりの会場では昔のポスターも飾られていて、日本画がお好きならこちらもなかなか見応えがあって楽しいですよ!
これは昨年のお正月にとったもの。
親戚一同で着物を着てお参りにいこう!という物好きな母と私の企画でこんなに賑やかな一団となりました。それにしても着物とはなんと素晴らしいことでしょう!
この中で一番古いものは赤い被布も下のピンク小紋。おおよそ40年。これ、母と一番下の子以外全員着たことがあります・笑!!あ、いやまてよ。もっと古いものが。右端の紅白の絞りが母の10代のものなのでもっと年代物ですね。他にも私のであったり、姉のものであったり、姪っ子ものであったり・・・それぞれの年頃に合わせて共有できる着物。それは思い出の共有でもあります。
前の日に着物を引っ張り出しててんやわんやでしたが、とっても楽しいお正月になりました。
ちなみに、男性軍は拗ねモード。どうやら着たかったようです・笑。来年には亡くなった父の着物も、縫い上げをして甥っ子も着られることでしょう。
箪笥にお着物の眠っているアナタ!めんどくさがらずに来年のお正月はご家族で着物で初詣、いかがですか?!
新春の新橋演舞場へ舞妓さんが観劇に。
私も歌舞伎の大好きな舞妓だったので、歌舞伎に、しかも東京のお芝居へ連れていただけるときは指折り楽しみにしていたものです。だいたいこういうときは「そんなり」といってお白粉をぬらずに、普段のお化粧でおでかけします。着物もお芝居にもよりますが、小紋や附下で・・・屋形にいる間はお母さんの用意してくださったものを着ていきます。南座など劇場が近いときはショール程度ですが、大阪や東京のお芝居の時は道行を着て。
よぉくみてみてください!!肩にはちゃんと縫い上げが!舞妓さんの身に着けるものには振袖、お稽古着、見えないけれどお襦袢、そしてこのように道行や雨ゴートにまで縫い上げがあります。
もうこれ以上は大きくならないのですが(なっても困りますが・笑)、幼さを演出するために縫い上げを続けるのです。喪服も同様で、縫い上げがあり、お袖も長さも長め。たったこれだけでのことで、喪服でさえもどこか幼く可愛らしくなるのが不思議です。翌日の昼の部も見て帰るそうで、とっても嬉しそうな二人なのでした!
今日で紋日も終わりですね。明日からは日常がもどります。先日1月8日に京都国立博物館の新春の催しがありました。春の舞、と題して祇園甲部の芸舞妓さんが、一階ロビーの特設舞台で二回公演舞を舞い、簡単な説明や質問なども加わる舞台。
この写真は第一回のもので、去年のお写真です。
そもそもは、不定期で京都国立博物館にお世話になり勉強会をしていたのが発端で、お声がけいただいた催しでした。今年は去年にも増して大盛況だったとのこと。ご縁がつながっていくのはうれしいかぎりです!!
お正月の十五日までのこの時期は、七日と十五日は黒紋付きで、他は色紋付き。普段の裾引きよりも少し豪華な衣装で、三つ紋です。
今年は芸妓さんが「せっかくなら」と黒紋付きにしてくれたそうで、華やかな中にも凛とした美しさがあったことでしょう。私は今年は用事が重なって当日のお手伝いはいけませんでした・・・(涙)
来年も、引き続き開催予定ですので、ぜひ皆様2018年のお正月は国立博物館へ!
お勉強会の様子も、そのうち載せますね。
あけましておめでとうさんどす。
新年のご挨拶が今頃にになってしまいました。
年末年始といろんなことが変わり、動き出し、気が付いたら2017年を迎えていました。
長吉呉服店はじめてのお正月です。とはいえあまりのバタバタで。格別なにをするわけでもないのですが、お正月飾りを買って、鏡餅を用意した程度。京都のころは、根引きの松を買ってきって、半紙に巻いて水引で結んで門に用意したものですがさすがに東京ともなると・・・そしていまの家の佇まいにはしっくりこないので(笑)。
今年はどんな年になるのかなぁ・・・なんて考えていましたが、どんな年にするかは自分次第。
旧年中にいただいたご縁を大切に育みながら、私らしい2017年にしていこうと思います。
本年も、よろしくお願いいたします。
久々に祇園でのお話を。このカゴを見たことがありますでしょうか?舞妓さんや芸妓さんが裾を引いた格好のときお座敷に行くときもっていく鞄=カゴです。
店出しのときには舞妓さんは赤、芸妓さんは薄紫や水色などの無地に名前の縫いの入ったものを誂ます。普段はかわいい小風呂式や布を見つけて、祇園の幾岡やさんに持っていくと誂てくれるのです。紐もお店で選ぶのですが、紐一つで舞妓さんらしくなったり、芸妓さんらしくなったり。
夏は白、冬は黒のカゴ。一時は国内でのカゴがなくなりかけたことがあり、小風呂敷ではほんの少し足りなくなって困った時期もありました。
気になる中身は芸舞妓の舞のお道具の舞扇や手ぬぐい。お化粧直しのお紅やコンパクト、千社札、手鏡に櫛・・・などなど。私は必ず本を入れていました。お客さまのご到着が遅れて、お座敷待ちの時間の時に読む本。この本のおかげで、待ち時間がちっとも苦ではありませんでした。ただしその分カゴは重たくなってしまって。いつも筋トレ状態(笑)。今でもその癖は抜けなくて、カバンに本が入っていないと、どこか落ち着きません。待ち時間はスマホを触っていることのほうが多くなってきたのに・・・(苦笑)。
開業するのあたり「長吉呉服店」を消し札を作ってちょうど一年。携帯電話につけて肌身離さずもっている消し札を書いてくださった師匠のお店に奇遇にもだどりつけたのは私にとって幸先のよい嬉しい出来事でした。
最近、本当に不思議なご縁がたくさんあります。
京都にいた20年につながるご縁で、でも京都にいるときはつながらなかったご縁。
東京にでてきたからこそ、つながったご縁です。
つなげてくださる方にも感謝でいっっぱいで、鷲さまにも手を合わせますが、縁を運んでくださった方にもこっそり手を合わせています(笑)。
先日、初めて酉の市にいってきました。11月の初めての酉の日の市だった11日。待ち合わせの時間を聞いたときは耳を疑いましたが、午前0時から始まる市だったとは!!この日は0時ごろから小雨がぱらついていて、鷲神社につくと電球色の中に色とりどりの熊手が華やかに飾られて、どこか違うところへ迷い込んだような不思議な景色でした。京都のえべっさん(十日戎)に当たるものなのでしょうが、もっといろんな色が入っていて、えべっさんに比べどこか異国情緒を感じました。
たまたまお供した先で私も初熊手を購入することにしたのですが・・・そこでなんとも嬉しいご縁をいただきました。名前を入れていただく際に「長吉呉服店、知っているよ!」と。お店の中を見上げると橘右之吉師匠が!!寝ぼけまなこの私は一瞬なにがなんだか・・・(笑)。
伺ったお店「よし田」さんは後で聞けば師匠ゆかりのお店だったのです。
ずっと憧れだった京縫の教室へご縁あっていかせていただきました。京都でもとても有名な長艸縫工房さんの体験教室で、今回は袱紗入れに挑戦。地色のグレーは事前に決めていましたが、糸の色は当日に選ばせていただけます。今回は水色系、紫系、オレンジ系が用意されており、私はオレンジを。
紋付などのよく使われている京縫はある意味身近にあるものではありましたが、こうやって挑戦させていただいて改めて祇園にいるときになんと素晴らしい着物を着させていたんやなぁと思いました。こんな風にして、あの紋付の菊の花弁は一枚一枚化粧されていったのかと。同じ糸でも先生が針をもつと糸の艶がでます。当たり前なのかもしれませんが、目の前で見ると本当に不思議。伝統工芸士の技をこんなに近くで拝見できて、とても幸せな時間でした。いつか時間と財力ができたら通いたいなあ・・・。
先日のハロウィン、皆様は仮装なさいましたか?今回は色の連想コーデのお話です。もともとはヨーロッパの行事で秋の収穫を祝い、悪霊を退散させるためのもので日本人には関係のないもののはずですが、いまや一大イベント。そこらじゅうにカボチャの飾りや、衣装があふれます。祇園にいたころの節分のお化けに近いのでしょうが、まだまだハロウィンは私にはなじみのないもの。そんなときに、この着物コーデででかけたら、「すごい!ハロウィンコーデですね。さすがす!!」とほめていただきました。
正直私にはなんのことやら・・・(苦笑)。だって、薄紫の花扇の附下に御所解の帯でとっても古典な組み合わせなど思っていたので。聞けば色目なのだそうです。紫✖黒✖オレンジはハロウィンを連想させるものだったそうで聞けば納得。ということでその日は「ハロウィンコーデです」とさも得意げに過ごしました(笑)。
先日の京都で、とても素敵なご縁をいただきました。たまたま立ちよった祇園のカフェでオーストリアから来た花街と日本文化が大好きな女の子がいて、今回の来日で着物を作りたいのだど・・・・でも言葉の壁もありなかなか難しいというお話を伺いました。相談ぐらいならお手伝いしますよ~という話から、今回のご購入に至りました。
舞のお稽古にも、鼓にお稽古にも通っている彼女は、どこか日本的な物腰でとても素敵な女性。薄い色のお着物を探していたそうです。そんな中で彼女が私のホームページからお気に入りの一枚を選んでくださって!!
この大人ピンクの一枚、金の入った少し洋の要素をも入った模様。オーストリアでも、観劇、コンサート、およばれ・・・どんな場面でも活躍間違いなしのお着物を選んでくださいました。日本文化を積極的にお勉強している彼女とのお話の時間はとても楽しくって。
外国の方から見た日本、京都、祇園、伝統芸能、着物。日本人が思っているよりずっと魅力的です。
ただ、日本人でも敷居が高く、入口の見つかりにくい世界でもあるのも事実。彼女のように、ちゃんとした着物を一枚持つことでさえも、簡単なようで難しい。日本人でもそう感じることの多いところなので外国の方にはなおさらでしょう。どうしてそんなことのなっちゃうのでしょうねぇ。着物や歌舞伎に興味があるけど、入口がみつからない方!ぜひ長吉呉服店へご相談ください!!
自分の大好きな世界を少しでも理解していただいて、広めたい。彼女との時間の中でそんな風に思いました。
随分とブログをご無沙汰してしまいました。8月末からの遠征にはじまりバタバタと日々が過ぎていって、ふと暦を見ると10月も半ば・・・さて、久々にブログ、何から書きましょう。こちらは前に足立美術館に行ったときに魯山人コーナーの部屋で見つけた言葉です。よく、「ロサンジン、ロサンジン」と耳にする有名な魯山人ですが、この足立美術館に行くまでは正直そんなに興味深く思っていませんでした。このことばを見たときに、なんてカッコいいのだろう!と。そして日本人をとてもよく表している。‘’仕事は辛くて当たり前‘’これが常識とされるのが不思議ま風潮。楽しんで仕事しているちょっと浮いてしまうような・・・なので、ちょっと辛そうに演じてみたり(苦笑)。仕事の中に遊びを見つけても、楽しんでも、別にいいのか・・・とちょっとホッとしたものです。
私はとにかく遊ぶのが大好き。
インスタグラムのハンドルネーム(?)が『ASOBIWOSENTOYA』というぐらい遊び好き。仕事でも趣味でもなんですが・・・趣味だけで遊んでいると霞を食べて生きていかなくていけなくなるので、仕事にも見つけることにしています。帯の制作をしていても、小物の包装をしていても、強行軍で京都へ仕事にいっていても、どこかいつもわくわく楽しい。でもそうするとまるで仕事をしていなくて遊んでいるみたいに思われたり見られたりするのです。自分の中でそこがどうも違和感があったのですが、このことばを拝読して救われました。魯山人もこうおっしゃっているし、別にいいんだ!!さてさて、今日はどんな楽しいことを見つけて遊びましょう!
あ、もちろん辛いこともしんどいこともあるんですよ!!だからやっぱり「遊ぶ努力」。遊びを見つける努力は大切です(笑)!!
なぜか、虎屋さんのお饅頭ではなく、キティちゃんの薯蕷饅頭がのっていますが、お皿は都をどりで使われるだんご皿。
全部で5色あるのをみなさん知っていましたか?初めて都をどりに行ったときに、お皿を持ち帰ることに驚きました。なんて太っ腹なのでしょう!!
そしてこのお皿、大活躍なのです。お饅頭はもちろん、おかずも、おつまみも、果物も。ほかの花街もお皿をくれますがsれぞれの町によって、工夫があって集めるとなかなか楽しいものです。それにしてもこのだんご皿、なにを載せても、なんとなくおさまるデザインと、絶妙な大きさ。しかも割れにくい!! いつからお皿をおまけにつけてくれたのか知りませんが、都をどりの記念にもなり実用性のあるお土産。これを一番に考案した人物に会ってみたかったなぁと思います。
ちなみにもっと前のだんご皿は、色の鮮やかな永楽さんだったります。たまぁに京都の骨董品やさんで見かけることも。私もこれを大事にとっていたら、孫の代ぐらいには高く売れるのかしら・・・なぁんて考えてしまいます(〃艸〃)。
京都の溶けてしまいそうな暑さの中、白地の浴衣を着て歩く舞妓さんを見かけたことがあるでしょうか?毎年井上流の誂える浴衣は、必ず白地。小さい子供お弟子さんから大きい(年を重ねた意味)お姉さんまで似合うのは、どうやら白地なようです。そして小さな柄が多いのです。柄は毎年かわりますが、今年は団扇の柄だったようですね。桔梗や観世水、茄子、カエルの年もありました。
今年はどんな柄やろ~?と毎年楽しみでした。毎年なので、けっこうたまっていって、十枚以上白地ばかり(笑)。
それにしても和傘の日傘に白地の浴衣姿の舞妓さん、なんとも涼し気に見えますよねぇ。もちろん着ている本人たちは暑いのですが、見ているまわりに涼を運んでくれる素敵な姿。
舞妓さんってほんとうに絵になりますね。
先日、京都へ打ち合わせに帰ってきました。
降り立ったって空気を吸った瞬間に「ああ!!京都だなぁ」と実感しました(笑)。
東京でも、九州でも、気温としては同じぐらいになることもあるのですが、やはり1200年の古都は違います!20年もこの夏を過ごしたわりには正直くらくら(苦笑)。でも、これでこそ京都だとも思いました。お昼は浴衣姿の舞妓さん、夜には花見小路を次のお座敷へ急ぐ芸妓さんを見かけて・・・
あんなに重装備をしながらも、なぜかTシャツで歩く人たちよりも涼し気に見えるから不思議です。よくお座敷で「暑くないんですか?」と聞かれていましたが、なるほど聞きたくなるほど涼し気。本当は溶けてしまうほど、暑いんですけどねぇ。着物をきちっと着ていたら、着ている本人はともかく、まわりには涼を運ぶものらしいことを発見した京都でした(笑)。
夏になると、京都のお店などで見かけるこの団扇。これは、芸・舞妓が夏のご挨拶にお茶屋さんやご贔屓のお客様、またよく行く喫茶店やお店などにお配りするものです。お店にとっても、ここは芸舞妓さんがよく来てくれるのですよ、という宣伝にもなるわけですね。
朱の色で大きく書かれた名前。右に書かれていているのは、屋形にお世話になっている人は屋形の屋号に、自前さんのお姉さんは実家の名字になります。裏の家紋もまたしかり。
昨今では私をふくめ、日本全国から舞妓さんに憧れて京都へでてきます。名字も地方の名前でかわったものがでてきたり、また家紋という風習のない地方からの子もでてきたり。ゆっくり見るとまた楽しいものです。うちはいたってノーマルな丸に橘ですが、前にいた芸妓さんで、ほっぺにペケ印のついた少しヤクザな雀が三羽円陣をくんでにらみあっている、とても面白い家紋がありました。なんていう家紋なのだろう・・・と気になりながら、聞けず仕舞い。今度紋帳で調べてみなくては。この団扇、なんとなく普通の団扇と違う風を運んでくれる気がするから、不思議ですね(笑)。
私の初めての縫物の浴衣を、甥っ子が袖を通してくれました。まだつかまり立ちの8か月の男の子。
この反物は和裁の先生が、入用分だけわけてくださったものです。今時なかなかこのような古典柄を、しかも入用分だけわけてくださるところは少なくて助かりました。
兵児帯は実家から母がもってきてくれたもので、かれこれ50年物の年代物です。叔父、兄、甥っ子と世代を経て大活躍。この緑の色も今はなかなかみかけませんねぇ。渋くってなんともかわいい。
甥っ子はとても古典的なTHE日本な顔だちの子で、今回のコーデがぴったりで大好評!!
一つ身なので、2、3年は着てもらいたいところなのですが、お父さん似なのですぐにおっきくなるのかもしれません。
少し早いけれど次は四つ身に挑戦しようかな。
自分の縫ったものを着てもらえる喜びを感じた、1枚目のお仕立てでした!!
父が亡くなって、16年。今年は17回忌でした。私が舞妓さんの時に急にこの世を立ってしまった父。父と過ごした時間は中学卒業までなので、同じだけ父のいない時間が過ぎました。舞妓さんになるのを反対していた父で、男親だからやっぱり心配性。ホームシックになって公衆電話から家にかけると、母は「屋形のお母さんが心配するから」と怒るのですが、父が出ると「水はどうだ、辛くはないか、帰ってきてもいい」。まさに飴と鞭でした。でも反対を押し切ってでてきた手前父には心配かけられないので強がって「みんな優しくて、とっても楽しい」と言って電話を切っていました。あの電話があったから、舞妓さんデビューまでもったのかもしれません。いっぱい聞きたいことがあったのに、反抗期や照れでなんにも聞けずじまい。今でも枕元でもたってくれればいいのに、と思います。アウトドアとものを作るのが好きなのは父譲り。きっとこんなちょっと変わったローソクも喜んでくれるはずだと選んできました。
13回忌からイベントや遊ぶのが好きだった父を偲び、親族お泊りキャンプがはじまりました。今年で5回目。釣りにいったり、海にいったり、山に登ったり。20人は軽く超えるので小さい学校のキャンプ並みです。夏休みの時期に、20人以上の宿泊を探すのは毎年けっこう至難だったります。ロッジだと3軒。来年からは学校用の宿泊施設を探そうかと・・・(笑)。叔父叔母、いとこ、はとこ・・・それぞれ、毎年状況が変わる中で、1年に一度顔を合わせて過ごす時間は、今ではなくてはならない年間行事となりました。日頃の浮世の悩みから解放されるひととき。家族だけだとこうはいかない、なんともよい距離感。居心地がいいものです。これも父のおかげだなぁと思い、今回も手を合わせたのでした。
この夏、皆様も親族キャンプ企画してみてはいかがでしょうか?!意外と、かなり楽しいものですよ!
初めての展示会をさせていただきました。今日お越しくださいました皆様、ありがとうござました。京風きつけ教室の今井さんや、元・祇園の友人の力を借りての展示会です。とはいっても今回はプライベートサロン型のアットホームな空間と時間の中で、ゆっくり着物を見てもらうコンセプトです。子供のころ、実家での展示会はよく見ていたし、お手伝いもしていましたが・・・いやはやお勉強になりました。前の日は、舞の舞台とまた違うざわざわとした緊張感で夜も寝られず。今回は心強い祇園コミュニティーの助けがあったのでなんとか無事に終わることができました。青春時代の仲間とはありがたいものですね。今回、インスタなどで興味をもってくださったお客様が足を運んでくださったことがとっても嬉しいことのひとつでした。いつもコメントしてくださっている方々とお目にかかれて感激です!SNSを昔は敬遠していたのですが、新しい素敵な出会いを運んでくれる、ありがた~い情報ツールなのだと改めて思う次第です。
今回は新作でまだ途中の商品も見ていただいたり、また下絵からのデザインのお話をさせていただいたりしました。お着物のお好きな方と、お着物のお話をできる・・・もうそれだけでも幸せなひとときです。ただ白塗りしている芸妓さんの格好だと臆面なくおしゃべりできるのですが・・・普通の女子(?)に戻ってだと、なんだか照れくさい。
半年分のドキドキをつかった一日でした。
また次回の開催の時には、ぜひぜひお越しいただきたいです。
その時までには、白くなくてもお話しできるように精進します!!
今日は八朔です。今頃はたくさんのカメラマンさんに囲まれながら、紋付き姿の芸舞妓が「おめでとうさんどす~」と口々にご挨拶にまわっているころでしょう。10メートル歩いただけで溶けてしまいそうな暑さの中で、黒の紋付姿で、年々増える人込みをかきわけて歩く数時間はなにかの行のようなしんどさでした。よその街では、軽装になっているところもあるのですが祇園は未だ正装。どんなに暑くても続けるその心意気が私は好きでした。
毎年恒例で、八朔の出発前にはみんなで玄関で勢揃いのお写真を。20枚近く残る写真には、自分もふくめて、年々お姉さんになっていった歴史が残ります。ある程度お姉さんになったら、白塗りから、からげの恰好になっていきます。そしていつも足元にはチロ。この子で3代目チロです(笑)。大事な家族の一員で、チロのいない写真はありません!!そうそう、たまにカメラマンさん同士で喧嘩されるのに困っていました。お写真をとられる皆様にはぜひご配慮のもと、熱中症に気を付けて、お写真をとっていただきたいです。
和裁教室に通い始めて数か月・・・というか、10回も通えていません。それでも、こんなにかわいい一つ身の浴衣が縫いあがりました。とっても素敵なお師匠さんに巡り合えて、丁寧に楽しく教えていただけた賜物。着物が好きな人は多かれ少なかれ興味があると思います。和裁、おすすめです。こんな風にできているんだ!とか。昔の人の知恵が詰まっていたりとか、着物がもっと愛おしくなります。自分が着るもの、また誰かに縫ってあげるもの。針を運ぶ時間はとても幸せな時間なんです。うちのお師匠さんのすごいところは、まず子供用を勧めてくださったこと。大人用に比べて縫う範囲も狭いので少し楽ですし、でも大人と同じことを勉強できますし、なにより、小さいパーツを見るだけで「かわいい~!」とテンション高めでお稽古がすすみます(笑)。
私は幸い、半年前に生まれた甥っ子がいたので、甥っ子用の一つ身。肩と腰上げをして、さらにかわいく!!縫っている間中、ニヤニヤしてました(笑)。仕事の都合で途中でお稽古になかなかいけなくなっていたのですが、この間のお稽古で急いで間に合うように教えてくださってどうにか地蔵盆までに間に合いました!和裁、ずっとやってみたかたんだよねぇ~と思ってるアナタ!!今ですよ!ほんっとに楽しいですから!
今頃京都は祇園祭の真っ最中ですね。先日から、鉾やお囃子をテレビやSNSで見ると、ちょと心がざわつきます。里心がつくというか・・・そんなに思い入れがあったのか!と自分でもびっくり。思い入れといえば、祇園祭の期間限定のお姉さん舞妓さんの髪型「勝山」です。当時は痛くって重たくって、自分の髪型を愛でる余裕はありませんでしたが、改めてみるとなんとまぁ、可愛らしいのでしょう。特別華やかに装う髪型を見ていると暑さを忘れてしまいそうです。かけものもの年数によって赤からピンク、水色などにかわっていきます。ただ、この髪型、本当に重たいのです。暑さの厳しい京都の夏、高枕でけっこううなされていました(笑)。今はいい思い出です。
10数年前に祇園で同じ時間を過ごした後輩の照ひなちゃんにお声がけいただいて、開店3か月めで初めての展示会に挑戦することになりました。照ひなちゃんは自前と同時の引退して、渡米。会社を設立して10年の新しい世界での大先輩です。呉服店を開業するにあたって沢山のアドバイスをくれる心強い、私にとっては先生のような存在です。そんな彼女にお誘いで、今回共催の形で展示会をすることになりました。この素敵な告知も彼女が制作!とにかく右も左もわからないので、甘えさせてもらっています。
10年以上の時を経て、まさかこんな風に一緒にお仕事できるなんて、思いもよらぬことでした。打ち合わせを重ねるなかで祇園町で一緒に過ごした時間があればこそ、うまく言えないけれど通じ合えるものがあって嬉しくなっちゃいます。たまに昔の話になって打ち合わせからそれてしまうことも多々ですが・・・そんな時間も楽しくて。舞妓さんの時から、大活躍だった舞妓さんでしたが、今も大活躍。和装ヘアのレクチャーもしてはるそうで、いつもびっくりするぐらい美しく洋髪を結い上げています。私の剛毛でもできるそうなので髪が伸びたらレクチャーに参加させてもらわねば! 今制作途中の友禅の産着なども展示予定です。なかなか見ることのない友禅の過程を垣間見ることができますよ!! ・・・正直、今はドキドキしかありません、8月4日まで寝られない日々が続きそうです(笑)。ご興味を持ってくださった方はぜひ詳細をチェックしていただきたいです!おたのもうします!
詳しくはコチラ⇒ http://www.artegroupinc.com/jp/event/
嬉しいことに、先月おもいがけなく、嬉しいご注文をいただきました。祇園町からの別染の浴衣のご注文。お客様のイニシャルを入れてのデザインで、色は三色。男物、大人の女性、若手の女性で色を変えようということに・・・夏のお座敷でお召しになる浴衣です。お世話方の芸妓さんといろいろと知恵を絞り、考えていく工程はとてもドキドキするものでした。でも実は、最初ちょっと物怖じしていました。納期の問題の上に、浴衣はまったく経験がなく、嬉しい反面できるのか、せっかくお声がけしてくださった芸妓さんに迷惑かけないか・・・・駆け出しの呉服店に荷が重くないか。どうしよう?! でも、紗代子にとお話をふってくれた芸妓さんに応えたい!!!
この浴衣を作るにあたって、若手の伊勢型紙の職人さんに出会いました。おじいさんが職人さんで彼は二年前から型紙の世界に入ったそうです。今回、彼がデザイン修正、親方への彫りの依頼、日数のない中での染の手配、また染の立ち合いをしてくれました。
今朝やっと、はじめての顔を合わせの機会をもてました。伊勢型紙の将来を憂いてWEBなどを使って、どうにか伊勢型紙を残せないか奔走しているお話を伺いました。全国にある型染の着物のすべて浴衣も絹のものも、伊勢型紙でできていること。お恥ずかし話ですが私は全然知りませんでした。各地方で彫られていると思っていたのです。そしてその職人さんのほとんどが70歳以上。彫る職人さんだけではなく、絶対に必要な紗張りの方もいなくなること。もう土台から、伝統工芸の世界は厳しい状況にあることを、今回もまた知りました。でも、「今ならまだ、間に合う!」それが今日二人での同意見でした。
今回のご縁を大切に、自分たちの仕事の中であと5年を10年に、20年にできたら。
新たにそんな夢をもつことのできた1日でした。
と、いうことで長吉呉服店は型染のお誂えも全面的にお受けすることにしました!
世界に一つだけの自分たちだけの浴衣、二枚からお受けいたします(お値段、日数などについては、お気軽にお問合わせください!)。
お稽古場のみなさんで、お遊びのお仲間で、ご家族・親戚・カップルで、会社の皆様で。
プリントではなく、本物の染の浴衣をいかがでしょうか。
みなさん、歌舞伎座に一幕見席があるのをご存知ですか?これは名の通り、見たい演目を一幕だけ見ることが可能なとても便利なシステムなのです!お席は4階席で整理番号順の自由席。今日は友人と市川猿之助さんの「流星」を見てきました。なんと1000円。歌舞伎が1000円で見られるなんて!!しかも見たい演目だけなので、時間にもお財布にもお得感があります。歌舞伎座の大きな舞台を上から見ると、一階とはまた違う美しさがひろがります。この席、大向こうとよばれる方がいらっしゃることも多く、間近で「おもだかやッ」などの掛け声を聞けることもあります。けっこうビックリしますけど(笑)。今回は宙乗りのある演目なので、すぐそばまで猿之助さんが飛んでくるのです!これも下では味わえない面白さ。
幕見席に来たのはたぶん十数年ぶりだったのですが、昔は階段を延々と並んでいたのが、新装歌舞伎座ではエレベーターでひっととび。待合の椅子もあり快適に待つことができます。・・・とまぁここまではいいこと尽くし。ただ、すごい人気なのです!今日も3時過ぎからの流星を見るために11時半から並び、発券時間の1時すぎにはすでに完売。今回は女子トークをしている間に時間はアッという間にすぎたので苦ではありませんでしたが、猛暑の折などは厳しいかもしれません。歌舞伎のチケットはお高いのでそうそうも行けず、ファンとしては、そんなに人気があるのなら席数をもう少し増やしてくれればいいのに、なぁんて思ったります。来月も宙乗りがあるので、ぜひご興味のある方は一度オペラグラス持参で行ってみてはいかがでしょうか!!おススメです。
浴衣の別誂えのご注文をいただきました。イニシャルを入れての図案考案から。今回この図案は古本屋さんの兄に昔見せてもらった図案帳からヒントをいただきました。前にしか進まないから、とか、花街では、子宝に恵まれるなどトンボは昔から縁起がよいと言われる柄ですが、より紐なのがかわいいですよね!!そして型紙は伊勢サミットでも注目された伊勢型紙の職人さんにお願いしました。期間が限られた中で、無理をきいてくださったKIMONO DESIGN mediaさんに感謝です!!
そして駆け出しの呉服店に、声をかけてくれた芸妓さんに。離れていても、辞めても、祇園町に助けられているなぁと、本当に有り難く思います。
着物はじめのお客様へ、お品物をお納めにいってきました。「ずっと興味があったけれど、どこでどう買ってよいのはわからなかった」そうで、私が呉服店を始めるということで、トータルコーディネートでご注文くださいました。なんとこのお着物姿、ご自分で着られたのです!お納めした初日に、3回のお稽古で。着物は難しい、めんどう、大変・・・とおっしゃる方も多いのですが、ほんの7、80年前までは普段着。実はそんなに大変ではありません。舞妓さんに来た子だって最初は産着以降着物を着たことのない子もいますが、お稽古に通う中で4,5回も袖を通せば次から一人で着てお稽古にいっています。もちろん、うまく着られていない時もあってそんなときは、お姉さん方にお稽古場で手直しはしてもらうのですが・・・昨今、着物をあまりに特別に扱いすぎて着物離れにつながっているような気がします。
今回も「意外と簡単・・・もっと早く挑戦すればよかったよ」とおっしゃっておられました。
今回のお着物は、初めてということで扱いやすい単衣の出羽木綿に半襦袢、博多帯でのご用意でした。木綿なら、もし汚してもそこまで気も遣いませんし、クリーニングはもちろん家で洗うことも可能。半襦袢も家で洗っていただけます。まずは波平生活(普段を着物で過ごす)で着物に慣れれば、どこに気を付けたらいいのかわかってきます。そうなればしめたもの。絹の着物へステップアップ。観劇や花街へ、お着物の装いでお出かけです。着物といえば女性のイメージですが、着物の力はすごくって、男性やお子さんも、着物を着るとやっぱり女性同様嬉しいもののようなのです。賛否両論ではありますが、京都で流行るレンタル着物それを表しているのでは・・・と思います。だってあんなに流行るのは、着物を着てみたい、って思う人があれだけいるってことですもの。カップルで嬉しそうにお着物で歩く姿は、とても微笑ましい。・・・噺家さんのような男性用着物だけはちょっと・・・微妙ですが(笑)。
梅雨の時期になると手放せない蛇の目傘。
これは本当は蛇の目ではないのですが、今はほとんど通称で和傘は蛇の目と呼ばれてしまっています。雨の京都の街並みになんともいえない風情をそえる和傘ですが、とても高価なものです。舞妓さんのおこづかいじゃとても買えません!!うっかりものの私は舞妓さんのとき、夜のお座敷が何件かあって途中で雨が上がってしまうと忘れてしまう。翌朝青くなって、探し回りました。そして、このように気をつけないと破れてしまう。和傘は柄を下にして立てて置くのですが、伺った先のお店が扱いを知らないと、普通の洋傘と同じように置かれてしまったり、また、傘立てにいれられて、その上に洋傘が突き刺されてしまい、このような惨状になることも多々でした。今回のこの傘は幸いにも、金沢の傘で職人さんが直してくださることになりましたが、いまは張り替えることも難しいのが現状です。もっと和傘が流行ればいいのになぁといつも思います。着物にはやっぱり和傘が絵になります。お着物がお好きな方にはぜひ、おすすめしたいです!雨の日が楽しくなりますよ!
昨日まで京都では五花街が開催されていました。残念ながら今年はよせていただくことはできませんでしたが、妹たちが秋の色種と舞妓さんで出演させていただいておりました。五花街という舞台は、京都の五つの花街の合同の舞踊会で、それぞれの町からひと演目ずつと、最後のフィナーレは五花街の舞妓さんが全部で20人、祇園小唄(違う演目の年もあります)を舞うという、豪華絢爛の会です。町の代表として出させていただくので、緊張もひとしお。私の最後の五花街は2013年でした。お名前をいただいた新名取で出させていただく初舞台。京都会館が工事中ということで南座での開催でした。歌舞伎大好きの私にとって南座は特別な劇場です。その花道から出させていただいたときのうれしさは今も忘れません!!あんまり嬉しくて下駄をけたたましく鳴らして登場。もちろん注意されました(苦笑)
菖蒲浴衣という演目で、いつもの井上流の雰囲気とは少し違う、粋な曲で、粋なお衣装。私はとっても緊張するたちなので舞台を楽しめたことは数えるほどしかないのですが、この時の五花街はそのうちの、貴重な一回です(笑)。そして大きいと思っていた南座の舞台ですが、立ってみると歌舞練場の舞台のほうがはるかに広い。改めて、祇園の歌舞練場の大きさと、その舞台に立たせていただいている有り難さを感じたのでした。
水無月の簪のお話を、今日はしましょう。
6月の花といえば皆さんはなにを思いうかべますか?彼女がさしているのは紫陽花ですね。
私がこの月で好きだった簪は柳の簪。5月末に店出しをした私に、見習いさんの一力さんのお母さんがお祝いに贈ってくださったのが柳の簪でした。
出立てさんの舞妓さんのときはあごまで届く長さの柳に赤い撫子がとんでいました。緑に赤がとても鮮やかで今でも鮮明に覚えています。お姉さんになっていくと柳の長さも短くなり、撫子もピンクに。こんなところでも少しずつお姉さんになっていきます。
私は一度もさせずじまいでしたが、傘の簪にも憧れていました。薄い絹で張られた和傘の上に、柳が下がる、梅雨に風情たっぷりの涼やかな簪、きっとお姉さんか本人さんの特注品だったのではないでしょうか?うらやましかったなぁ・・・・
東京にきてから、縁あって和裁教室に通っています。着物を扱うにあたって、名称や仕組みを知っておくために、ゆっくりとしたペースで始めた和裁。実は舞妓さんのときから興味があったのですが、ほかのお稽古もありお稽古に通うことは叶いませんでした。でも、その昔、芸舞妓さんの女紅場学園では創設時は和裁が授業にはいっていたのだそうです。いまは、すぐに悉皆やさんや呉服屋さんに預けてしまいますが、着物がもっと身近にあった時代、自分たちで手入れをして大切にきていたんでしょうね。
当たり前ですが、縫い方ひとつひとつに、意味と知恵が込められていて、先生のお話を伺いながら針を進めるのはとっても楽しい時間。
1枚の反物を着物、仕立て直してまた着て、子供用にまた縫い直して何度も生まれ変わり、小物やお座布団になったり最後まで使うことができる。物のない時代だからといえばそれまでですが、本当の豊かさってのは、どこにあるんだろなぁと考えさせられます。
この針刺しも、先生いにいただいた端切れから。私のお稽古初日の記念すべき作品です(笑)!!ちなみの、このヘラもお三味線の撥の生まれ変わりなのだそうです!
お客様のご注文のお品が出来上がってまいりました。還暦の記念に、なにか新しいことに挑戦したいとおっしゃられてお着物デビューをなさいました。何度か打ち合わせの末、ダンディズムを追及なさりまずは一人でしっかりお着物を着られるように、家で波平生活から始めることになりました。
着物はなにより慣れるのが一番。難しいことを考えずとにかく生活の中に取り入れるとのこと。
ご自分で納得する着こなしが出来てはじめて、外出するそうです。
60歳のダンディズム!かっこいいですね!!
今月から紬の単衣に馬蹄の博多織の帯でデビューです。
今回、お客様とお話しさせていただいて、男の方のお洒落に対する情熱は、もしかしたら女性の上をいくのかもしれないと思いました。
歳を重ねるなかで、オシャレも変わっていきます。
着物を選んでくださったこと、そして、お気に召していただけたこと、とっても嬉しい一日でした。
ただいま、秋に向けてお誂えの還暦にちなんだ厄落としの羽裏を染めています!
揃いの浴衣のお誂えのご注文をいただいて、お客様とご相談しながら準備をしています。
今回は男物と、大人の女性、若手の女性用の三色を同じ図案で染めることに。まず今回は色選びからです。
例えば男物。イメージはグレー系のお色目・・・青鈍(あおにび)、鉄御納戸(てつおなんど)、熨斗目花色(のしめはないろ)、素敵で難しいお名前のついた候補の数々から檳榔子色(びんろうじいろ)を目指すことになりました(正直今の日本人でこの色の名前ですぐに色が頭に浮かぶ人は数えられる程度しかいないと思われます・苦笑)。色見本と、実際のお着物にに仕立てた時の色は思いと違ってくることも多々・・・と職人さんのお話を伺いながら慎重にすすめています。夏までに仕上げないといけないので悠長にはしていられないのですが。染屋さんが箱から出してくれる端切れの数々。
藍色も水色の、微妙に違う数多の色に感動と難しさで思わずため息が・・・。着物を通じで日本の歴史と文化の奥の深さに毎度、心の底から感動します。そして職人さんの熱い思いにも。次回は図案のお話ができるように、がんばります。
昨日、用事で銀座へでかけましたら、御神輿に遭遇いたしました。
ちょっと前から、ちらほらお提灯は見かけていて、いつのあるかしら・・・とぼんやり思っていただけに偶然、立ち合えてちょっと嬉しくなっていました。せっかくなので帰り道は中央通りをそぞろ歩いて・・・ビルの谷間にけっこうな数のお神輿や提灯がまつられていて、お当番の方も半被姿で集まっておいででした。時代小説が好きで、たびたび舞台となる日本橋界隈。今では思いを馳せるすきもないほど、立派なデパートやビルばかりですが、今回お祭りを見てちょっとホッとしました。
現代になり、お祭りを守り続けるのは大変なことだと思いますが、ちゃんと形を変え、工夫されながら続けられている。
道の角々に、スペースをどうにか作りお提灯を飾る、その努力がたまらなくいとおしいと思います。
ネオン輝く背景とお神輿、これはこれで有りですよね。
女紅場学園という舞妓さん・芸妓さんの学校があるのをみなさん、ご存知でしょうか?
祇園甲部歌舞練場の裏にあり、都をどり中は楽屋としてつかわれるのですが、普段は私たちの学校です。
必須科目から選択科目まで、いろいろなことを教えてくださいますが、もちろん和物ばかりなので、お着物で通います。
・・・ということは、上履きも、靴ではなく草履なのです。仕込みんの時から、赤い鼻緒のお姉さんのおさがりを使わさせていただいていたのですが、ある時、こんな素敵なプレゼントをいただきました。
亀治郎さん(今の四代目猿之助さん)の大ファンだったことを知る友人が別誂えの鼻緒で、上草履を贈ってくださったのです。赤い鼻緒が並ぶ草履の中で、どんなに焦っていっても絶対に間違わないお草履。とっても嬉しかった。それ以来10年以上お稽古場で愛用した(結構酷使された様子がうかがえる痛みようですよね・苦笑)一足は今でも手放せず、手元のあります。そしてそれ以来、店出しした妹筋の舞妓さんには上草履を贈ることにしていました。お稽古が少しでも楽しくなるように。たかが上履きと思われるかもしれませんが、毎日通う中で、他と違う一足はとても大事なお稽古の友なのでした。
店出しの日、ご挨拶まわりが終わると、引いてくれはったお姉さんやお母さんとお盃をかわします。
義理の姉妹となる大切な儀式。男衆さんが取り仕切ってくださり、西村さんでは引いてくれたお姉さんだけではなく、全員そろってのお盃です。たくさんのお姉さんがいる屋形なのでお盃も10杯以上いただくことになるのです。ほんの1滴ほどですが、緊張と疲れで私の時には、ぽわぁ~となってしまいました(笑)。妹を引くときにはお姉さんからひとこと妹に言わねばなりません。これがなかなか難しい。なにが、今一番彼女に必要な言葉なのか・・・まだまだ若輩のお姉さんだったので最初の妹の時には悩みました。
結局私は縁あって4人妹もたせてもらいましたが、ひとつ決めたことは「素直」でした。いろんなことを教えてくださるお姉さんやお母さんがいて、伝わり方でなかなか上手く受け取れないこともあります。それはとってももったいない。でもどうしても毎日の中で心が濁ってしまう時も多くあり素直さを見失ってしまう。なので、心がけて素直でいること。素直にお姉さん方の言葉に耳を傾けること。心がけていないと本当にこれ、結構難しいんです・・・。
店出しの3日間、割れしのぶという髪に結い上げられた、出立てさんの舞妓さんの髪型です。
ただ、かんざしはこの3日間はやはり特別。
櫛から、前差し、花かんざしに至るまですべて鼈甲でできているものをつけさせていただきます。鼈甲でできた花かんざしの精巧さに子供心に驚いたものです。とても繊細で壊れやすいものなので、暖簾にひっかけただけでも破損してしまうそうで、出発前には重々気を付けるように言われました。
後にある銀の羽のようなものは「たけなが」と言われてこれも3日間のみに飾りです。この羽があるだけで、日本髪がさらに華やかになりますよね。
この期間が、自分でかんざしを挿すことも、とることもできません。毎日髪結いさんにいって、きれいに整えていただくのです。そしてお座敷の前には姉さんやお母さんが最終チェック。これも、ちょっと嬉しい時間にひとつでした。
お店出しから6日間、屋形の玄関をにぎやかに彩る
目録。圧巻の迫力です。
芸妓の衿替えの時にも同じように玄関が華やかに飾られます。見ているだけで心の浮き立つ目録。
このポスターのようなものは目録とよばれいていて、たとえて言えば、ロビーのお花にのようなものに相当するように思われます。お店出しの前日に、衣装を着せ終わった男衆さんが屋形にきて貼ってくれます。けっこうな大きさですし、貼るときの序列もあるので、男衆さんにしかできません!
見習いさんのお茶屋さんをはじめ、姉妹筋のお姉さん方、お出入りの呉服屋さん、役者さん、ご贔屓のお客様。まだデビュー前なのでご贔屓は、ひいてくださったお姉さんのご贔屓さんが贈ってくれるのです。なかなか粋ですよね。
手書きで書かれた絵にはそれぞれ寿ぎの意味が込められています。なかなかポップな色使い(笑)。
普通はこれを見ることはかないませんが、実は見れるところがあるのです!!祇園の佐川急便さんには、オープン時に贈られた目録がそのまま貼られています。荷物を出すついでに、ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
今日は用事で銀座へ。こちらへ引っ越すまでは東京はビルばかりのイメージでしたが、そんなことはなくて・・・町の随所に手入れされたお花が楽しませてくれます。今日はとってもきれいに咲いている紫陽花をみつけました。
今はもうなくなりましたが、祇園の女紅場学園への坂道のところにも大きめの植木鉢がいくつかあって、いつもそこには時候の花が咲いていました。お稽古に急ぐ道の中で、季節を感じる一瞬。
いったい、どなたがお世話していたのか・・・ずっと気になりながらも、聞かずじまい。道は舗装され、いつの間にか植木鉢もなくなっていました。今日紫陽花を見てふと、そのこと思い出したのでした。
今日は、西村さんの新しい舞妓さんのデビューの日でした。今日誕生した西村さんの末っ子は朋子ちゃん。
京都ではデビューのことを、お店出しといいます。
仕込みさんを約一年経験して、お師匠さんのお許しをいただいて、ひと月の見習いさん(わかりやすいくと研修生)を経た人のみが、この晴れの日を迎えられます。半だらりの帯から、だらりの帯へ。黒の紋付の正装のお衣装は、優に10キロを超える重さ。肩に衣装をのせただけで、体がよろけてしまいます。早朝に髪結いさんにいって、おしろいやさんに顔をしてもらい、衣装をつけて、男衆さんの伴われお茶屋さんにご挨拶へ。私の時は、まだお茶屋さんが90件近くあってなかなか長い道のり。衣装は重たいし、さらでおろしてもらったおこぼの鼻緒は痛いし・・・でも、それが吹き飛ぶほどうれしい一日です。
今の1年は早いですが、この年の、舞妓さんにデビューするまでの1年はとっても長かったですから。
3日間ほどはこの黒紋付きでまわるのですが、それまでは見習いさんのお座敷しか知らないのでどこのお茶屋さんにいっても、右も左もわかりません。でもみんな通ってきた道なので、この日はお姉さん方も寛容に見守ってくださいます(笑)。正直この3日間はほぼお座敷の記憶がないのです。もう座っているだけで精一杯。ふわふわ嬉しかった感情だけが今もまだ残っています。
20年前の5月30日。
私が店出しをした日です。神戸の震災の翌年で世の中はちょっとひっそりしていました。今日から自分を振り返る意味も含めて、このブログでたまに思い出を書いてみようかと思います。
花見小路をこぼ、こぼっと音をさせて歩く舞妓さん。だらりの帯との絶妙なバランスがなんとも可愛いですよね。舞妓さんに出てすぐは中に鈴が入っていて、かわいらしい音がするのですが不思議と髷のかわるころには知らない間に鈴が取れてなくなって。片方ずつ、いつの間にやら音がしなくなるのを寂しく思ったことを思い出します。鼻緒も赤からピンク、薄紫や水色とどんどん落ち着いた色目になっていきます。小さい舞妓さんのときはお茶屋さんの玄関に薄紫や水色の鼻緒があるともう緊張して・・・どのお姉さんが来てはるのやろ・・・とドキドキ。たった、3つ、4つしか変わらない歳ですが、雲の上のような存在でした。
歩きにくそうに思うおこぼですが、諸説のうちのひとつに舞妓さんの帯が重たいために、わざと前のめりになる履物のしたと聞いたことがあります。なるほど、衣装をつけて歩くと歩きやすいのです。これも先人の知恵なのでしょうね。
同期の舞妓さんで夜の花見小路をどっちが早いか、次の電信棒までかけっこして怒られたのもいい思い出です。
先日、京都へ行っておりました。
屋形のお母さんの白寿のお祝いで、連絡のつくOBのお姉さん方と現役の芸妓さん、舞妓さんとお祝いの宴。およそ半世紀にわたり舞妓さんを育ててくれたお母さんとお姉さん。99歳から17歳までがお母さんと姉さんの関係という不思議なお席でした。
懐かしいお話もできたりして、あったかくてとてもステキな時間。
15歳までの実家の家族と、15歳からの京都の家族。ふたつもてつ稀有な経験の中で教えていただくとことも二倍・・・いやそれ以上でした。
毎年、各地いろいろなところから、個性的な15歳を受け入れて育ててくれる懐の深さ。
昔、舞妓さんのときにお客様に、「どうして西村さんの子はみんないい子なのかな。なんでだと思う?」とおっしゃっていただいたことがあります。私はなんとも、間抜けで「ごはんがおいしいから」と答えて爆笑されました(笑)。でもその時お茶屋さんのお母さんが感心してくださってこうおっしゃったのです。
「そうかぁ。それでようわかったわ。ご飯を作るというのは大変なことなんですわ。ここの屋形はそこをちゃんとしてあげはる。本当の愛情がなかったら、なかなか出来ることやないと思います。」
当時すでに80歳を超えていたお母さんですが、10代の口に合うように、ロールキャベツやハンバーグをお肉1キロ近くも使って作ってくださっていました。まさに愛のつまった母の味。実家はお商売で忙しかったので、私は京都に来て初めて母の味を知ったのかもしれません。まだまだ思い出話があるのですが、それはまたの機会に。不老長寿のお薬があるのなら、お母さんと姉さんに一番に届けにいきます。
昭和の初めに九州・大分で創業された長吉呉服店。
大叔父がはじめた呉服のお商売は、大叔父の早世で祖母が継ぐことになったそうです。その後時代は、着物から洋服中心の時代へ。長吉呉服店もその後、衣料のナガヨシへ名前を変えていきます。今は兄が4代目で衣料と介護用品を中心としたお店になりました。それでも、ずっと着物が好きだった祖母と母が、呉服部門を縮小しながらも残しておいてくれました。前回の里帰りで、実家の古いアルバムで写真を探したのですが・・・出てくるのは、イベントものの記念写真か、家で宴会しているお写真ばかり(苦笑)。真面目に店頭や店内で撮ったお写真がみつかりません!!
イベント好きも、芝居好きも、脈々と流れるDNAのものだとよくわかります(笑)。
大分の片田舎で、いろんなものを呼んできてたんですねぇ・・・。
第二次世界大戦も、バブル崩壊も乗り越えてお店を守り、育てていたご先祖さまたち。たくさんの白黒の写真にとても励まされます。きっとお客様に喜んでいただけることを、ああでもない、こうでもないと、模索しつづけいていたのだと思います。今の世の中で、呉服を続けるのは難しいと心配の声もたくさん頂きましたが、私はどうしても挑戦してみたくて、今の情報ツールであるネットで始めることにしました。
我が家にはお商売に関する家訓が多数あり、それを標に何十年の時を経て、長吉呉服店の独立再建に挑みます。
どうぞ、皆さま、お力添えのほどをよろしくお願いいたします。
歌舞伎座の團菊祭へ、着物女子会で行ってまいりました。三人の共通点は、祇園町の元・芸妓さん。10代から知っている気心の知れた仲間で、菊之助さんのご長男の初お目見得を拝見に。
私たちが10代だったとき、菊之助さんお兄さんも10代だったわけで・・・年月をちょっぴり感じる舞台でした。
まだ二歳の和史くん、2000人の観客を前に照れくさそうで、とっても可愛らしい。三本締めも、バイバイも上手にできました。
こうやって、勝手に親戚のおばさん気分のファンが増えていくのでしょうねぇ・・・役者さんって大変ですね(笑)。お友達の二人は菊之助さんにちなんで菊の模様のはいった附下で。私は時候で色無地に菖蒲の帯でよせていただきました。通りがかりの外人さんにも喜んでもらえて、着物って得ですねぇ。
浅草に用事があってお出かけしてきました。
駅を降りると笛の音がにぎやかに。
あれ?なんだろう・・・・?
なんと今日は、かの有名な三社祭りの初日だったようです。芸者さんや半被姿のいなせなおじさん方をお見かけして、なんだか得した気分になりました。
雷門の近くを通ると今度は涼やかな音色。
もう風鈴が売られる時候になったのですねぇ。
私が子供のころにしてみたかったお仕事のひとつが風鈴売り。昔、実家で幻のように現れた風鈴売りの衝撃をおぼえました。涼を売り歩く商人に憧れたものです。
三社祭は今日から3日間だそうです。
明日も出かけてみたくなりました。
すっかり初夏の時候ですね。
今日は東京は五月晴。
こんな日は衣替え日和ですねぇ。春物のをひっぱりだして、悉皆行きとタンス行きの選別を。
タンス行きはベンジンでちょこっとお手入れ。
そしてなにより大変なのはしわ伸ばし・・・
私はひざ裏にいっぱい汗をかくので、すぐ皺になっていまいます。まぁでも来シーズンに気持ちよく着るためには致し方ありませんねぇ。
汚れを見つけたら、そく悉皆です。祇園時代からお世話になっている悉皆屋さんへ。
昔から、焦って変な処理をしないように口を酸っぱくして言われていたのでちょっと高くついても、大事なお気に入りの衣装は無理をしないこと!これが長く楽しむためのポイントなのかもしれません。
わたくしごとですが、今日は誕生日でした。
何歳になったかはともかく(数えてたらおそろしいこといなっていました。母もおそろしいと言っていました・苦笑)、感慨深い一日です。去年のこの日はどこで過ごしていたか、その前の年は・・・毎年、なんの疑いもなく同じように、同じ人たちに囲まれて歳を重ねていくものだと思っていました。それがまさか私が別の道を歩むことになっているなんて。これは絶対に誰一人として想定していなかったことです。私自身も。
舞妓さんのときのように、ただただお祝いをしてもらえて浮かれている場合ではなくなってきて・・・不安ばかりが募るおひとりさまです(笑)。でも今日、電話、メールやライン、お花のお届け物、インスタなどで離れていてもお祝いをしてもらう中で、去年までと違う喜びがありました。どこかの歌にあった、一人だけどひとりじゃない、その感覚がちょっとわかった気がします。歳を重ねるってこういうことなのかな・・・嬉しいことに、気が付ける、そんな歳をの取り方をしたいなぁと思います。嬉しいことを増やすのは、周りじゃなくて自分の頭の中。そんなことに気がついたら世の中楽しいことだらけ!ということを少し学習した2016年のお誕生日でした。
来年の5月7日は、どんな日になっているのでしょう。そんなことを考えるとグーニーズ(←古い?!)の映画並みにドキドキです!!
今日は国立劇場に妹(祇園町での)の晴れ舞台を応援にいってきました。
なんと朝10時半開演で40曲の邦楽が演奏されます。終わるのは夜9時ごろでしょうか・・・
お弟子さんがそれぞれ晴れ着をお召しになって日頃のお稽古の成果を披露します。私はとっても緊張するたちなので、妹の幕になっただけで自分が弾くわけでもないもに、手に汗びっしょり。妹の舞台でそんな感じなので、自分の時は棹も、バチも水からあがったようになっていました。
彼女は堂々と、とても立派に道成寺を弾いていて、ちょっと誇らしい気持ちになりました。祇園のご縁での姉妹で血縁があるわけではないのに、やっぱり気になるし、心配だし、誇らしい。
私は実家では末っ子だったので、そんな気持ちを祇園で妹をもつまで知りませんでした。不思議な感じです。頼りないお姉ちゃんで申し訳なかったですが。
指揮者がいないのに、ちゃんと演奏できるのは何故なのか?確かにこれも不思議ですよね。「間」というものの面白さと怖さを感じます。たくさんの長唄を聞いて、あらためて邦楽の面白さを感じた一日でした。
これは我が家の桃太郎どの御一党です。
年に1度の出番に、毎年はりきって箱から現れます。
このお人形が来てから5月5日が楽しみなりました。
毎年、配置を変えては遊ぶのです。本来なら、桃太郎は鬼の上にのっているのですが、たまには犬にお手柄をゆずってもよいでしょう!犬も嬉しそうですし・・・でも家来の分際なので、活躍はぼかし気味に(笑)。
こんなことで、けっこう楽しめるものですねぇ。
来年には勘九郎さんのところのご子息の初舞台、二人桃太郎が歌舞伎座で上演されるとのことなので、桃太郎の帯を今から考案しています!
さて、今日は近所のお風呂屋さんでは菖蒲湯らしいので、邪気を払いに出かけましょうか。
連休に友人とお着物おでかけ。
行先は大江戸博物館です。両国の駅を降りて5分。
壮観な建物の中には江戸の世界が広がります。細部にまでこだわったこの博物館、江戸への愛と賛美がつまっていました。
ジオラマの数々は、双眼鏡をもっていけば何時間でも楽しめること間違いなし。ドラえもんがいてくれたなら、スモールライトで小さくしてもらって、この世界に飛び込みたい!!とも思わせてくれます。吉原も、芝居小屋もありまして、この日は大道芸を見せてくれました。ファーストフード発祥ともいえる、二八そばやお寿司屋さんの屋台も楽しい!
原寸大のセットではこんなお遊びもできちゃいます。
裏長屋では、洗い張り中の着物も干してあったり、4畳半での家族三人の暮らしぶりがのぞけたり。江戸庶民はは今でいう断捨離生活だったのですねぇ。物がないので、最後まで大切に使う。ごみ焼却施設の社会見学も大事ですが、江戸のエコな暮らしを学ぶのも一興。
シンプルな暮らしの中で、ちょっと遊び心のあるデザインを取り入れて生活を楽しむ。とても豊かな国民だったのですね。
新緑の美しい季節。五月に入りましたね。
一年の中で一番好きな季節です。どこに行くのも楽しくなります。
京都にいるときは5月の連休はみやこメッセの古書市にでかけていました。広い会場にたくさんのお店がそれぞれの自信の商品を並べていて、時間がいくらあっても足りません。この市を知ったのは、姉のご主人が古本屋さんだったから。
あがたの森書房というお店は、いまは美術書に力を入れているらしく京都のいくといつも美しい木版の本を見せてくれます。
斬新で美しく、丁寧な本の数々・・・よくぞ残っていてくれた!!と思うのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、生で見てもらえるときっとわかってもらえるはず!
今年は、東京にいるので古書市には行けなくて残念。5日までですので、京都にお住まいで連休なにをしようかなぁ~と思っている方はぜひ、足を運んでみてください!
50万冊の古書、圧巻ですよ。
4月の博多座、揺れがおさまらない中、実家のお店主催のバスでの観劇。震災後は見に行く側も、演じる側も苦悩の公演だったと思います。
賛否両論悩んだ末、出演者の方々が、あのハードな公演の休憩時間に募金活動をつづけてくださっていること、また震災後の口上のお話をきいて、決行いたしました。
結果としては、舞台を見にいかれたお客様が、とにかく喜んでくれました。震災後、幾日もずっと地震のことしか考えらず眠れなかった日々を、忘れることができた一瞬だったそうです。
演じる側と見る側が、お互いに「ありがとう」と手を握る姿は忘れられません。
歌舞伎の枠も、漫画の枠も、老いも若きもすべてを超えた究極のエンターティメントの力。
ONE PIECEという漫画を読んだことのなかった私ですが、メッセージのたくさんつまった作品なのですね。泣いて、笑って、驚いて。北川悠仁さんの楽曲「TETOTE」にも、元気をもらいました。。
再来年には再演が決まったそうです。まさにTo be continued!
みんなに幸せと元気を運んでくれる舞台の再演が今から楽しみです。
この度の、熊本・大分地方の地震、心よりお見舞い申し上げます。
当初このブログとお店は、4月半ばに始める予定でした。ですが、その日私の故郷である九州が未曾有の震災に見舞われました。今も、大好きだった熊本・大分で苦しい避難生活を続けている方がたくさんいらっしゃいます。
そして、まだ揺れ続けています。
何かしたいけれど、何もできない現状で悩みましたが、こんな時だからこそ、やっぱりお仕事をはじめようと思いなおしました。もし、被災地に私が何かできるとすれば、今すぐではないでしょう。15歳まで私を育んでくれた、そして今でも癒してくれる故郷の力に早くなれるようになるためにも、開店準備を始めることにしました。上の写真は、4年ほど前に熊本で撮ったものです。雄大で、美しい、大好きなところ。少し時間はかかるかもしれませんが、強い心で、支援の形を模索したいと思います。
九州のこと、ブログのこと、呉服店のこと、どうぞよろしくお願いいたします。
都をどりや温習会が終わってからの楽しみにひとつが遠出です。舞台の2,3か月前からお稽古で時間的にも気持ち的にもなかなか余裕がなく、どうしても気分の晴れない日々がつづいてしまいます。でも舞台が終わればごほうびが待っている!と思えば、どうにかがんばれるもの。15,6歳からのお客様の中には、親元を離れた舞妓さんたちにとって父のような存在なってくださる方も多く、そんな私たちを暖かく応援してくれたり、はげましたりしてくださいました。
「をどりが終わったら、今度できた大坂の高いビルに連れっててあげるから、がんばりや」と励みになる楽しい提案をしてくださって、お座敷にいる芸舞妓さんの日にちを合せて遠足の日取りを決めるのです。中学をでてすぐに祇園にきた私たちにとって、京都にないきらびやかは夜景も新世界の串カツも珍しくって芸妓さんも舞妓さんもおおはしゃぎ。京都を離れて、羽根がのばして・・・帰るころに「次は温習会やなぁ、舞台楽しみにしてるで。ほな次は鶴橋にみんなでいこな」「やったぁ~!」・・・他愛のないものです(笑)。花街・・・と聞くと艶めかしいイメージがあるかもしれませんが、私の中ではちょっと違っていておっきな家族のようなところでした。その中で密かに「お父さんズ」と慕っていたお客様方は、実際実の父より話す機会も多く、十五歳からの私の成長を見守ってくれていました。
お稽古の悩みも、人間関係も、その他もろもろご相談したり、またされたり。特に私は色気のあるタイプではなかったせいもあるのでしょうが・・・(苦笑)。今でも、お父さんズは、たまにこのブログを見てくださっていて、気にかけてくださっているとお茶屋さんのお母さんから教えてもらいます。そのたびに、心の奥がぽっと暖かくなって、心配かけないようにがんばろう、と思えるのです。もちろん、お母さんズ、お姉さんズはもっといらっしゃいますが、その話はまたの機会に。
私にとって四月三十日は二十年間特別な日でした。さきほど、カレンダーをみて、あぁ千穐楽の日なんやなぁと京都の四月の日々を思い出しておりました。仕込みさんにきてから祇園にお世話になっている間、この日を迎えるまで春の喜びなど感じることもなく(苦笑)。とにかく無事にこの日を迎えるのが毎年の一番の目標。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。都をどりはそれほど、特別で大切な舞台でした。二月から始まるお稽古から、寝坊しないか、舞を覚えられるか、怪我も風邪もなにがあっても四月三十日までは舞台に出なくては。一応私は本番にお休みをしたことはありませんでしたが、舞台稽古中にインフルエンザを第一号で発症したことが・・・・
一堂に会してのお稽古なので、翌日からバタバタと発症者がでて本番ギリギリまでお休みのひとがいたときには、もう申し訳なくて。翌年からは健康に過信することなく、嫌いな予防接種も都をどりを逆算して打ってのぞむようになりました(あまり早く打つと四月まで効力がないらしく)。一日四回の舞台で、役は毎日日替わり。総をどりと言われる群舞、お役つき、お囃子、お茶と毎日とかわります。役によって楽屋入りの時間も、準備も違うので油断ができません!!夜はお座敷もあるので、つい飲みすぎてしまうことも・・・ひと月お休みのないこの一か月のおかげで、いまどんなに忙しくても、なんとか乗り越えられるような気がします。
本当は今月にもっと都ををどりのことを書くつもりでしたが、バタバタしていて結局四月三十日。
時季外れですが今から少しずつ書くつもりです!!
都をどりで書画の展示コーナーを見てくださったことはありますでしょうか?
祇園の女紅場学園には書画科があります。今日は日本画科のおはなし。日本画の教室では、日展の先生が来てくださって教えてくださいます。芸舞妓さんは絵を描くのが好きな子が多いように思うのですが、いかんせんみんな時間がないので生徒数はそんなに多くはありません。学校にはちゃんと岩絵の具も膠も、金泊もそろえてくれている有難いお稽古場。膠を電熱のヒーターでくつくつ煮ながらお座敷で目にする日本画はこんなに大変な工程を経て出来上がるのかと最初は驚いたものです。
黙々と描く時間は無になれる大切な時間でした。毎年都をどりには出品させていただく四月に向けて何を描くのか決めて・・・。いつも締めきりギリギリなので、今年こそは大丈夫!と早めに決めてもやっぱりギリギリ。お稽古の合間をぬっては教室に駆け込んで書き進めいくのですが・・・素人なりにみなさんこだわりの強いので最後の最後まで粘ります(笑)。私もその一人・・・先生にはご迷惑をたくさんをおかけました。今でも、もしいつか時間ができたら、日本画を描いてみたいなぁっ思います。岩絵の具の箱を見てるだけで幸せな気持ちになれますから。もっとたくさん描いておけばよかったな。
舞妓さんといえば「だらりの帯」。花見小路を歩く舞妓さんの背中に大きくゆれる美しい帯は、まるで夢の世界に迷い込んだような気持にさせてくれます。大きく染帯と織帯があり、6~7メートルもあり、下にはそれぞれの屋形の家紋が。これは一説によると昔はまだまだ幼い年の舞妓さんで、夜遅くになって迷子にならないためのものだったと聞いたことがあります。特にいまは屋形の件数も少ないので、後ろ姿でどのこの家の子か一目でわかるのです。染帯の時期になると、かぐや姫の
帯や、長刀鉾の帯、フルーツの柄など、楽しい帯も
多く見ていても楽しくなります!!この帯には、大きな帯枕がふたつも使われており、その重さと大きさだけできっとみなさん驚かれるはず。男衆さんの着付けでしっかり結んでいただかないと、体への負担は大変なものに。でもこの衣装、男衆さんはたったの5分で着つけてくださるのです。まさに神業!
半だらり、といいうのを皆さんはご存知でしょうか?これは約一年間の仕込みさんをへて、お師匠さんから店だしのお許しをいただいた子がデビューの約ひと月前から見習いにいく時の格好です。舞妓さんは、だらりの帯。でもまだ半人前の間は半分のだらり。初々しくて可愛い恰好ですよね!
見習いさんというのは、今でいうとインターンみたいなもので、決まったお茶屋さんに行儀見習いで預かってもらうのです。西村さんの子は一力さんへ。私も一力さんでたくさんのことを教えていただきました。
おしろいをするのも、髪を結うのも、裾をひくのも、お座敷に出てお客様や、よそのお姉さんとお話するのもはじめて。まだ16,7の女の子には心臓がはりさけそうな毎日・・・くたびれて帰っても寝るのは高枕。
おしろいは、もうとにかくひどくて、毎回笑われて。今の子は比較的みなさん上手ですが、当時は本当にみんなひどかった・・・(苦笑)。「なんえ、
おしろい壺から出てきたみたいやな」なぁんてことも言われて「おしろい壺ってなんどすか?」って聞いてまた笑われて。祇園小唄も裾がからまって上手に舞えなくて、そんなときは地方さんのお姉さんがすこしお三味線をゆっくりしてくださったり(笑)。失敗談は数えきれません。お座敷のどこが上座で、どこに気を配らねばならないのか・・・お酒の種類、タイミング、暗号のような言葉。「ハテナ?」の日々が続くのでした。
お着物のいいところ・・・それは何度でも生まれ変わってくれること。本当に気に入った一枚の着物大切にきて、何度も八卦をかえてみたり、最終的にはお座布団や炬燵布団になったり、最後まで楽しめる。いいものだなぁと思います。
この梅の小紋を購入したのは10年ほど前、ぽってりとした縮緬にグレーの濃淡で描かれた反物はひと目で気に入ったものでした。当時まだ20代(後半ですが)だったので八掛は呉服屋さんが地味になりすぎんように、とこの色の八卦を選んできてくれました。年に二か月ほどの出番の着物ですが、色目としては地味なようで華やかで着ていくと周りの方に喜んでいただける一枚は、春先には大活躍。洗いにも何度だしたのでどうしても縮んでしまい今回仕立て直しに出すことにしました。さて八掛選び!春めいた薄色をいろいろもってきましたが、思い切って地味目に。今度はじっくり帯で楽しめる着物になりそうです。来年の楽しみができちゃった(´艸`*)!
今日は息抜き投稿。
祇園甲部の女紅場学園の非常口案内です。ある日さりげなく非常口のマークが書き換えられていました(´艸`*)。
こんな遊び心ののあるひとが、女紅場にいたなんてー!!(←失礼・笑)ちっちゃく衝撃でした。
舞妓さんの学校にふさわしいこのマーク、丁寧なようで、まぁまぁいい加減なこのバランスが絶妙です。肩にはちゃんと縫い上げはあるし、翻る袖に緊急事態の緊張が走ります(笑)。
ところで国際規格として世界で見かける緑の非常口マークはなんと日本人がデザインしたものなんですって。たまにこんな風なパロディーをみつけてはにやけています(笑)。
ちなみに、弥栄会館のお手洗いの案内もかわいいので、この春おでかけの方はぜひチェックしてみてください!!
仕込みさんに入って、毎日毎日お母さんからいろんなことを教えていただく中で、最初の課題がお箸の上げ下ろしでした。屋形にはいって、用事を覚えるより先にまずは毎日のごはんですから。私は心強いことに同じ家にもう一人仕込みさんがいて同期として、まるで双子のように大きくなりました。私は握り箸で、彼女は左利き(笑)。毎回のごはんの時に、お母さんに丁寧に教えてもらうのですが、癖のものですからなかなか大変でした。そんなん気にしていたらご飯の味もわからへん。使えるならいいやん!って正直ちょっぴり思っていて(笑)。
でもその時にお母さんが、なぜ直さなくていけないのか諄々と説いてくださって。「舞妓さんに出たらな、お客様の前で一緒にごはんよばれんならんときもあるし、お取り分けせなあかんときもあんのえ。そのときにおかしなお箸を使い方してたら笑われてしまうやろ。そやさかいに今の間に直しとかんと。」・・・ああ、それは直しとかな・・・と子供心に納得。どうにかお店出しまでには間に合ったのでした。あとご飯を早く食べること、お風呂に早く入ることも、まず教育してもらいました。昔なら家や学校で当たり前に教育されていたことが、私たちと時代ぐらいから個性や、自由という言葉でなおざりにされ始めていて、屋形のお母さんは教えることが10倍、いや、もっと増えたのではないでしょうか。
「私、舞妓さんになる!!」と九州大分らからでてきたのは21年前の春。祇園には同期が6人いました。あまり多い年ではなかったのですが、なんと100%の生存率で翌年にはなんと6人とも舞妓さんデビューできた珍しい年。うちの同期はドライでベタベタ付き合うタイプではなく、とってもマイペースな仲間で、今も変わらず付き合っています。同期というのは友達ではなく、同志。学校のときのとは違う関係性が心地よくもありました。
3月の中学卒業後すぐにお世話になる屋形にはいり、住み込み生活がはじまるわけですが・・・着物もちゃんと着た事のない子たちを1年でお座敷に出られるようにするのは並大抵のことではなく、それはお姉さんもお母さんも、お師匠さんも根気のいることだったと思います。そして本人たちも。故郷も、育った環境もバラバラな私たち。預かってもらっている屋形のしきたりや、家風も大きく違う中でお互いを励ましあい、大きくなっていきました。
お世話になった「西村」さんでは、仕込みさんの当初は高下駄と半幅帯で。この下駄が嬉しくって!髪にはリボンのついたネットがお姉さんがお下がりで。着物も最初はお姉さんやお母さんが着せてくれますが、そのうちすぐ、一人で挑戦させられて・・・お稽古いく前に、見せにいって直してもらってちょっとずつ着られるようになる、そんな感じでした。ある意味ちゃんと着付けとして習っていないので、今でも自己流です。近年では着付け教室に行かないと着物は着られない風潮がありますが、ほんの100年前の普段着。難しく考えすぎのような気もします。もっと肩の力をぬいてお着物を着ていただけたら、着物文化が少しだけ広がるのに。手にもっている長細いものはお扇子入れ。仕込みさんのお稽古は、これだけを抱きかかえて門前のお稽古場に通うのでした。そうそう、一度6人のうち一人だけ100円のたまたま持っていたことがあって、お稽古帰りに缶ジュースを買ってビルの陰でみんなで飲んだことがありました。いっぱいのカケソバならに缶ジュース。これが帰ってから、こっぴどく怒られて・・・正直当時はなんでこんなことでここまで怒られるのかさっぱりわかりませんでしたが、今になれば有難い教えだったと思います。そして祇園町の情報網の速さに震えあがった事件でもありました。門前のお稽古場から家に帰るまでに、情報のほうが先に届く。それぐらい街全体が見守っているその、有難さと怖さを最初に知った甘露でほろ苦い、缶ジュースの思い出です(苦笑)。
銀座の真理福さん姉さんのところにかかっている私の大好きな絵。とっても懐かしく、あったかい気持ちになれる絵です。
いろんなお姉さんのことを思い出す一枚・・・今は私が左側のお姉さんじゃないといけないんだろうけど、この絵をみて自分を映すのは舞妓さんの姿。あったかい気持ちになる半面、私は最後までお姉さんになれていなかったんじゃないかなぁ・・・と反省する絵でもあります。
こうやって、姉妹筋ではないお姉さん方も着物や簪を直してくださって、それが恐縮しながらも嬉しいものでした。花街の中では、基本お母さんとお姉さんしかありませんが、本当に祇園の先輩みんながお姉さんでお母さん。先輩のお姉さん方はわりと個性的で(笑)、憧れと恐れを抱きながら育ちました。
よく、イジメとかあるんでしょ、と山村美沙サスペンス好きのお客様に聞かれていましたが(笑)、意外とないものでイジメはありません!好き嫌いがはっきりしているだけで陰湿なものではないのです。これをイジメといえばそうなのだけど・・・ちょっと違う。上下関係がしっかりしている、個人主義の世界。きつく言われいるとどこかで違うお姉さんが見ていてそっとフォローをしてくれる、なんとも言えないバランスのおっきな家族。そんなあったかいところでした。
祇園の路地の奥にひっそりのある和菓子屋さん。甘泉堂さんというお店なのですが、ここの羊羹は絶品です!!今なら栗蒸し羊羹、夏なら水ようかん。仕込みさんのときにこちらの水ようかんをよばれたときの衝撃。いくらでも食べられる品のいい甘さと舌ざわり。いつか一本食べてみたいっ!と思った私は、自前になって本当に挑戦しました。
ここのお店は味ももちろんですが、敷居の高さも値打ちがあります。無人の店先に立ち、ひたすら「すいません~」と呼びかけ続けないとお店の方が現れてはくれません。そして奥から・・・・とまぁ、あとはいってのお楽しみに。うちの母や呼びかける前に店先でかなり躊躇⁽笑)。買ったあとも「さすが京都・・・」としきに感心していました。羊羹の他にも、不思議な形の最中やお汁粉。バレンタインには予約制のハートの薯蕷饅頭なども。わりと遅い時間まで開いているので、お土産を買い忘れたときなどにも重宝なお店です。
祇園の隠れた名店のご紹介でした!!
2007年は貫一お宮。そう熱海の海岸を散歩する、悲恋のあの二人です。これを思いついたのは、お客様が歌うカラオケを聞いてでした。実際には詳しくお話も知らなくて・・・まぁでも、なんとなくダイヤモンドに目がくらんだお宮ちゃんと、今月今夜の名セリフでお客様世代にはおなじみかなぁと⁽笑)。歌舞伎の演目を選んでも、お客様の三分の一は演目自体を知らない方が増えてきたころでもありました。
そしてなにかほかの組と違うことがしたい私は、パロディーに当時オダギリジョーさんのCMのライフカードを選んだのでした。お客様が貫一お宮のENDを選べる・・・「お金」「勉強」「愛」三パターンのオチがあるというわけです。「お金」は浜田省吾さんの♪MONEY 「勉強」はなんだったけなぁ。「愛」は♪愛の讃歌を選曲して。二日間で約八十件まわるのですが、酔ってくるとお宮を蹴る足に手加減がきかなくなって・・・お化けが終わるころにはお宮ちゃんがアザだらけ(;゚Д゚)!
ごめんね、ごめんね~と蹴っては謝る、まるでDVな彼氏のような二日間だったのでした(苦笑)。
もぉもたろさん、ももたろさん♪
この年に選んだのは桃太郎でした。なぜこの曲を選んだのか・・・・それはコンビを組む彼女は絶対に桃太郎が似合うと思ったから(笑)!私の目に狂いはなく、凛々しい桃太郎姿に!!
ということで・・・私は犬に。雉と猿も揃わねば鬼退治どころかお座敷にもいけません。猿は東京のぬいぐみやさんで調達。雉は剥製というわけにもいかず、京都造形芸術大学さんの学生さんに協力していただきました。重たくなく、かわいく、おしゃれな雉を・・・という無理なお願いをテスト期間中の彼女たちは完璧に仕上げてくれました。発砲スチロールの雉!しかもネックレスなどの装飾のついた超ラブリーな雉に。鬼退治もテンションが上がるってものです。
私の「犬」問題も大変で。裏方さんに知恵をしぼっていただきました。まずは鬘。遊園地で見つけてきたおもちゃの耳を鬘に!お化粧も犬らしさを追及しながらも芸妓のかわいらしさをギリギリに残して(笑)!衣装は・・・どの袴が犬に見えるか、いっぱい並べて選ばせてくださいました。
そして当日には、なんと背中に「いぬ」のサプライズ!!いつも都をどりでお世話になっている最強のメンバーが、お化けも本気で遊んで考えてくださるという心強さ。このクォリティに支えられて、胸を張ってお座敷に行けるのです。確かこの時はパロディは平井堅さんのPOP STAR。真顔でJ-POPを踊る桃太郎と犬・・・シュールでしょ(笑)。
そして祇園では今日からお化け。妹たちが三人で初お化けをします。応援したくって新幹線に飛び乗って、この記事を書きながら京都へ向かっています。お化け魂(なんやそれ・笑)、引き継いでもらえたようで嬉しいです。
この演目は「猩々」と呼ばれるもの。お酒が大好きな妖怪・・・有名な演目で能にもありますし、井上流でもありますが、本来若輩には舞えない大切な演目なのです。ですがお化けは一応別物。
一年に一度違うお流儀の舞を習ってもよい行事なのでこの時とばかり選びました!この真っ赤な鬘と衣装を着てみたくって!そう、意外と単純な理由で演目選び⁽笑)。
このように、たとえ余興であっても本物の拵えをして、お座敷をまわるのですが・・・二日間で80件ほどお座敷をまわらせていただくでしょうか。ようは80回踊りも踊ります。ひたすら、踊って、飲んで、走る!!最後のほうはもうわけのわかないテンションに⁽笑)。
そして衣装は舞台の時ではありえない酷使で傷んでしまうのです。二日目にはそれを衣装やさんが苦笑いしながら丁寧に直してくださって、また出陣!!
ちなみにラメできらめく酒壺はサヨコ特製です。父からの遺伝か小道具を作るのが大好きな私はこの年あたりから道具つくりにもはまっていきました。
いそいそとノムラテーラーに通っては、夜な夜な小道具つくり。ちなみにオレンジの紐は鼓の調べをわけてもらって。改心の出来の壺でした(´艸`*)。
自画自賛ですが。
さて・・・せっかくお酒にまつわる演目をするのだから、パロディーもお酒にしなくては。
「SAKE」と書かれた箱に、一升瓶を仕込んでいざお座敷へ!酒壺の中には、五合は入る朱塗りの大盃がしのばせてあります・・・そう、お客様への振る舞い酒です!!
パロディには子供のころにCMで聞いていら「カッパパ~飲んじゃった~、ちょっといい気分~♪」を選曲。この曲、もう舞妓さんで知っている人はいなんでしょうねぇ・・・
頭におさらも乗っけて、見てください、この笑顔!楽しそうでしょ?!楽しいんですよ~。
お酒を振る舞うと返り打ちにあうこともしばしばで、九時を回るころには早くも、いい気分~ウィッ
なのでした。
早いもので一月も今日で終わり。明日から二月です。祇園にいるころは毎年この時期は節分のお化けの準備におわれている時期でした。そもそも厄払いとして常と違う格好でお参りにいったのが起源のようですが、花街では格好だけにとどまらないとっても楽しい風物詩です。この日は芸妓さんが気心の知れた仲間と組んで、仮装をした上でお座敷で芸をして歩くのです。芝居好きの私は舞妓さんの時からずっと憧れていた行事のひとつでした。襟替えをするやいなや、すぐに同期の子とお化けデビューしたときの演目が「勢獅子」。初参加なのでなるべく軽装で場のあるものを・・・こんな風にちゃんとお祭りの格好をして、お座敷で長唄に合わせて踊りを踊ります。獅子舞もあるので厄払いにお客様の頭にかみつたりして喜ばれたものです。そしてお化けには必ずパロディーが。同じ家のコンビだったので「兄弟船」を選びました。私のポリシーとして私の知る限り祇園で見たお化けの演目はしない!と固く心を決めて2003年から2015年まで、毎年一年で私が一番はりきる節分がはじまったのでした。
しばらくが私の渾身のお化けシリーズをアップしていこうと思います。お付き合いいただけたらうれしおす。初年度はこんなものですが…年々すごくなっていくのでお楽しみに!!なにせ、一年中来年のお化けをなににするか考えているような芸妓でしたから⁽笑)。
友禅の打ち合わせに京都へ。久々に地下鉄に乗ったら・・・「あ~!!わたし!」!!
舞妓さんの最後の年に、都をどりのポスターに描いていただいたものが今も観光協会のポスターに使われていて忘れかけて、いた頃にこうやって見かけるのです。かれこれ十七、八年前ですかねぇ。こうやって見かけると懐かしくってうれしいものです。
右のお扇子を持つ手に私の癖がでていて、当時姉さんに「紗代子さんの手やなぁ」って言われて苦い思い出も一緒に思い出します⁽苦笑)。
都をどりのポスターは昔から日本画と決まっていたようで、かつては磯田又一郎さん、秋野不矩さん、広田多津さんなども手がけておられました。こちらの絵は辰巳寛先生で、今は女紅場の先生でもあります。都をどりの会場では昔のポスターも飾られていて、日本画がお好きならこちらもなかなか見応えがあって楽しいですよ!
これは昨年のお正月にとったもの。
親戚一同で着物を着てお参りにいこう!という物好きな母と私の企画でこんなに賑やかな一団となりました。それにしても着物とはなんと素晴らしいことでしょう!
この中で一番古いものは赤い被布も下のピンク小紋。おおよそ40年。これ、母と一番下の子以外全員着たことがあります・笑!!あ、いやまてよ。もっと古いものが。右端の紅白の絞りが母の10代のものなのでもっと年代物ですね。他にも私のであったり、姉のものであったり、姪っ子ものであったり・・・それぞれの年頃に合わせて共有できる着物。それは思い出の共有でもあります。
前の日に着物を引っ張り出しててんやわんやでしたが、とっても楽しいお正月になりました。
ちなみに、男性軍は拗ねモード。どうやら着たかったようです・笑。来年には亡くなった父の着物も、縫い上げをして甥っ子も着られることでしょう。
箪笥にお着物の眠っているアナタ!めんどくさがらずに来年のお正月はご家族で着物で初詣、いかがですか?!
新春の新橋演舞場へ舞妓さんが観劇に。
私も歌舞伎の大好きな舞妓だったので、歌舞伎に、しかも東京のお芝居へ連れていただけるときは指折り楽しみにしていたものです。だいたいこういうときは「そんなり」といってお白粉をぬらずに、普段のお化粧でおでかけします。着物もお芝居にもよりますが、小紋や附下で・・・屋形にいる間はお母さんの用意してくださったものを着ていきます。南座など劇場が近いときはショール程度ですが、大阪や東京のお芝居の時は道行を着て。
よぉくみてみてください!!肩にはちゃんと縫い上げが!舞妓さんの身に着けるものには振袖、お稽古着、見えないけれどお襦袢、そしてこのように道行や雨ゴートにまで縫い上げがあります。
もうこれ以上は大きくならないのですが(なっても困りますが・笑)、幼さを演出するために縫い上げを続けるのです。喪服も同様で、縫い上げがあり、お袖も長さも長め。たったこれだけでのことで、喪服でさえもどこか幼く可愛らしくなるのが不思議です。翌日の昼の部も見て帰るそうで、とっても嬉しそうな二人なのでした!
今日で紋日も終わりですね。明日からは日常がもどります。先日1月8日に京都国立博物館の新春の催しがありました。春の舞、と題して祇園甲部の芸舞妓さんが、一階ロビーの特設舞台で二回公演舞を舞い、簡単な説明や質問なども加わる舞台。
この写真は第一回のもので、去年のお写真です。
そもそもは、不定期で京都国立博物館にお世話になり勉強会をしていたのが発端で、お声がけいただいた催しでした。今年は去年にも増して大盛況だったとのこと。ご縁がつながっていくのはうれしいかぎりです!!
お正月の十五日までのこの時期は、七日と十五日は黒紋付きで、他は色紋付き。普段の裾引きよりも少し豪華な衣装で、三つ紋です。
今年は芸妓さんが「せっかくなら」と黒紋付きにしてくれたそうで、華やかな中にも凛とした美しさがあったことでしょう。私は今年は用事が重なって当日のお手伝いはいけませんでした・・・(涙)
来年も、引き続き開催予定ですので、ぜひ皆様2018年のお正月は国立博物館へ!
お勉強会の様子も、そのうち載せますね。
あけましておめでとうさんどす。
新年のご挨拶が今頃にになってしまいました。
年末年始といろんなことが変わり、動き出し、気が付いたら2017年を迎えていました。
長吉呉服店はじめてのお正月です。とはいえあまりのバタバタで。格別なにをするわけでもないのですが、お正月飾りを買って、鏡餅を用意した程度。京都のころは、根引きの松を買ってきって、半紙に巻いて水引で結んで門に用意したものですがさすがに東京ともなると・・・そしていまの家の佇まいにはしっくりこないので(笑)。
今年はどんな年になるのかなぁ・・・なんて考えていましたが、どんな年にするかは自分次第。
旧年中にいただいたご縁を大切に育みながら、私らしい2017年にしていこうと思います。
本年も、よろしくお願いいたします。
久々に祇園でのお話を。このカゴを見たことがありますでしょうか?舞妓さんや芸妓さんが裾を引いた格好のときお座敷に行くときもっていく鞄=カゴです。
店出しのときには舞妓さんは赤、芸妓さんは薄紫や水色などの無地に名前の縫いの入ったものを誂ます。普段はかわいい小風呂式や布を見つけて、祇園の幾岡やさんに持っていくと誂てくれるのです。紐もお店で選ぶのですが、紐一つで舞妓さんらしくなったり、芸妓さんらしくなったり。
夏は白、冬は黒のカゴ。一時は国内でのカゴがなくなりかけたことがあり、小風呂敷ではほんの少し足りなくなって困った時期もありました。
気になる中身は芸舞妓の舞のお道具の舞扇や手ぬぐい。お化粧直しのお紅やコンパクト、千社札、手鏡に櫛・・・などなど。私は必ず本を入れていました。お客さまのご到着が遅れて、お座敷待ちの時間の時に読む本。この本のおかげで、待ち時間がちっとも苦ではありませんでした。ただしその分カゴは重たくなってしまって。いつも筋トレ状態(笑)。今でもその癖は抜けなくて、カバンに本が入っていないと、どこか落ち着きません。待ち時間はスマホを触っていることのほうが多くなってきたのに・・・(苦笑)。
開業するのあたり「長吉呉服店」を消し札を作ってちょうど一年。携帯電話につけて肌身離さずもっている消し札を書いてくださった師匠のお店に奇遇にもだどりつけたのは私にとって幸先のよい嬉しい出来事でした。
最近、本当に不思議なご縁がたくさんあります。
京都にいた20年につながるご縁で、でも京都にいるときはつながらなかったご縁。
東京にでてきたからこそ、つながったご縁です。
つなげてくださる方にも感謝でいっっぱいで、鷲さまにも手を合わせますが、縁を運んでくださった方にもこっそり手を合わせています(笑)。
先日、初めて酉の市にいってきました。11月の初めての酉の日の市だった11日。待ち合わせの時間を聞いたときは耳を疑いましたが、午前0時から始まる市だったとは!!この日は0時ごろから小雨がぱらついていて、鷲神社につくと電球色の中に色とりどりの熊手が華やかに飾られて、どこか違うところへ迷い込んだような不思議な景色でした。京都のえべっさん(十日戎)に当たるものなのでしょうが、もっといろんな色が入っていて、えべっさんに比べどこか異国情緒を感じました。
たまたまお供した先で私も初熊手を購入することにしたのですが・・・そこでなんとも嬉しいご縁をいただきました。名前を入れていただく際に「長吉呉服店、知っているよ!」と。お店の中を見上げると橘右之吉師匠が!!寝ぼけまなこの私は一瞬なにがなんだか・・・(笑)。
伺ったお店「よし田」さんは後で聞けば師匠ゆかりのお店だったのです。
ずっと憧れだった京縫の教室へご縁あっていかせていただきました。京都でもとても有名な長艸縫工房さんの体験教室で、今回は袱紗入れに挑戦。地色のグレーは事前に決めていましたが、糸の色は当日に選ばせていただけます。今回は水色系、紫系、オレンジ系が用意されており、私はオレンジを。
紋付などのよく使われている京縫はある意味身近にあるものではありましたが、こうやって挑戦させていただいて改めて祇園にいるときになんと素晴らしい着物を着させていたんやなぁと思いました。こんな風にして、あの紋付の菊の花弁は一枚一枚化粧されていったのかと。同じ糸でも先生が針をもつと糸の艶がでます。当たり前なのかもしれませんが、目の前で見ると本当に不思議。伝統工芸士の技をこんなに近くで拝見できて、とても幸せな時間でした。いつか時間と財力ができたら通いたいなあ・・・。
先日のハロウィン、皆様は仮装なさいましたか?今回は色の連想コーデのお話です。もともとはヨーロッパの行事で秋の収穫を祝い、悪霊を退散させるためのもので日本人には関係のないもののはずですが、いまや一大イベント。そこらじゅうにカボチャの飾りや、衣装があふれます。祇園にいたころの節分のお化けに近いのでしょうが、まだまだハロウィンは私にはなじみのないもの。そんなときに、この着物コーデででかけたら、「すごい!ハロウィンコーデですね。さすがす!!」とほめていただきました。
正直私にはなんのことやら・・・(苦笑)。だって、薄紫の花扇の附下に御所解の帯でとっても古典な組み合わせなど思っていたので。聞けば色目なのだそうです。紫✖黒✖オレンジはハロウィンを連想させるものだったそうで聞けば納得。ということでその日は「ハロウィンコーデです」とさも得意げに過ごしました(笑)。
先日の京都で、とても素敵なご縁をいただきました。たまたま立ちよった祇園のカフェでオーストリアから来た花街と日本文化が大好きな女の子がいて、今回の来日で着物を作りたいのだど・・・・でも言葉の壁もありなかなか難しいというお話を伺いました。相談ぐらいならお手伝いしますよ~という話から、今回のご購入に至りました。
舞のお稽古にも、鼓にお稽古にも通っている彼女は、どこか日本的な物腰でとても素敵な女性。薄い色のお着物を探していたそうです。そんな中で彼女が私のホームページからお気に入りの一枚を選んでくださって!!
この大人ピンクの一枚、金の入った少し洋の要素をも入った模様。オーストリアでも、観劇、コンサート、およばれ・・・どんな場面でも活躍間違いなしのお着物を選んでくださいました。日本文化を積極的にお勉強している彼女とのお話の時間はとても楽しくって。
外国の方から見た日本、京都、祇園、伝統芸能、着物。日本人が思っているよりずっと魅力的です。
ただ、日本人でも敷居が高く、入口の見つかりにくい世界でもあるのも事実。彼女のように、ちゃんとした着物を一枚持つことでさえも、簡単なようで難しい。日本人でもそう感じることの多いところなので外国の方にはなおさらでしょう。どうしてそんなことのなっちゃうのでしょうねぇ。着物や歌舞伎に興味があるけど、入口がみつからない方!ぜひ長吉呉服店へご相談ください!!
自分の大好きな世界を少しでも理解していただいて、広めたい。彼女との時間の中でそんな風に思いました。
随分とブログをご無沙汰してしまいました。8月末からの遠征にはじまりバタバタと日々が過ぎていって、ふと暦を見ると10月も半ば・・・さて、久々にブログ、何から書きましょう。こちらは前に足立美術館に行ったときに魯山人コーナーの部屋で見つけた言葉です。よく、「ロサンジン、ロサンジン」と耳にする有名な魯山人ですが、この足立美術館に行くまでは正直そんなに興味深く思っていませんでした。このことばを見たときに、なんてカッコいいのだろう!と。そして日本人をとてもよく表している。‘’仕事は辛くて当たり前‘’これが常識とされるのが不思議ま風潮。楽しんで仕事しているちょっと浮いてしまうような・・・なので、ちょっと辛そうに演じてみたり(苦笑)。仕事の中に遊びを見つけても、楽しんでも、別にいいのか・・・とちょっとホッとしたものです。
私はとにかく遊ぶのが大好き。
インスタグラムのハンドルネーム(?)が『ASOBIWOSENTOYA』というぐらい遊び好き。仕事でも趣味でもなんですが・・・趣味だけで遊んでいると霞を食べて生きていかなくていけなくなるので、仕事にも見つけることにしています。帯の制作をしていても、小物の包装をしていても、強行軍で京都へ仕事にいっていても、どこかいつもわくわく楽しい。でもそうするとまるで仕事をしていなくて遊んでいるみたいに思われたり見られたりするのです。自分の中でそこがどうも違和感があったのですが、このことばを拝読して救われました。魯山人もこうおっしゃっているし、別にいいんだ!!さてさて、今日はどんな楽しいことを見つけて遊びましょう!
あ、もちろん辛いこともしんどいこともあるんですよ!!だからやっぱり「遊ぶ努力」。遊びを見つける努力は大切です(笑)!!
なぜか、虎屋さんのお饅頭ではなく、キティちゃんの薯蕷饅頭がのっていますが、お皿は都をどりで使われるだんご皿。
全部で5色あるのをみなさん知っていましたか?初めて都をどりに行ったときに、お皿を持ち帰ることに驚きました。なんて太っ腹なのでしょう!!
そしてこのお皿、大活躍なのです。お饅頭はもちろん、おかずも、おつまみも、果物も。ほかの花街もお皿をくれますがsれぞれの町によって、工夫があって集めるとなかなか楽しいものです。それにしてもこのだんご皿、なにを載せても、なんとなくおさまるデザインと、絶妙な大きさ。しかも割れにくい!! いつからお皿をおまけにつけてくれたのか知りませんが、都をどりの記念にもなり実用性のあるお土産。これを一番に考案した人物に会ってみたかったなぁと思います。
ちなみにもっと前のだんご皿は、色の鮮やかな永楽さんだったります。たまぁに京都の骨董品やさんで見かけることも。私もこれを大事にとっていたら、孫の代ぐらいには高く売れるのかしら・・・なぁんて考えてしまいます(〃艸〃)。
京都の溶けてしまいそうな暑さの中、白地の浴衣を着て歩く舞妓さんを見かけたことがあるでしょうか?毎年井上流の誂える浴衣は、必ず白地。小さい子供お弟子さんから大きい(年を重ねた意味)お姉さんまで似合うのは、どうやら白地なようです。そして小さな柄が多いのです。柄は毎年かわりますが、今年は団扇の柄だったようですね。桔梗や観世水、茄子、カエルの年もありました。
今年はどんな柄やろ~?と毎年楽しみでした。毎年なので、けっこうたまっていって、十枚以上白地ばかり(笑)。
それにしても和傘の日傘に白地の浴衣姿の舞妓さん、なんとも涼し気に見えますよねぇ。もちろん着ている本人たちは暑いのですが、見ているまわりに涼を運んでくれる素敵な姿。
舞妓さんってほんとうに絵になりますね。
先日、京都へ打ち合わせに帰ってきました。
降り立ったって空気を吸った瞬間に「ああ!!京都だなぁ」と実感しました(笑)。
東京でも、九州でも、気温としては同じぐらいになることもあるのですが、やはり1200年の古都は違います!20年もこの夏を過ごしたわりには正直くらくら(苦笑)。でも、これでこそ京都だとも思いました。お昼は浴衣姿の舞妓さん、夜には花見小路を次のお座敷へ急ぐ芸妓さんを見かけて・・・
あんなに重装備をしながらも、なぜかTシャツで歩く人たちよりも涼し気に見えるから不思議です。よくお座敷で「暑くないんですか?」と聞かれていましたが、なるほど聞きたくなるほど涼し気。本当は溶けてしまうほど、暑いんですけどねぇ。着物をきちっと着ていたら、着ている本人はともかく、まわりには涼を運ぶものらしいことを発見した京都でした(笑)。
夏になると、京都のお店などで見かけるこの団扇。これは、芸・舞妓が夏のご挨拶にお茶屋さんやご贔屓のお客様、またよく行く喫茶店やお店などにお配りするものです。お店にとっても、ここは芸舞妓さんがよく来てくれるのですよ、という宣伝にもなるわけですね。
朱の色で大きく書かれた名前。右に書かれていているのは、屋形にお世話になっている人は屋形の屋号に、自前さんのお姉さんは実家の名字になります。裏の家紋もまたしかり。
昨今では私をふくめ、日本全国から舞妓さんに憧れて京都へでてきます。名字も地方の名前でかわったものがでてきたり、また家紋という風習のない地方からの子もでてきたり。ゆっくり見るとまた楽しいものです。うちはいたってノーマルな丸に橘ですが、前にいた芸妓さんで、ほっぺにペケ印のついた少しヤクザな雀が三羽円陣をくんでにらみあっている、とても面白い家紋がありました。なんていう家紋なのだろう・・・と気になりながら、聞けず仕舞い。今度紋帳で調べてみなくては。この団扇、なんとなく普通の団扇と違う風を運んでくれる気がするから、不思議ですね(笑)。
私の初めての縫物の浴衣を、甥っ子が袖を通してくれました。まだつかまり立ちの8か月の男の子。
この反物は和裁の先生が、入用分だけわけてくださったものです。今時なかなかこのような古典柄を、しかも入用分だけわけてくださるところは少なくて助かりました。
兵児帯は実家から母がもってきてくれたもので、かれこれ50年物の年代物です。叔父、兄、甥っ子と世代を経て大活躍。この緑の色も今はなかなかみかけませんねぇ。渋くってなんともかわいい。
甥っ子はとても古典的なTHE日本な顔だちの子で、今回のコーデがぴったりで大好評!!
一つ身なので、2、3年は着てもらいたいところなのですが、お父さん似なのですぐにおっきくなるのかもしれません。
少し早いけれど次は四つ身に挑戦しようかな。
自分の縫ったものを着てもらえる喜びを感じた、1枚目のお仕立てでした!!
父が亡くなって、16年。今年は17回忌でした。私が舞妓さんの時に急にこの世を立ってしまった父。父と過ごした時間は中学卒業までなので、同じだけ父のいない時間が過ぎました。舞妓さんになるのを反対していた父で、男親だからやっぱり心配性。ホームシックになって公衆電話から家にかけると、母は「屋形のお母さんが心配するから」と怒るのですが、父が出ると「水はどうだ、辛くはないか、帰ってきてもいい」。まさに飴と鞭でした。でも反対を押し切ってでてきた手前父には心配かけられないので強がって「みんな優しくて、とっても楽しい」と言って電話を切っていました。あの電話があったから、舞妓さんデビューまでもったのかもしれません。いっぱい聞きたいことがあったのに、反抗期や照れでなんにも聞けずじまい。今でも枕元でもたってくれればいいのに、と思います。アウトドアとものを作るのが好きなのは父譲り。きっとこんなちょっと変わったローソクも喜んでくれるはずだと選んできました。
13回忌からイベントや遊ぶのが好きだった父を偲び、親族お泊りキャンプがはじまりました。今年で5回目。釣りにいったり、海にいったり、山に登ったり。20人は軽く超えるので小さい学校のキャンプ並みです。夏休みの時期に、20人以上の宿泊を探すのは毎年けっこう至難だったります。ロッジだと3軒。来年からは学校用の宿泊施設を探そうかと・・・(笑)。叔父叔母、いとこ、はとこ・・・それぞれ、毎年状況が変わる中で、1年に一度顔を合わせて過ごす時間は、今ではなくてはならない年間行事となりました。日頃の浮世の悩みから解放されるひととき。家族だけだとこうはいかない、なんともよい距離感。居心地がいいものです。これも父のおかげだなぁと思い、今回も手を合わせたのでした。
この夏、皆様も親族キャンプ企画してみてはいかがでしょうか?!意外と、かなり楽しいものですよ!
初めての展示会をさせていただきました。今日お越しくださいました皆様、ありがとうござました。京風きつけ教室の今井さんや、元・祇園の友人の力を借りての展示会です。とはいっても今回はプライベートサロン型のアットホームな空間と時間の中で、ゆっくり着物を見てもらうコンセプトです。子供のころ、実家での展示会はよく見ていたし、お手伝いもしていましたが・・・いやはやお勉強になりました。前の日は、舞の舞台とまた違うざわざわとした緊張感で夜も寝られず。今回は心強い祇園コミュニティーの助けがあったのでなんとか無事に終わることができました。青春時代の仲間とはありがたいものですね。今回、インスタなどで興味をもってくださったお客様が足を運んでくださったことがとっても嬉しいことのひとつでした。いつもコメントしてくださっている方々とお目にかかれて感激です!SNSを昔は敬遠していたのですが、新しい素敵な出会いを運んでくれる、ありがた~い情報ツールなのだと改めて思う次第です。
今回は新作でまだ途中の商品も見ていただいたり、また下絵からのデザインのお話をさせていただいたりしました。お着物のお好きな方と、お着物のお話をできる・・・もうそれだけでも幸せなひとときです。ただ白塗りしている芸妓さんの格好だと臆面なくおしゃべりできるのですが・・・普通の女子(?)に戻ってだと、なんだか照れくさい。
半年分のドキドキをつかった一日でした。
また次回の開催の時には、ぜひぜひお越しいただきたいです。
その時までには、白くなくてもお話しできるように精進します!!
今日は八朔です。今頃はたくさんのカメラマンさんに囲まれながら、紋付き姿の芸舞妓が「おめでとうさんどす~」と口々にご挨拶にまわっているころでしょう。10メートル歩いただけで溶けてしまいそうな暑さの中で、黒の紋付姿で、年々増える人込みをかきわけて歩く数時間はなにかの行のようなしんどさでした。よその街では、軽装になっているところもあるのですが祇園は未だ正装。どんなに暑くても続けるその心意気が私は好きでした。
毎年恒例で、八朔の出発前にはみんなで玄関で勢揃いのお写真を。20枚近く残る写真には、自分もふくめて、年々お姉さんになっていった歴史が残ります。ある程度お姉さんになったら、白塗りから、からげの恰好になっていきます。そしていつも足元にはチロ。この子で3代目チロです(笑)。大事な家族の一員で、チロのいない写真はありません!!そうそう、たまにカメラマンさん同士で喧嘩されるのに困っていました。お写真をとられる皆様にはぜひご配慮のもと、熱中症に気を付けて、お写真をとっていただきたいです。
和裁教室に通い始めて数か月・・・というか、10回も通えていません。それでも、こんなにかわいい一つ身の浴衣が縫いあがりました。とっても素敵なお師匠さんに巡り合えて、丁寧に楽しく教えていただけた賜物。着物が好きな人は多かれ少なかれ興味があると思います。和裁、おすすめです。こんな風にできているんだ!とか。昔の人の知恵が詰まっていたりとか、着物がもっと愛おしくなります。自分が着るもの、また誰かに縫ってあげるもの。針を運ぶ時間はとても幸せな時間なんです。うちのお師匠さんのすごいところは、まず子供用を勧めてくださったこと。大人用に比べて縫う範囲も狭いので少し楽ですし、でも大人と同じことを勉強できますし、なにより、小さいパーツを見るだけで「かわいい~!」とテンション高めでお稽古がすすみます(笑)。
私は幸い、半年前に生まれた甥っ子がいたので、甥っ子用の一つ身。肩と腰上げをして、さらにかわいく!!縫っている間中、ニヤニヤしてました(笑)。仕事の都合で途中でお稽古になかなかいけなくなっていたのですが、この間のお稽古で急いで間に合うように教えてくださってどうにか地蔵盆までに間に合いました!和裁、ずっとやってみたかたんだよねぇ~と思ってるアナタ!!今ですよ!ほんっとに楽しいですから!
今頃京都は祇園祭の真っ最中ですね。先日から、鉾やお囃子をテレビやSNSで見ると、ちょと心がざわつきます。里心がつくというか・・・そんなに思い入れがあったのか!と自分でもびっくり。思い入れといえば、祇園祭の期間限定のお姉さん舞妓さんの髪型「勝山」です。当時は痛くって重たくって、自分の髪型を愛でる余裕はありませんでしたが、改めてみるとなんとまぁ、可愛らしいのでしょう。特別華やかに装う髪型を見ていると暑さを忘れてしまいそうです。かけものもの年数によって赤からピンク、水色などにかわっていきます。ただ、この髪型、本当に重たいのです。暑さの厳しい京都の夏、高枕でけっこううなされていました(笑)。今はいい思い出です。
10数年前に祇園で同じ時間を過ごした後輩の照ひなちゃんにお声がけいただいて、開店3か月めで初めての展示会に挑戦することになりました。照ひなちゃんは自前と同時の引退して、渡米。会社を設立して10年の新しい世界での大先輩です。呉服店を開業するにあたって沢山のアドバイスをくれる心強い、私にとっては先生のような存在です。そんな彼女にお誘いで、今回共催の形で展示会をすることになりました。この素敵な告知も彼女が制作!とにかく右も左もわからないので、甘えさせてもらっています。
10年以上の時を経て、まさかこんな風に一緒にお仕事できるなんて、思いもよらぬことでした。打ち合わせを重ねるなかで祇園町で一緒に過ごした時間があればこそ、うまく言えないけれど通じ合えるものがあって嬉しくなっちゃいます。たまに昔の話になって打ち合わせからそれてしまうことも多々ですが・・・そんな時間も楽しくて。舞妓さんの時から、大活躍だった舞妓さんでしたが、今も大活躍。和装ヘアのレクチャーもしてはるそうで、いつもびっくりするぐらい美しく洋髪を結い上げています。私の剛毛でもできるそうなので髪が伸びたらレクチャーに参加させてもらわねば! 今制作途中の友禅の産着なども展示予定です。なかなか見ることのない友禅の過程を垣間見ることができますよ!! ・・・正直、今はドキドキしかありません、8月4日まで寝られない日々が続きそうです(笑)。ご興味を持ってくださった方はぜひ詳細をチェックしていただきたいです!おたのもうします!
詳しくはコチラ⇒ http://www.artegroupinc.com/jp/event/
嬉しいことに、先月おもいがけなく、嬉しいご注文をいただきました。祇園町からの別染の浴衣のご注文。お客様のイニシャルを入れてのデザインで、色は三色。男物、大人の女性、若手の女性で色を変えようということに・・・夏のお座敷でお召しになる浴衣です。お世話方の芸妓さんといろいろと知恵を絞り、考えていく工程はとてもドキドキするものでした。でも実は、最初ちょっと物怖じしていました。納期の問題の上に、浴衣はまったく経験がなく、嬉しい反面できるのか、せっかくお声がけしてくださった芸妓さんに迷惑かけないか・・・・駆け出しの呉服店に荷が重くないか。どうしよう?! でも、紗代子にとお話をふってくれた芸妓さんに応えたい!!!
この浴衣を作るにあたって、若手の伊勢型紙の職人さんに出会いました。おじいさんが職人さんで彼は二年前から型紙の世界に入ったそうです。今回、彼がデザイン修正、親方への彫りの依頼、日数のない中での染の手配、また染の立ち合いをしてくれました。
今朝やっと、はじめての顔を合わせの機会をもてました。伊勢型紙の将来を憂いてWEBなどを使って、どうにか伊勢型紙を残せないか奔走しているお話を伺いました。全国にある型染の着物のすべて浴衣も絹のものも、伊勢型紙でできていること。お恥ずかし話ですが私は全然知りませんでした。各地方で彫られていると思っていたのです。そしてその職人さんのほとんどが70歳以上。彫る職人さんだけではなく、絶対に必要な紗張りの方もいなくなること。もう土台から、伝統工芸の世界は厳しい状況にあることを、今回もまた知りました。でも、「今ならまだ、間に合う!」それが今日二人での同意見でした。
今回のご縁を大切に、自分たちの仕事の中であと5年を10年に、20年にできたら。
新たにそんな夢をもつことのできた1日でした。
と、いうことで長吉呉服店は型染のお誂えも全面的にお受けすることにしました!
世界に一つだけの自分たちだけの浴衣、二枚からお受けいたします(お値段、日数などについては、お気軽にお問合わせください!)。
お稽古場のみなさんで、お遊びのお仲間で、ご家族・親戚・カップルで、会社の皆様で。
プリントではなく、本物の染の浴衣をいかがでしょうか。
みなさん、歌舞伎座に一幕見席があるのをご存知ですか?これは名の通り、見たい演目を一幕だけ見ることが可能なとても便利なシステムなのです!お席は4階席で整理番号順の自由席。今日は友人と市川猿之助さんの「流星」を見てきました。なんと1000円。歌舞伎が1000円で見られるなんて!!しかも見たい演目だけなので、時間にもお財布にもお得感があります。歌舞伎座の大きな舞台を上から見ると、一階とはまた違う美しさがひろがります。この席、大向こうとよばれる方がいらっしゃることも多く、間近で「おもだかやッ」などの掛け声を聞けることもあります。けっこうビックリしますけど(笑)。今回は宙乗りのある演目なので、すぐそばまで猿之助さんが飛んでくるのです!これも下では味わえない面白さ。
幕見席に来たのはたぶん十数年ぶりだったのですが、昔は階段を延々と並んでいたのが、新装歌舞伎座ではエレベーターでひっととび。待合の椅子もあり快適に待つことができます。・・・とまぁここまではいいこと尽くし。ただ、すごい人気なのです!今日も3時過ぎからの流星を見るために11時半から並び、発券時間の1時すぎにはすでに完売。今回は女子トークをしている間に時間はアッという間にすぎたので苦ではありませんでしたが、猛暑の折などは厳しいかもしれません。歌舞伎のチケットはお高いのでそうそうも行けず、ファンとしては、そんなに人気があるのなら席数をもう少し増やしてくれればいいのに、なぁんて思ったります。来月も宙乗りがあるので、ぜひご興味のある方は一度オペラグラス持参で行ってみてはいかがでしょうか!!おススメです。
浴衣の別誂えのご注文をいただきました。イニシャルを入れての図案考案から。今回この図案は古本屋さんの兄に昔見せてもらった図案帳からヒントをいただきました。前にしか進まないから、とか、花街では、子宝に恵まれるなどトンボは昔から縁起がよいと言われる柄ですが、より紐なのがかわいいですよね!!そして型紙は伊勢サミットでも注目された伊勢型紙の職人さんにお願いしました。期間が限られた中で、無理をきいてくださったKIMONO DESIGN mediaさんに感謝です!!
そして駆け出しの呉服店に、声をかけてくれた芸妓さんに。離れていても、辞めても、祇園町に助けられているなぁと、本当に有り難く思います。
着物はじめのお客様へ、お品物をお納めにいってきました。「ずっと興味があったけれど、どこでどう買ってよいのはわからなかった」そうで、私が呉服店を始めるということで、トータルコーディネートでご注文くださいました。なんとこのお着物姿、ご自分で着られたのです!お納めした初日に、3回のお稽古で。着物は難しい、めんどう、大変・・・とおっしゃる方も多いのですが、ほんの7、80年前までは普段着。実はそんなに大変ではありません。舞妓さんに来た子だって最初は産着以降着物を着たことのない子もいますが、お稽古に通う中で4,5回も袖を通せば次から一人で着てお稽古にいっています。もちろん、うまく着られていない時もあってそんなときは、お姉さん方にお稽古場で手直しはしてもらうのですが・・・昨今、着物をあまりに特別に扱いすぎて着物離れにつながっているような気がします。
今回も「意外と簡単・・・もっと早く挑戦すればよかったよ」とおっしゃっておられました。
今回のお着物は、初めてということで扱いやすい単衣の出羽木綿に半襦袢、博多帯でのご用意でした。木綿なら、もし汚してもそこまで気も遣いませんし、クリーニングはもちろん家で洗うことも可能。半襦袢も家で洗っていただけます。まずは波平生活(普段を着物で過ごす)で着物に慣れれば、どこに気を付けたらいいのかわかってきます。そうなればしめたもの。絹の着物へステップアップ。観劇や花街へ、お着物の装いでお出かけです。着物といえば女性のイメージですが、着物の力はすごくって、男性やお子さんも、着物を着るとやっぱり女性同様嬉しいもののようなのです。賛否両論ではありますが、京都で流行るレンタル着物それを表しているのでは・・・と思います。だってあんなに流行るのは、着物を着てみたい、って思う人があれだけいるってことですもの。カップルで嬉しそうにお着物で歩く姿は、とても微笑ましい。・・・噺家さんのような男性用着物だけはちょっと・・・微妙ですが(笑)。
梅雨の時期になると手放せない蛇の目傘。
これは本当は蛇の目ではないのですが、今はほとんど通称で和傘は蛇の目と呼ばれてしまっています。雨の京都の街並みになんともいえない風情をそえる和傘ですが、とても高価なものです。舞妓さんのおこづかいじゃとても買えません!!うっかりものの私は舞妓さんのとき、夜のお座敷が何件かあって途中で雨が上がってしまうと忘れてしまう。翌朝青くなって、探し回りました。そして、このように気をつけないと破れてしまう。和傘は柄を下にして立てて置くのですが、伺った先のお店が扱いを知らないと、普通の洋傘と同じように置かれてしまったり、また、傘立てにいれられて、その上に洋傘が突き刺されてしまい、このような惨状になることも多々でした。今回のこの傘は幸いにも、金沢の傘で職人さんが直してくださることになりましたが、いまは張り替えることも難しいのが現状です。もっと和傘が流行ればいいのになぁといつも思います。着物にはやっぱり和傘が絵になります。お着物がお好きな方にはぜひ、おすすめしたいです!雨の日が楽しくなりますよ!
昨日まで京都では五花街が開催されていました。残念ながら今年はよせていただくことはできませんでしたが、妹たちが秋の色種と舞妓さんで出演させていただいておりました。五花街という舞台は、京都の五つの花街の合同の舞踊会で、それぞれの町からひと演目ずつと、最後のフィナーレは五花街の舞妓さんが全部で20人、祇園小唄(違う演目の年もあります)を舞うという、豪華絢爛の会です。町の代表として出させていただくので、緊張もひとしお。私の最後の五花街は2013年でした。お名前をいただいた新名取で出させていただく初舞台。京都会館が工事中ということで南座での開催でした。歌舞伎大好きの私にとって南座は特別な劇場です。その花道から出させていただいたときのうれしさは今も忘れません!!あんまり嬉しくて下駄をけたたましく鳴らして登場。もちろん注意されました(苦笑)
菖蒲浴衣という演目で、いつもの井上流の雰囲気とは少し違う、粋な曲で、粋なお衣装。私はとっても緊張するたちなので舞台を楽しめたことは数えるほどしかないのですが、この時の五花街はそのうちの、貴重な一回です(笑)。そして大きいと思っていた南座の舞台ですが、立ってみると歌舞練場の舞台のほうがはるかに広い。改めて、祇園の歌舞練場の大きさと、その舞台に立たせていただいている有り難さを感じたのでした。
水無月の簪のお話を、今日はしましょう。
6月の花といえば皆さんはなにを思いうかべますか?彼女がさしているのは紫陽花ですね。
私がこの月で好きだった簪は柳の簪。5月末に店出しをした私に、見習いさんの一力さんのお母さんがお祝いに贈ってくださったのが柳の簪でした。
出立てさんの舞妓さんのときはあごまで届く長さの柳に赤い撫子がとんでいました。緑に赤がとても鮮やかで今でも鮮明に覚えています。お姉さんになっていくと柳の長さも短くなり、撫子もピンクに。こんなところでも少しずつお姉さんになっていきます。
私は一度もさせずじまいでしたが、傘の簪にも憧れていました。薄い絹で張られた和傘の上に、柳が下がる、梅雨に風情たっぷりの涼やかな簪、きっとお姉さんか本人さんの特注品だったのではないでしょうか?うらやましかったなぁ・・・・
東京にきてから、縁あって和裁教室に通っています。着物を扱うにあたって、名称や仕組みを知っておくために、ゆっくりとしたペースで始めた和裁。実は舞妓さんのときから興味があったのですが、ほかのお稽古もありお稽古に通うことは叶いませんでした。でも、その昔、芸舞妓さんの女紅場学園では創設時は和裁が授業にはいっていたのだそうです。いまは、すぐに悉皆やさんや呉服屋さんに預けてしまいますが、着物がもっと身近にあった時代、自分たちで手入れをして大切にきていたんでしょうね。
当たり前ですが、縫い方ひとつひとつに、意味と知恵が込められていて、先生のお話を伺いながら針を進めるのはとっても楽しい時間。
1枚の反物を着物、仕立て直してまた着て、子供用にまた縫い直して何度も生まれ変わり、小物やお座布団になったり最後まで使うことができる。物のない時代だからといえばそれまでですが、本当の豊かさってのは、どこにあるんだろなぁと考えさせられます。
この針刺しも、先生いにいただいた端切れから。私のお稽古初日の記念すべき作品です(笑)!!ちなみの、このヘラもお三味線の撥の生まれ変わりなのだそうです!
お客様のご注文のお品が出来上がってまいりました。還暦の記念に、なにか新しいことに挑戦したいとおっしゃられてお着物デビューをなさいました。何度か打ち合わせの末、ダンディズムを追及なさりまずは一人でしっかりお着物を着られるように、家で波平生活から始めることになりました。
着物はなにより慣れるのが一番。難しいことを考えずとにかく生活の中に取り入れるとのこと。
ご自分で納得する着こなしが出来てはじめて、外出するそうです。
60歳のダンディズム!かっこいいですね!!
今月から紬の単衣に馬蹄の博多織の帯でデビューです。
今回、お客様とお話しさせていただいて、男の方のお洒落に対する情熱は、もしかしたら女性の上をいくのかもしれないと思いました。
歳を重ねるなかで、オシャレも変わっていきます。
着物を選んでくださったこと、そして、お気に召していただけたこと、とっても嬉しい一日でした。
ただいま、秋に向けてお誂えの還暦にちなんだ厄落としの羽裏を染めています!
揃いの浴衣のお誂えのご注文をいただいて、お客様とご相談しながら準備をしています。
今回は男物と、大人の女性、若手の女性用の三色を同じ図案で染めることに。まず今回は色選びからです。
例えば男物。イメージはグレー系のお色目・・・青鈍(あおにび)、鉄御納戸(てつおなんど)、熨斗目花色(のしめはないろ)、素敵で難しいお名前のついた候補の数々から檳榔子色(びんろうじいろ)を目指すことになりました(正直今の日本人でこの色の名前ですぐに色が頭に浮かぶ人は数えられる程度しかいないと思われます・苦笑)。色見本と、実際のお着物にに仕立てた時の色は思いと違ってくることも多々・・・と職人さんのお話を伺いながら慎重にすすめています。夏までに仕上げないといけないので悠長にはしていられないのですが。染屋さんが箱から出してくれる端切れの数々。
藍色も水色の、微妙に違う数多の色に感動と難しさで思わずため息が・・・。着物を通じで日本の歴史と文化の奥の深さに毎度、心の底から感動します。そして職人さんの熱い思いにも。次回は図案のお話ができるように、がんばります。
昨日、用事で銀座へでかけましたら、御神輿に遭遇いたしました。
ちょっと前から、ちらほらお提灯は見かけていて、いつのあるかしら・・・とぼんやり思っていただけに偶然、立ち合えてちょっと嬉しくなっていました。せっかくなので帰り道は中央通りをそぞろ歩いて・・・ビルの谷間にけっこうな数のお神輿や提灯がまつられていて、お当番の方も半被姿で集まっておいででした。時代小説が好きで、たびたび舞台となる日本橋界隈。今では思いを馳せるすきもないほど、立派なデパートやビルばかりですが、今回お祭りを見てちょっとホッとしました。
現代になり、お祭りを守り続けるのは大変なことだと思いますが、ちゃんと形を変え、工夫されながら続けられている。
道の角々に、スペースをどうにか作りお提灯を飾る、その努力がたまらなくいとおしいと思います。
ネオン輝く背景とお神輿、これはこれで有りですよね。
女紅場学園という舞妓さん・芸妓さんの学校があるのをみなさん、ご存知でしょうか?
祇園甲部歌舞練場の裏にあり、都をどり中は楽屋としてつかわれるのですが、普段は私たちの学校です。
必須科目から選択科目まで、いろいろなことを教えてくださいますが、もちろん和物ばかりなので、お着物で通います。
・・・ということは、上履きも、靴ではなく草履なのです。仕込みんの時から、赤い鼻緒のお姉さんのおさがりを使わさせていただいていたのですが、ある時、こんな素敵なプレゼントをいただきました。
亀治郎さん(今の四代目猿之助さん)の大ファンだったことを知る友人が別誂えの鼻緒で、上草履を贈ってくださったのです。赤い鼻緒が並ぶ草履の中で、どんなに焦っていっても絶対に間違わないお草履。とっても嬉しかった。それ以来10年以上お稽古場で愛用した(結構酷使された様子がうかがえる痛みようですよね・苦笑)一足は今でも手放せず、手元のあります。そしてそれ以来、店出しした妹筋の舞妓さんには上草履を贈ることにしていました。お稽古が少しでも楽しくなるように。たかが上履きと思われるかもしれませんが、毎日通う中で、他と違う一足はとても大事なお稽古の友なのでした。
店出しの日、ご挨拶まわりが終わると、引いてくれはったお姉さんやお母さんとお盃をかわします。
義理の姉妹となる大切な儀式。男衆さんが取り仕切ってくださり、西村さんでは引いてくれたお姉さんだけではなく、全員そろってのお盃です。たくさんのお姉さんがいる屋形なのでお盃も10杯以上いただくことになるのです。ほんの1滴ほどですが、緊張と疲れで私の時には、ぽわぁ~となってしまいました(笑)。妹を引くときにはお姉さんからひとこと妹に言わねばなりません。これがなかなか難しい。なにが、今一番彼女に必要な言葉なのか・・・まだまだ若輩のお姉さんだったので最初の妹の時には悩みました。
結局私は縁あって4人妹もたせてもらいましたが、ひとつ決めたことは「素直」でした。いろんなことを教えてくださるお姉さんやお母さんがいて、伝わり方でなかなか上手く受け取れないこともあります。それはとってももったいない。でもどうしても毎日の中で心が濁ってしまう時も多くあり素直さを見失ってしまう。なので、心がけて素直でいること。素直にお姉さん方の言葉に耳を傾けること。心がけていないと本当にこれ、結構難しいんです・・・。
店出しの3日間、割れしのぶという髪に結い上げられた、出立てさんの舞妓さんの髪型です。
ただ、かんざしはこの3日間はやはり特別。
櫛から、前差し、花かんざしに至るまですべて鼈甲でできているものをつけさせていただきます。鼈甲でできた花かんざしの精巧さに子供心に驚いたものです。とても繊細で壊れやすいものなので、暖簾にひっかけただけでも破損してしまうそうで、出発前には重々気を付けるように言われました。
後にある銀の羽のようなものは「たけなが」と言われてこれも3日間のみに飾りです。この羽があるだけで、日本髪がさらに華やかになりますよね。
この期間が、自分でかんざしを挿すことも、とることもできません。毎日髪結いさんにいって、きれいに整えていただくのです。そしてお座敷の前には姉さんやお母さんが最終チェック。これも、ちょっと嬉しい時間にひとつでした。
お店出しから6日間、屋形の玄関をにぎやかに彩る
目録。圧巻の迫力です。
芸妓の衿替えの時にも同じように玄関が華やかに飾られます。見ているだけで心の浮き立つ目録。
このポスターのようなものは目録とよばれいていて、たとえて言えば、ロビーのお花にのようなものに相当するように思われます。お店出しの前日に、衣装を着せ終わった男衆さんが屋形にきて貼ってくれます。けっこうな大きさですし、貼るときの序列もあるので、男衆さんにしかできません!
見習いさんのお茶屋さんをはじめ、姉妹筋のお姉さん方、お出入りの呉服屋さん、役者さん、ご贔屓のお客様。まだデビュー前なのでご贔屓は、ひいてくださったお姉さんのご贔屓さんが贈ってくれるのです。なかなか粋ですよね。
手書きで書かれた絵にはそれぞれ寿ぎの意味が込められています。なかなかポップな色使い(笑)。
普通はこれを見ることはかないませんが、実は見れるところがあるのです!!祇園の佐川急便さんには、オープン時に贈られた目録がそのまま貼られています。荷物を出すついでに、ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
今日は用事で銀座へ。こちらへ引っ越すまでは東京はビルばかりのイメージでしたが、そんなことはなくて・・・町の随所に手入れされたお花が楽しませてくれます。今日はとってもきれいに咲いている紫陽花をみつけました。
今はもうなくなりましたが、祇園の女紅場学園への坂道のところにも大きめの植木鉢がいくつかあって、いつもそこには時候の花が咲いていました。お稽古に急ぐ道の中で、季節を感じる一瞬。
いったい、どなたがお世話していたのか・・・ずっと気になりながらも、聞かずじまい。道は舗装され、いつの間にか植木鉢もなくなっていました。今日紫陽花を見てふと、そのこと思い出したのでした。
今日は、西村さんの新しい舞妓さんのデビューの日でした。今日誕生した西村さんの末っ子は朋子ちゃん。
京都ではデビューのことを、お店出しといいます。
仕込みさんを約一年経験して、お師匠さんのお許しをいただいて、ひと月の見習いさん(わかりやすいくと研修生)を経た人のみが、この晴れの日を迎えられます。半だらりの帯から、だらりの帯へ。黒の紋付の正装のお衣装は、優に10キロを超える重さ。肩に衣装をのせただけで、体がよろけてしまいます。早朝に髪結いさんにいって、おしろいやさんに顔をしてもらい、衣装をつけて、男衆さんの伴われお茶屋さんにご挨拶へ。私の時は、まだお茶屋さんが90件近くあってなかなか長い道のり。衣装は重たいし、さらでおろしてもらったおこぼの鼻緒は痛いし・・・でも、それが吹き飛ぶほどうれしい一日です。
今の1年は早いですが、この年の、舞妓さんにデビューするまでの1年はとっても長かったですから。
3日間ほどはこの黒紋付きでまわるのですが、それまでは見習いさんのお座敷しか知らないのでどこのお茶屋さんにいっても、右も左もわかりません。でもみんな通ってきた道なので、この日はお姉さん方も寛容に見守ってくださいます(笑)。正直この3日間はほぼお座敷の記憶がないのです。もう座っているだけで精一杯。ふわふわ嬉しかった感情だけが今もまだ残っています。
20年前の5月30日。
私が店出しをした日です。神戸の震災の翌年で世の中はちょっとひっそりしていました。今日から自分を振り返る意味も含めて、このブログでたまに思い出を書いてみようかと思います。
花見小路をこぼ、こぼっと音をさせて歩く舞妓さん。だらりの帯との絶妙なバランスがなんとも可愛いですよね。舞妓さんに出てすぐは中に鈴が入っていて、かわいらしい音がするのですが不思議と髷のかわるころには知らない間に鈴が取れてなくなって。片方ずつ、いつの間にやら音がしなくなるのを寂しく思ったことを思い出します。鼻緒も赤からピンク、薄紫や水色とどんどん落ち着いた色目になっていきます。小さい舞妓さんのときはお茶屋さんの玄関に薄紫や水色の鼻緒があるともう緊張して・・・どのお姉さんが来てはるのやろ・・・とドキドキ。たった、3つ、4つしか変わらない歳ですが、雲の上のような存在でした。
歩きにくそうに思うおこぼですが、諸説のうちのひとつに舞妓さんの帯が重たいために、わざと前のめりになる履物のしたと聞いたことがあります。なるほど、衣装をつけて歩くと歩きやすいのです。これも先人の知恵なのでしょうね。
同期の舞妓さんで夜の花見小路をどっちが早いか、次の電信棒までかけっこして怒られたのもいい思い出です。
先日、京都へ行っておりました。
屋形のお母さんの白寿のお祝いで、連絡のつくOBのお姉さん方と現役の芸妓さん、舞妓さんとお祝いの宴。およそ半世紀にわたり舞妓さんを育ててくれたお母さんとお姉さん。99歳から17歳までがお母さんと姉さんの関係という不思議なお席でした。
懐かしいお話もできたりして、あったかくてとてもステキな時間。
15歳までの実家の家族と、15歳からの京都の家族。ふたつもてつ稀有な経験の中で教えていただくとことも二倍・・・いやそれ以上でした。
毎年、各地いろいろなところから、個性的な15歳を受け入れて育ててくれる懐の深さ。
昔、舞妓さんのときにお客様に、「どうして西村さんの子はみんないい子なのかな。なんでだと思う?」とおっしゃっていただいたことがあります。私はなんとも、間抜けで「ごはんがおいしいから」と答えて爆笑されました(笑)。でもその時お茶屋さんのお母さんが感心してくださってこうおっしゃったのです。
「そうかぁ。それでようわかったわ。ご飯を作るというのは大変なことなんですわ。ここの屋形はそこをちゃんとしてあげはる。本当の愛情がなかったら、なかなか出来ることやないと思います。」
当時すでに80歳を超えていたお母さんですが、10代の口に合うように、ロールキャベツやハンバーグをお肉1キロ近くも使って作ってくださっていました。まさに愛のつまった母の味。実家はお商売で忙しかったので、私は京都に来て初めて母の味を知ったのかもしれません。まだまだ思い出話があるのですが、それはまたの機会に。不老長寿のお薬があるのなら、お母さんと姉さんに一番に届けにいきます。
昭和の初めに九州・大分で創業された長吉呉服店。
大叔父がはじめた呉服のお商売は、大叔父の早世で祖母が継ぐことになったそうです。その後時代は、着物から洋服中心の時代へ。長吉呉服店もその後、衣料のナガヨシへ名前を変えていきます。今は兄が4代目で衣料と介護用品を中心としたお店になりました。それでも、ずっと着物が好きだった祖母と母が、呉服部門を縮小しながらも残しておいてくれました。前回の里帰りで、実家の古いアルバムで写真を探したのですが・・・出てくるのは、イベントものの記念写真か、家で宴会しているお写真ばかり(苦笑)。真面目に店頭や店内で撮ったお写真がみつかりません!!
イベント好きも、芝居好きも、脈々と流れるDNAのものだとよくわかります(笑)。
大分の片田舎で、いろんなものを呼んできてたんですねぇ・・・。
第二次世界大戦も、バブル崩壊も乗り越えてお店を守り、育てていたご先祖さまたち。たくさんの白黒の写真にとても励まされます。きっとお客様に喜んでいただけることを、ああでもない、こうでもないと、模索しつづけいていたのだと思います。今の世の中で、呉服を続けるのは難しいと心配の声もたくさん頂きましたが、私はどうしても挑戦してみたくて、今の情報ツールであるネットで始めることにしました。
我が家にはお商売に関する家訓が多数あり、それを標に何十年の時を経て、長吉呉服店の独立再建に挑みます。
どうぞ、皆さま、お力添えのほどをよろしくお願いいたします。
歌舞伎座の團菊祭へ、着物女子会で行ってまいりました。三人の共通点は、祇園町の元・芸妓さん。10代から知っている気心の知れた仲間で、菊之助さんのご長男の初お目見得を拝見に。
私たちが10代だったとき、菊之助さんお兄さんも10代だったわけで・・・年月をちょっぴり感じる舞台でした。
まだ二歳の和史くん、2000人の観客を前に照れくさそうで、とっても可愛らしい。三本締めも、バイバイも上手にできました。
こうやって、勝手に親戚のおばさん気分のファンが増えていくのでしょうねぇ・・・役者さんって大変ですね(笑)。お友達の二人は菊之助さんにちなんで菊の模様のはいった附下で。私は時候で色無地に菖蒲の帯でよせていただきました。通りがかりの外人さんにも喜んでもらえて、着物って得ですねぇ。
浅草に用事があってお出かけしてきました。
駅を降りると笛の音がにぎやかに。
あれ?なんだろう・・・・?
なんと今日は、かの有名な三社祭りの初日だったようです。芸者さんや半被姿のいなせなおじさん方をお見かけして、なんだか得した気分になりました。
雷門の近くを通ると今度は涼やかな音色。
もう風鈴が売られる時候になったのですねぇ。
私が子供のころにしてみたかったお仕事のひとつが風鈴売り。昔、実家で幻のように現れた風鈴売りの衝撃をおぼえました。涼を売り歩く商人に憧れたものです。
三社祭は今日から3日間だそうです。
明日も出かけてみたくなりました。
すっかり初夏の時候ですね。
今日は東京は五月晴。
こんな日は衣替え日和ですねぇ。春物のをひっぱりだして、悉皆行きとタンス行きの選別を。
タンス行きはベンジンでちょこっとお手入れ。
そしてなにより大変なのはしわ伸ばし・・・
私はひざ裏にいっぱい汗をかくので、すぐ皺になっていまいます。まぁでも来シーズンに気持ちよく着るためには致し方ありませんねぇ。
汚れを見つけたら、そく悉皆です。祇園時代からお世話になっている悉皆屋さんへ。
昔から、焦って変な処理をしないように口を酸っぱくして言われていたのでちょっと高くついても、大事なお気に入りの衣装は無理をしないこと!これが長く楽しむためのポイントなのかもしれません。
わたくしごとですが、今日は誕生日でした。
何歳になったかはともかく(数えてたらおそろしいこといなっていました。母もおそろしいと言っていました・苦笑)、感慨深い一日です。去年のこの日はどこで過ごしていたか、その前の年は・・・毎年、なんの疑いもなく同じように、同じ人たちに囲まれて歳を重ねていくものだと思っていました。それがまさか私が別の道を歩むことになっているなんて。これは絶対に誰一人として想定していなかったことです。私自身も。
舞妓さんのときのように、ただただお祝いをしてもらえて浮かれている場合ではなくなってきて・・・不安ばかりが募るおひとりさまです(笑)。でも今日、電話、メールやライン、お花のお届け物、インスタなどで離れていてもお祝いをしてもらう中で、去年までと違う喜びがありました。どこかの歌にあった、一人だけどひとりじゃない、その感覚がちょっとわかった気がします。歳を重ねるってこういうことなのかな・・・嬉しいことに、気が付ける、そんな歳をの取り方をしたいなぁと思います。嬉しいことを増やすのは、周りじゃなくて自分の頭の中。そんなことに気がついたら世の中楽しいことだらけ!ということを少し学習した2016年のお誕生日でした。
来年の5月7日は、どんな日になっているのでしょう。そんなことを考えるとグーニーズ(←古い?!)の映画並みにドキドキです!!
今日は国立劇場に妹(祇園町での)の晴れ舞台を応援にいってきました。
なんと朝10時半開演で40曲の邦楽が演奏されます。終わるのは夜9時ごろでしょうか・・・
お弟子さんがそれぞれ晴れ着をお召しになって日頃のお稽古の成果を披露します。私はとっても緊張するたちなので、妹の幕になっただけで自分が弾くわけでもないもに、手に汗びっしょり。妹の舞台でそんな感じなので、自分の時は棹も、バチも水からあがったようになっていました。
彼女は堂々と、とても立派に道成寺を弾いていて、ちょっと誇らしい気持ちになりました。祇園のご縁での姉妹で血縁があるわけではないのに、やっぱり気になるし、心配だし、誇らしい。
私は実家では末っ子だったので、そんな気持ちを祇園で妹をもつまで知りませんでした。不思議な感じです。頼りないお姉ちゃんで申し訳なかったですが。
指揮者がいないのに、ちゃんと演奏できるのは何故なのか?確かにこれも不思議ですよね。「間」というものの面白さと怖さを感じます。たくさんの長唄を聞いて、あらためて邦楽の面白さを感じた一日でした。
これは我が家の桃太郎どの御一党です。
年に1度の出番に、毎年はりきって箱から現れます。
このお人形が来てから5月5日が楽しみなりました。
毎年、配置を変えては遊ぶのです。本来なら、桃太郎は鬼の上にのっているのですが、たまには犬にお手柄をゆずってもよいでしょう!犬も嬉しそうですし・・・でも家来の分際なので、活躍はぼかし気味に(笑)。
こんなことで、けっこう楽しめるものですねぇ。
来年には勘九郎さんのところのご子息の初舞台、二人桃太郎が歌舞伎座で上演されるとのことなので、桃太郎の帯を今から考案しています!
さて、今日は近所のお風呂屋さんでは菖蒲湯らしいので、邪気を払いに出かけましょうか。
連休に友人とお着物おでかけ。
行先は大江戸博物館です。両国の駅を降りて5分。
壮観な建物の中には江戸の世界が広がります。細部にまでこだわったこの博物館、江戸への愛と賛美がつまっていました。
ジオラマの数々は、双眼鏡をもっていけば何時間でも楽しめること間違いなし。ドラえもんがいてくれたなら、スモールライトで小さくしてもらって、この世界に飛び込みたい!!とも思わせてくれます。吉原も、芝居小屋もありまして、この日は大道芸を見せてくれました。ファーストフード発祥ともいえる、二八そばやお寿司屋さんの屋台も楽しい!
原寸大のセットではこんなお遊びもできちゃいます。
裏長屋では、洗い張り中の着物も干してあったり、4畳半での家族三人の暮らしぶりがのぞけたり。江戸庶民はは今でいう断捨離生活だったのですねぇ。物がないので、最後まで大切に使う。ごみ焼却施設の社会見学も大事ですが、江戸のエコな暮らしを学ぶのも一興。
シンプルな暮らしの中で、ちょっと遊び心のあるデザインを取り入れて生活を楽しむ。とても豊かな国民だったのですね。
新緑の美しい季節。五月に入りましたね。
一年の中で一番好きな季節です。どこに行くのも楽しくなります。
京都にいるときは5月の連休はみやこメッセの古書市にでかけていました。広い会場にたくさんのお店がそれぞれの自信の商品を並べていて、時間がいくらあっても足りません。この市を知ったのは、姉のご主人が古本屋さんだったから。
あがたの森書房というお店は、いまは美術書に力を入れているらしく京都のいくといつも美しい木版の本を見せてくれます。
斬新で美しく、丁寧な本の数々・・・よくぞ残っていてくれた!!と思うのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、生で見てもらえるときっとわかってもらえるはず!
今年は、東京にいるので古書市には行けなくて残念。5日までですので、京都にお住まいで連休なにをしようかなぁ~と思っている方はぜひ、足を運んでみてください!
50万冊の古書、圧巻ですよ。
4月の博多座、揺れがおさまらない中、実家のお店主催のバスでの観劇。震災後は見に行く側も、演じる側も苦悩の公演だったと思います。
賛否両論悩んだ末、出演者の方々が、あのハードな公演の休憩時間に募金活動をつづけてくださっていること、また震災後の口上のお話をきいて、決行いたしました。
結果としては、舞台を見にいかれたお客様が、とにかく喜んでくれました。震災後、幾日もずっと地震のことしか考えらず眠れなかった日々を、忘れることができた一瞬だったそうです。
演じる側と見る側が、お互いに「ありがとう」と手を握る姿は忘れられません。
歌舞伎の枠も、漫画の枠も、老いも若きもすべてを超えた究極のエンターティメントの力。
ONE PIECEという漫画を読んだことのなかった私ですが、メッセージのたくさんつまった作品なのですね。泣いて、笑って、驚いて。北川悠仁さんの楽曲「TETOTE」にも、元気をもらいました。。
再来年には再演が決まったそうです。まさにTo be continued!
みんなに幸せと元気を運んでくれる舞台の再演が今から楽しみです。
この度の、熊本・大分地方の地震、心よりお見舞い申し上げます。
当初このブログとお店は、4月半ばに始める予定でした。ですが、その日私の故郷である九州が未曾有の震災に見舞われました。今も、大好きだった熊本・大分で苦しい避難生活を続けている方がたくさんいらっしゃいます。
そして、まだ揺れ続けています。
何かしたいけれど、何もできない現状で悩みましたが、こんな時だからこそ、やっぱりお仕事をはじめようと思いなおしました。もし、被災地に私が何かできるとすれば、今すぐではないでしょう。15歳まで私を育んでくれた、そして今でも癒してくれる故郷の力に早くなれるようになるためにも、開店準備を始めることにしました。上の写真は、4年ほど前に熊本で撮ったものです。雄大で、美しい、大好きなところ。少し時間はかかるかもしれませんが、強い心で、支援の形を模索したいと思います。
九州のこと、ブログのこと、呉服店のこと、どうぞよろしくお願いいたします。
都をどりや温習会が終わってからの楽しみにひとつが遠出です。舞台の2,3か月前からお稽古で時間的にも気持ち的にもなかなか余裕がなく、どうしても気分の晴れない日々がつづいてしまいます。でも舞台が終わればごほうびが待っている!と思えば、どうにかがんばれるもの。15,6歳からのお客様の中には、親元を離れた舞妓さんたちにとって父のような存在なってくださる方も多く、そんな私たちを暖かく応援してくれたり、はげましたりしてくださいました。
「をどりが終わったら、今度できた大坂の高いビルに連れっててあげるから、がんばりや」と励みになる楽しい提案をしてくださって、お座敷にいる芸舞妓さんの日にちを合せて遠足の日取りを決めるのです。中学をでてすぐに祇園にきた私たちにとって、京都にないきらびやかは夜景も新世界の串カツも珍しくって芸妓さんも舞妓さんもおおはしゃぎ。京都を離れて、羽根がのばして・・・帰るころに「次は温習会やなぁ、舞台楽しみにしてるで。ほな次は鶴橋にみんなでいこな」「やったぁ~!」・・・他愛のないものです(笑)。花街・・・と聞くと艶めかしいイメージがあるかもしれませんが、私の中ではちょっと違っていておっきな家族のようなところでした。その中で密かに「お父さんズ」と慕っていたお客様方は、実際実の父より話す機会も多く、十五歳からの私の成長を見守ってくれていました。
お稽古の悩みも、人間関係も、その他もろもろご相談したり、またされたり。特に私は色気のあるタイプではなかったせいもあるのでしょうが・・・(苦笑)。今でも、お父さんズは、たまにこのブログを見てくださっていて、気にかけてくださっているとお茶屋さんのお母さんから教えてもらいます。そのたびに、心の奥がぽっと暖かくなって、心配かけないようにがんばろう、と思えるのです。もちろん、お母さんズ、お姉さんズはもっといらっしゃいますが、その話はまたの機会に。
私にとって四月三十日は二十年間特別な日でした。さきほど、カレンダーをみて、あぁ千穐楽の日なんやなぁと京都の四月の日々を思い出しておりました。仕込みさんにきてから祇園にお世話になっている間、この日を迎えるまで春の喜びなど感じることもなく(苦笑)。とにかく無事にこの日を迎えるのが毎年の一番の目標。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。都をどりはそれほど、特別で大切な舞台でした。二月から始まるお稽古から、寝坊しないか、舞を覚えられるか、怪我も風邪もなにがあっても四月三十日までは舞台に出なくては。一応私は本番にお休みをしたことはありませんでしたが、舞台稽古中にインフルエンザを第一号で発症したことが・・・・
一堂に会してのお稽古なので、翌日からバタバタと発症者がでて本番ギリギリまでお休みのひとがいたときには、もう申し訳なくて。翌年からは健康に過信することなく、嫌いな予防接種も都をどりを逆算して打ってのぞむようになりました(あまり早く打つと四月まで効力がないらしく)。一日四回の舞台で、役は毎日日替わり。総をどりと言われる群舞、お役つき、お囃子、お茶と毎日とかわります。役によって楽屋入りの時間も、準備も違うので油断ができません!!夜はお座敷もあるので、つい飲みすぎてしまうことも・・・ひと月お休みのないこの一か月のおかげで、いまどんなに忙しくても、なんとか乗り越えられるような気がします。
本当は今月にもっと都ををどりのことを書くつもりでしたが、バタバタしていて結局四月三十日。
時季外れですが今から少しずつ書くつもりです!!
都をどりで書画の展示コーナーを見てくださったことはありますでしょうか?
祇園の女紅場学園には書画科があります。今日は日本画科のおはなし。日本画の教室では、日展の先生が来てくださって教えてくださいます。芸舞妓さんは絵を描くのが好きな子が多いように思うのですが、いかんせんみんな時間がないので生徒数はそんなに多くはありません。学校にはちゃんと岩絵の具も膠も、金泊もそろえてくれている有難いお稽古場。膠を電熱のヒーターでくつくつ煮ながらお座敷で目にする日本画はこんなに大変な工程を経て出来上がるのかと最初は驚いたものです。
黙々と描く時間は無になれる大切な時間でした。毎年都をどりには出品させていただく四月に向けて何を描くのか決めて・・・。いつも締めきりギリギリなので、今年こそは大丈夫!と早めに決めてもやっぱりギリギリ。お稽古の合間をぬっては教室に駆け込んで書き進めいくのですが・・・素人なりにみなさんこだわりの強いので最後の最後まで粘ります(笑)。私もその一人・・・先生にはご迷惑をたくさんをおかけました。今でも、もしいつか時間ができたら、日本画を描いてみたいなぁっ思います。岩絵の具の箱を見てるだけで幸せな気持ちになれますから。もっとたくさん描いておけばよかったな。
舞妓さんといえば「だらりの帯」。花見小路を歩く舞妓さんの背中に大きくゆれる美しい帯は、まるで夢の世界に迷い込んだような気持にさせてくれます。大きく染帯と織帯があり、6~7メートルもあり、下にはそれぞれの屋形の家紋が。これは一説によると昔はまだまだ幼い年の舞妓さんで、夜遅くになって迷子にならないためのものだったと聞いたことがあります。特にいまは屋形の件数も少ないので、後ろ姿でどのこの家の子か一目でわかるのです。染帯の時期になると、かぐや姫の
帯や、長刀鉾の帯、フルーツの柄など、楽しい帯も
多く見ていても楽しくなります!!この帯には、大きな帯枕がふたつも使われており、その重さと大きさだけできっとみなさん驚かれるはず。男衆さんの着付けでしっかり結んでいただかないと、体への負担は大変なものに。でもこの衣装、男衆さんはたったの5分で着つけてくださるのです。まさに神業!
半だらり、といいうのを皆さんはご存知でしょうか?これは約一年間の仕込みさんをへて、お師匠さんから店だしのお許しをいただいた子がデビューの約ひと月前から見習いにいく時の格好です。舞妓さんは、だらりの帯。でもまだ半人前の間は半分のだらり。初々しくて可愛い恰好ですよね!
見習いさんというのは、今でいうとインターンみたいなもので、決まったお茶屋さんに行儀見習いで預かってもらうのです。西村さんの子は一力さんへ。私も一力さんでたくさんのことを教えていただきました。
おしろいをするのも、髪を結うのも、裾をひくのも、お座敷に出てお客様や、よそのお姉さんとお話するのもはじめて。まだ16,7の女の子には心臓がはりさけそうな毎日・・・くたびれて帰っても寝るのは高枕。
おしろいは、もうとにかくひどくて、毎回笑われて。今の子は比較的みなさん上手ですが、当時は本当にみんなひどかった・・・(苦笑)。「なんえ、
おしろい壺から出てきたみたいやな」なぁんてことも言われて「おしろい壺ってなんどすか?」って聞いてまた笑われて。祇園小唄も裾がからまって上手に舞えなくて、そんなときは地方さんのお姉さんがすこしお三味線をゆっくりしてくださったり(笑)。失敗談は数えきれません。お座敷のどこが上座で、どこに気を配らねばならないのか・・・お酒の種類、タイミング、暗号のような言葉。「ハテナ?」の日々が続くのでした。
お着物のいいところ・・・それは何度でも生まれ変わってくれること。本当に気に入った一枚の着物大切にきて、何度も八卦をかえてみたり、最終的にはお座布団や炬燵布団になったり、最後まで楽しめる。いいものだなぁと思います。
この梅の小紋を購入したのは10年ほど前、ぽってりとした縮緬にグレーの濃淡で描かれた反物はひと目で気に入ったものでした。当時まだ20代(後半ですが)だったので八掛は呉服屋さんが地味になりすぎんように、とこの色の八卦を選んできてくれました。年に二か月ほどの出番の着物ですが、色目としては地味なようで華やかで着ていくと周りの方に喜んでいただける一枚は、春先には大活躍。洗いにも何度だしたのでどうしても縮んでしまい今回仕立て直しに出すことにしました。さて八掛選び!春めいた薄色をいろいろもってきましたが、思い切って地味目に。今度はじっくり帯で楽しめる着物になりそうです。来年の楽しみができちゃった(´艸`*)!
今日は息抜き投稿。
祇園甲部の女紅場学園の非常口案内です。ある日さりげなく非常口のマークが書き換えられていました(´艸`*)。
こんな遊び心ののあるひとが、女紅場にいたなんてー!!(←失礼・笑)ちっちゃく衝撃でした。
舞妓さんの学校にふさわしいこのマーク、丁寧なようで、まぁまぁいい加減なこのバランスが絶妙です。肩にはちゃんと縫い上げはあるし、翻る袖に緊急事態の緊張が走ります(笑)。
ところで国際規格として世界で見かける緑の非常口マークはなんと日本人がデザインしたものなんですって。たまにこんな風なパロディーをみつけてはにやけています(笑)。
ちなみに、弥栄会館のお手洗いの案内もかわいいので、この春おでかけの方はぜひチェックしてみてください!!
仕込みさんに入って、毎日毎日お母さんからいろんなことを教えていただく中で、最初の課題がお箸の上げ下ろしでした。屋形にはいって、用事を覚えるより先にまずは毎日のごはんですから。私は心強いことに同じ家にもう一人仕込みさんがいて同期として、まるで双子のように大きくなりました。私は握り箸で、彼女は左利き(笑)。毎回のごはんの時に、お母さんに丁寧に教えてもらうのですが、癖のものですからなかなか大変でした。そんなん気にしていたらご飯の味もわからへん。使えるならいいやん!って正直ちょっぴり思っていて(笑)。
でもその時にお母さんが、なぜ直さなくていけないのか諄々と説いてくださって。「舞妓さんに出たらな、お客様の前で一緒にごはんよばれんならんときもあるし、お取り分けせなあかんときもあんのえ。そのときにおかしなお箸を使い方してたら笑われてしまうやろ。そやさかいに今の間に直しとかんと。」・・・ああ、それは直しとかな・・・と子供心に納得。どうにかお店出しまでには間に合ったのでした。あとご飯を早く食べること、お風呂に早く入ることも、まず教育してもらいました。昔なら家や学校で当たり前に教育されていたことが、私たちと時代ぐらいから個性や、自由という言葉でなおざりにされ始めていて、屋形のお母さんは教えることが10倍、いや、もっと増えたのではないでしょうか。
「私、舞妓さんになる!!」と九州大分らからでてきたのは21年前の春。祇園には同期が6人いました。あまり多い年ではなかったのですが、なんと100%の生存率で翌年にはなんと6人とも舞妓さんデビューできた珍しい年。うちの同期はドライでベタベタ付き合うタイプではなく、とってもマイペースな仲間で、今も変わらず付き合っています。同期というのは友達ではなく、同志。学校のときのとは違う関係性が心地よくもありました。
3月の中学卒業後すぐにお世話になる屋形にはいり、住み込み生活がはじまるわけですが・・・着物もちゃんと着た事のない子たちを1年でお座敷に出られるようにするのは並大抵のことではなく、それはお姉さんもお母さんも、お師匠さんも根気のいることだったと思います。そして本人たちも。故郷も、育った環境もバラバラな私たち。預かってもらっている屋形のしきたりや、家風も大きく違う中でお互いを励ましあい、大きくなっていきました。
お世話になった「西村」さんでは、仕込みさんの当初は高下駄と半幅帯で。この下駄が嬉しくって!髪にはリボンのついたネットがお姉さんがお下がりで。着物も最初はお姉さんやお母さんが着せてくれますが、そのうちすぐ、一人で挑戦させられて・・・お稽古いく前に、見せにいって直してもらってちょっとずつ着られるようになる、そんな感じでした。ある意味ちゃんと着付けとして習っていないので、今でも自己流です。近年では着付け教室に行かないと着物は着られない風潮がありますが、ほんの100年前の普段着。難しく考えすぎのような気もします。もっと肩の力をぬいてお着物を着ていただけたら、着物文化が少しだけ広がるのに。手にもっている長細いものはお扇子入れ。仕込みさんのお稽古は、これだけを抱きかかえて門前のお稽古場に通うのでした。そうそう、一度6人のうち一人だけ100円のたまたま持っていたことがあって、お稽古帰りに缶ジュースを買ってビルの陰でみんなで飲んだことがありました。いっぱいのカケソバならに缶ジュース。これが帰ってから、こっぴどく怒られて・・・正直当時はなんでこんなことでここまで怒られるのかさっぱりわかりませんでしたが、今になれば有難い教えだったと思います。そして祇園町の情報網の速さに震えあがった事件でもありました。門前のお稽古場から家に帰るまでに、情報のほうが先に届く。それぐらい街全体が見守っているその、有難さと怖さを最初に知った甘露でほろ苦い、缶ジュースの思い出です(苦笑)。
銀座の真理福さん姉さんのところにかかっている私の大好きな絵。とっても懐かしく、あったかい気持ちになれる絵です。
いろんなお姉さんのことを思い出す一枚・・・今は私が左側のお姉さんじゃないといけないんだろうけど、この絵をみて自分を映すのは舞妓さんの姿。あったかい気持ちになる半面、私は最後までお姉さんになれていなかったんじゃないかなぁ・・・と反省する絵でもあります。
こうやって、姉妹筋ではないお姉さん方も着物や簪を直してくださって、それが恐縮しながらも嬉しいものでした。花街の中では、基本お母さんとお姉さんしかありませんが、本当に祇園の先輩みんながお姉さんでお母さん。先輩のお姉さん方はわりと個性的で(笑)、憧れと恐れを抱きながら育ちました。
よく、イジメとかあるんでしょ、と山村美沙サスペンス好きのお客様に聞かれていましたが(笑)、意外とないものでイジメはありません!好き嫌いがはっきりしているだけで陰湿なものではないのです。これをイジメといえばそうなのだけど・・・ちょっと違う。上下関係がしっかりしている、個人主義の世界。きつく言われいるとどこかで違うお姉さんが見ていてそっとフォローをしてくれる、なんとも言えないバランスのおっきな家族。そんなあったかいところでした。
祇園の路地の奥にひっそりのある和菓子屋さん。甘泉堂さんというお店なのですが、ここの羊羹は絶品です!!今なら栗蒸し羊羹、夏なら水ようかん。仕込みさんのときにこちらの水ようかんをよばれたときの衝撃。いくらでも食べられる品のいい甘さと舌ざわり。いつか一本食べてみたいっ!と思った私は、自前になって本当に挑戦しました。
ここのお店は味ももちろんですが、敷居の高さも値打ちがあります。無人の店先に立ち、ひたすら「すいません~」と呼びかけ続けないとお店の方が現れてはくれません。そして奥から・・・・とまぁ、あとはいってのお楽しみに。うちの母や呼びかける前に店先でかなり躊躇⁽笑)。買ったあとも「さすが京都・・・」としきに感心していました。羊羹の他にも、不思議な形の最中やお汁粉。バレンタインには予約制のハートの薯蕷饅頭なども。わりと遅い時間まで開いているので、お土産を買い忘れたときなどにも重宝なお店です。
祇園の隠れた名店のご紹介でした!!
2007年は貫一お宮。そう熱海の海岸を散歩する、悲恋のあの二人です。これを思いついたのは、お客様が歌うカラオケを聞いてでした。実際には詳しくお話も知らなくて・・・まぁでも、なんとなくダイヤモンドに目がくらんだお宮ちゃんと、今月今夜の名セリフでお客様世代にはおなじみかなぁと⁽笑)。歌舞伎の演目を選んでも、お客様の三分の一は演目自体を知らない方が増えてきたころでもありました。
そしてなにかほかの組と違うことがしたい私は、パロディーに当時オダギリジョーさんのCMのライフカードを選んだのでした。お客様が貫一お宮のENDを選べる・・・「お金」「勉強」「愛」三パターンのオチがあるというわけです。「お金」は浜田省吾さんの♪MONEY 「勉強」はなんだったけなぁ。「愛」は♪愛の讃歌を選曲して。二日間で約八十件まわるのですが、酔ってくるとお宮を蹴る足に手加減がきかなくなって・・・お化けが終わるころにはお宮ちゃんがアザだらけ(;゚Д゚)!
ごめんね、ごめんね~と蹴っては謝る、まるでDVな彼氏のような二日間だったのでした(苦笑)。
もぉもたろさん、ももたろさん♪
この年に選んだのは桃太郎でした。なぜこの曲を選んだのか・・・・それはコンビを組む彼女は絶対に桃太郎が似合うと思ったから(笑)!私の目に狂いはなく、凛々しい桃太郎姿に!!
ということで・・・私は犬に。雉と猿も揃わねば鬼退治どころかお座敷にもいけません。猿は東京のぬいぐみやさんで調達。雉は剥製というわけにもいかず、京都造形芸術大学さんの学生さんに協力していただきました。重たくなく、かわいく、おしゃれな雉を・・・という無理なお願いをテスト期間中の彼女たちは完璧に仕上げてくれました。発砲スチロールの雉!しかもネックレスなどの装飾のついた超ラブリーな雉に。鬼退治もテンションが上がるってものです。
私の「犬」問題も大変で。裏方さんに知恵をしぼっていただきました。まずは鬘。遊園地で見つけてきたおもちゃの耳を鬘に!お化粧も犬らしさを追及しながらも芸妓のかわいらしさをギリギリに残して(笑)!衣装は・・・どの袴が犬に見えるか、いっぱい並べて選ばせてくださいました。
そして当日には、なんと背中に「いぬ」のサプライズ!!いつも都をどりでお世話になっている最強のメンバーが、お化けも本気で遊んで考えてくださるという心強さ。このクォリティに支えられて、胸を張ってお座敷に行けるのです。確かこの時はパロディは平井堅さんのPOP STAR。真顔でJ-POPを踊る桃太郎と犬・・・シュールでしょ(笑)。
そして祇園では今日からお化け。妹たちが三人で初お化けをします。応援したくって新幹線に飛び乗って、この記事を書きながら京都へ向かっています。お化け魂(なんやそれ・笑)、引き継いでもらえたようで嬉しいです。
この演目は「猩々」と呼ばれるもの。お酒が大好きな妖怪・・・有名な演目で能にもありますし、井上流でもありますが、本来若輩には舞えない大切な演目なのです。ですがお化けは一応別物。
一年に一度違うお流儀の舞を習ってもよい行事なのでこの時とばかり選びました!この真っ赤な鬘と衣装を着てみたくって!そう、意外と単純な理由で演目選び⁽笑)。
このように、たとえ余興であっても本物の拵えをして、お座敷をまわるのですが・・・二日間で80件ほどお座敷をまわらせていただくでしょうか。ようは80回踊りも踊ります。ひたすら、踊って、飲んで、走る!!最後のほうはもうわけのわかないテンションに⁽笑)。
そして衣装は舞台の時ではありえない酷使で傷んでしまうのです。二日目にはそれを衣装やさんが苦笑いしながら丁寧に直してくださって、また出陣!!
ちなみにラメできらめく酒壺はサヨコ特製です。父からの遺伝か小道具を作るのが大好きな私はこの年あたりから道具つくりにもはまっていきました。
いそいそとノムラテーラーに通っては、夜な夜な小道具つくり。ちなみにオレンジの紐は鼓の調べをわけてもらって。改心の出来の壺でした(´艸`*)。
自画自賛ですが。
さて・・・せっかくお酒にまつわる演目をするのだから、パロディーもお酒にしなくては。
「SAKE」と書かれた箱に、一升瓶を仕込んでいざお座敷へ!酒壺の中には、五合は入る朱塗りの大盃がしのばせてあります・・・そう、お客様への振る舞い酒です!!
パロディには子供のころにCMで聞いていら「カッパパ~飲んじゃった~、ちょっといい気分~♪」を選曲。この曲、もう舞妓さんで知っている人はいなんでしょうねぇ・・・
頭におさらも乗っけて、見てください、この笑顔!楽しそうでしょ?!楽しいんですよ~。
お酒を振る舞うと返り打ちにあうこともしばしばで、九時を回るころには早くも、いい気分~ウィッ
なのでした。
早いもので一月も今日で終わり。明日から二月です。祇園にいるころは毎年この時期は節分のお化けの準備におわれている時期でした。そもそも厄払いとして常と違う格好でお参りにいったのが起源のようですが、花街では格好だけにとどまらないとっても楽しい風物詩です。この日は芸妓さんが気心の知れた仲間と組んで、仮装をした上でお座敷で芸をして歩くのです。芝居好きの私は舞妓さんの時からずっと憧れていた行事のひとつでした。襟替えをするやいなや、すぐに同期の子とお化けデビューしたときの演目が「勢獅子」。初参加なのでなるべく軽装で場のあるものを・・・こんな風にちゃんとお祭りの格好をして、お座敷で長唄に合わせて踊りを踊ります。獅子舞もあるので厄払いにお客様の頭にかみつたりして喜ばれたものです。そしてお化けには必ずパロディーが。同じ家のコンビだったので「兄弟船」を選びました。私のポリシーとして私の知る限り祇園で見たお化けの演目はしない!と固く心を決めて2003年から2015年まで、毎年一年で私が一番はりきる節分がはじまったのでした。
しばらくが私の渾身のお化けシリーズをアップしていこうと思います。お付き合いいただけたらうれしおす。初年度はこんなものですが…年々すごくなっていくのでお楽しみに!!なにせ、一年中来年のお化けをなににするか考えているような芸妓でしたから⁽笑)。
友禅の打ち合わせに京都へ。久々に地下鉄に乗ったら・・・「あ~!!わたし!」!!
舞妓さんの最後の年に、都をどりのポスターに描いていただいたものが今も観光協会のポスターに使われていて忘れかけて、いた頃にこうやって見かけるのです。かれこれ十七、八年前ですかねぇ。こうやって見かけると懐かしくってうれしいものです。
右のお扇子を持つ手に私の癖がでていて、当時姉さんに「紗代子さんの手やなぁ」って言われて苦い思い出も一緒に思い出します⁽苦笑)。
都をどりのポスターは昔から日本画と決まっていたようで、かつては磯田又一郎さん、秋野不矩さん、広田多津さんなども手がけておられました。こちらの絵は辰巳寛先生で、今は女紅場の先生でもあります。都をどりの会場では昔のポスターも飾られていて、日本画がお好きならこちらもなかなか見応えがあって楽しいですよ!
これは昨年のお正月にとったもの。
親戚一同で着物を着てお参りにいこう!という物好きな母と私の企画でこんなに賑やかな一団となりました。それにしても着物とはなんと素晴らしいことでしょう!
この中で一番古いものは赤い被布も下のピンク小紋。おおよそ40年。これ、母と一番下の子以外全員着たことがあります・笑!!あ、いやまてよ。もっと古いものが。右端の紅白の絞りが母の10代のものなのでもっと年代物ですね。他にも私のであったり、姉のものであったり、姪っ子ものであったり・・・それぞれの年頃に合わせて共有できる着物。それは思い出の共有でもあります。
前の日に着物を引っ張り出しててんやわんやでしたが、とっても楽しいお正月になりました。
ちなみに、男性軍は拗ねモード。どうやら着たかったようです・笑。来年には亡くなった父の着物も、縫い上げをして甥っ子も着られることでしょう。
箪笥にお着物の眠っているアナタ!めんどくさがらずに来年のお正月はご家族で着物で初詣、いかがですか?!
新春の新橋演舞場へ舞妓さんが観劇に。
私も歌舞伎の大好きな舞妓だったので、歌舞伎に、しかも東京のお芝居へ連れていただけるときは指折り楽しみにしていたものです。だいたいこういうときは「そんなり」といってお白粉をぬらずに、普段のお化粧でおでかけします。着物もお芝居にもよりますが、小紋や附下で・・・屋形にいる間はお母さんの用意してくださったものを着ていきます。南座など劇場が近いときはショール程度ですが、大阪や東京のお芝居の時は道行を着て。
よぉくみてみてください!!肩にはちゃんと縫い上げが!舞妓さんの身に着けるものには振袖、お稽古着、見えないけれどお襦袢、そしてこのように道行や雨ゴートにまで縫い上げがあります。
もうこれ以上は大きくならないのですが(なっても困りますが・笑)、幼さを演出するために縫い上げを続けるのです。喪服も同様で、縫い上げがあり、お袖も長さも長め。たったこれだけでのことで、喪服でさえもどこか幼く可愛らしくなるのが不思議です。翌日の昼の部も見て帰るそうで、とっても嬉しそうな二人なのでした!
今日で紋日も終わりですね。明日からは日常がもどります。先日1月8日に京都国立博物館の新春の催しがありました。春の舞、と題して祇園甲部の芸舞妓さんが、一階ロビーの特設舞台で二回公演舞を舞い、簡単な説明や質問なども加わる舞台。
この写真は第一回のもので、去年のお写真です。
そもそもは、不定期で京都国立博物館にお世話になり勉強会をしていたのが発端で、お声がけいただいた催しでした。今年は去年にも増して大盛況だったとのこと。ご縁がつながっていくのはうれしいかぎりです!!
お正月の十五日までのこの時期は、七日と十五日は黒紋付きで、他は色紋付き。普段の裾引きよりも少し豪華な衣装で、三つ紋です。
今年は芸妓さんが「せっかくなら」と黒紋付きにしてくれたそうで、華やかな中にも凛とした美しさがあったことでしょう。私は今年は用事が重なって当日のお手伝いはいけませんでした・・・(涙)
来年も、引き続き開催予定ですので、ぜひ皆様2018年のお正月は国立博物館へ!
お勉強会の様子も、そのうち載せますね。
あけましておめでとうさんどす。
新年のご挨拶が今頃にになってしまいました。
年末年始といろんなことが変わり、動き出し、気が付いたら2017年を迎えていました。
長吉呉服店はじめてのお正月です。とはいえあまりのバタバタで。格別なにをするわけでもないのですが、お正月飾りを買って、鏡餅を用意した程度。京都のころは、根引きの松を買ってきって、半紙に巻いて水引で結んで門に用意したものですがさすがに東京ともなると・・・そしていまの家の佇まいにはしっくりこないので(笑)。
今年はどんな年になるのかなぁ・・・なんて考えていましたが、どんな年にするかは自分次第。
旧年中にいただいたご縁を大切に育みながら、私らしい2017年にしていこうと思います。
本年も、よろしくお願いいたします。
久々に祇園でのお話を。このカゴを見たことがありますでしょうか?舞妓さんや芸妓さんが裾を引いた格好のときお座敷に行くときもっていく鞄=カゴです。
店出しのときには舞妓さんは赤、芸妓さんは薄紫や水色などの無地に名前の縫いの入ったものを誂ます。普段はかわいい小風呂式や布を見つけて、祇園の幾岡やさんに持っていくと誂てくれるのです。紐もお店で選ぶのですが、紐一つで舞妓さんらしくなったり、芸妓さんらしくなったり。
夏は白、冬は黒のカゴ。一時は国内でのカゴがなくなりかけたことがあり、小風呂敷ではほんの少し足りなくなって困った時期もありました。
気になる中身は芸舞妓の舞のお道具の舞扇や手ぬぐい。お化粧直しのお紅やコンパクト、千社札、手鏡に櫛・・・などなど。私は必ず本を入れていました。お客さまのご到着が遅れて、お座敷待ちの時間の時に読む本。この本のおかげで、待ち時間がちっとも苦ではありませんでした。ただしその分カゴは重たくなってしまって。いつも筋トレ状態(笑)。今でもその癖は抜けなくて、カバンに本が入っていないと、どこか落ち着きません。待ち時間はスマホを触っていることのほうが多くなってきたのに・・・(苦笑)。
開業するのあたり「長吉呉服店」を消し札を作ってちょうど一年。携帯電話につけて肌身離さずもっている消し札を書いてくださった師匠のお店に奇遇にもだどりつけたのは私にとって幸先のよい嬉しい出来事でした。
最近、本当に不思議なご縁がたくさんあります。
京都にいた20年につながるご縁で、でも京都にいるときはつながらなかったご縁。
東京にでてきたからこそ、つながったご縁です。
つなげてくださる方にも感謝でいっっぱいで、鷲さまにも手を合わせますが、縁を運んでくださった方にもこっそり手を合わせています(笑)。
先日、初めて酉の市にいってきました。11月の初めての酉の日の市だった11日。待ち合わせの時間を聞いたときは耳を疑いましたが、午前0時から始まる市だったとは!!この日は0時ごろから小雨がぱらついていて、鷲神社につくと電球色の中に色とりどりの熊手が華やかに飾られて、どこか違うところへ迷い込んだような不思議な景色でした。京都のえべっさん(十日戎)に当たるものなのでしょうが、もっといろんな色が入っていて、えべっさんに比べどこか異国情緒を感じました。
たまたまお供した先で私も初熊手を購入することにしたのですが・・・そこでなんとも嬉しいご縁をいただきました。名前を入れていただく際に「長吉呉服店、知っているよ!」と。お店の中を見上げると橘右之吉師匠が!!寝ぼけまなこの私は一瞬なにがなんだか・・・(笑)。
伺ったお店「よし田」さんは後で聞けば師匠ゆかりのお店だったのです。
ずっと憧れだった京縫の教室へご縁あっていかせていただきました。京都でもとても有名な長艸縫工房さんの体験教室で、今回は袱紗入れに挑戦。地色のグレーは事前に決めていましたが、糸の色は当日に選ばせていただけます。今回は水色系、紫系、オレンジ系が用意されており、私はオレンジを。
紋付などのよく使われている京縫はある意味身近にあるものではありましたが、こうやって挑戦させていただいて改めて祇園にいるときになんと素晴らしい着物を着させていたんやなぁと思いました。こんな風にして、あの紋付の菊の花弁は一枚一枚化粧されていったのかと。同じ糸でも先生が針をもつと糸の艶がでます。当たり前なのかもしれませんが、目の前で見ると本当に不思議。伝統工芸士の技をこんなに近くで拝見できて、とても幸せな時間でした。いつか時間と財力ができたら通いたいなあ・・・。
先日のハロウィン、皆様は仮装なさいましたか?今回は色の連想コーデのお話です。もともとはヨーロッパの行事で秋の収穫を祝い、悪霊を退散させるためのもので日本人には関係のないもののはずですが、いまや一大イベント。そこらじゅうにカボチャの飾りや、衣装があふれます。祇園にいたころの節分のお化けに近いのでしょうが、まだまだハロウィンは私にはなじみのないもの。そんなときに、この着物コーデででかけたら、「すごい!ハロウィンコーデですね。さすがす!!」とほめていただきました。
正直私にはなんのことやら・・・(苦笑)。だって、薄紫の花扇の附下に御所解の帯でとっても古典な組み合わせなど思っていたので。聞けば色目なのだそうです。紫✖黒✖オレンジはハロウィンを連想させるものだったそうで聞けば納得。ということでその日は「ハロウィンコーデです」とさも得意げに過ごしました(笑)。
先日の京都で、とても素敵なご縁をいただきました。たまたま立ちよった祇園のカフェでオーストリアから来た花街と日本文化が大好きな女の子がいて、今回の来日で着物を作りたいのだど・・・・でも言葉の壁もありなかなか難しいというお話を伺いました。相談ぐらいならお手伝いしますよ~という話から、今回のご購入に至りました。
舞のお稽古にも、鼓にお稽古にも通っている彼女は、どこか日本的な物腰でとても素敵な女性。薄い色のお着物を探していたそうです。そんな中で彼女が私のホームページからお気に入りの一枚を選んでくださって!!
この大人ピンクの一枚、金の入った少し洋の要素をも入った模様。オーストリアでも、観劇、コンサート、およばれ・・・どんな場面でも活躍間違いなしのお着物を選んでくださいました。日本文化を積極的にお勉強している彼女とのお話の時間はとても楽しくって。
外国の方から見た日本、京都、祇園、伝統芸能、着物。日本人が思っているよりずっと魅力的です。
ただ、日本人でも敷居が高く、入口の見つかりにくい世界でもあるのも事実。彼女のように、ちゃんとした着物を一枚持つことでさえも、簡単なようで難しい。日本人でもそう感じることの多いところなので外国の方にはなおさらでしょう。どうしてそんなことのなっちゃうのでしょうねぇ。着物や歌舞伎に興味があるけど、入口がみつからない方!ぜひ長吉呉服店へご相談ください!!
自分の大好きな世界を少しでも理解していただいて、広めたい。彼女との時間の中でそんな風に思いました。
随分とブログをご無沙汰してしまいました。8月末からの遠征にはじまりバタバタと日々が過ぎていって、ふと暦を見ると10月も半ば・・・さて、久々にブログ、何から書きましょう。こちらは前に足立美術館に行ったときに魯山人コーナーの部屋で見つけた言葉です。よく、「ロサンジン、ロサンジン」と耳にする有名な魯山人ですが、この足立美術館に行くまでは正直そんなに興味深く思っていませんでした。このことばを見たときに、なんてカッコいいのだろう!と。そして日本人をとてもよく表している。‘’仕事は辛くて当たり前‘’これが常識とされるのが不思議ま風潮。楽しんで仕事しているちょっと浮いてしまうような・・・なので、ちょっと辛そうに演じてみたり(苦笑)。仕事の中に遊びを見つけても、楽しんでも、別にいいのか・・・とちょっとホッとしたものです。
私はとにかく遊ぶのが大好き。
インスタグラムのハンドルネーム(?)が『ASOBIWOSENTOYA』というぐらい遊び好き。仕事でも趣味でもなんですが・・・趣味だけで遊んでいると霞を食べて生きていかなくていけなくなるので、仕事にも見つけることにしています。帯の制作をしていても、小物の包装をしていても、強行軍で京都へ仕事にいっていても、どこかいつもわくわく楽しい。でもそうするとまるで仕事をしていなくて遊んでいるみたいに思われたり見られたりするのです。自分の中でそこがどうも違和感があったのですが、このことばを拝読して救われました。魯山人もこうおっしゃっているし、別にいいんだ!!さてさて、今日はどんな楽しいことを見つけて遊びましょう!
あ、もちろん辛いこともしんどいこともあるんですよ!!だからやっぱり「遊ぶ努力」。遊びを見つける努力は大切です(笑)!!
なぜか、虎屋さんのお饅頭ではなく、キティちゃんの薯蕷饅頭がのっていますが、お皿は都をどりで使われるだんご皿。
全部で5色あるのをみなさん知っていましたか?初めて都をどりに行ったときに、お皿を持ち帰ることに驚きました。なんて太っ腹なのでしょう!!
そしてこのお皿、大活躍なのです。お饅頭はもちろん、おかずも、おつまみも、果物も。ほかの花街もお皿をくれますがsれぞれの町によって、工夫があって集めるとなかなか楽しいものです。それにしてもこのだんご皿、なにを載せても、なんとなくおさまるデザインと、絶妙な大きさ。しかも割れにくい!! いつからお皿をおまけにつけてくれたのか知りませんが、都をどりの記念にもなり実用性のあるお土産。これを一番に考案した人物に会ってみたかったなぁと思います。
ちなみにもっと前のだんご皿は、色の鮮やかな永楽さんだったります。たまぁに京都の骨董品やさんで見かけることも。私もこれを大事にとっていたら、孫の代ぐらいには高く売れるのかしら・・・なぁんて考えてしまいます(〃艸〃)。
京都の溶けてしまいそうな暑さの中、白地の浴衣を着て歩く舞妓さんを見かけたことがあるでしょうか?毎年井上流の誂える浴衣は、必ず白地。小さい子供お弟子さんから大きい(年を重ねた意味)お姉さんまで似合うのは、どうやら白地なようです。そして小さな柄が多いのです。柄は毎年かわりますが、今年は団扇の柄だったようですね。桔梗や観世水、茄子、カエルの年もありました。
今年はどんな柄やろ~?と毎年楽しみでした。毎年なので、けっこうたまっていって、十枚以上白地ばかり(笑)。
それにしても和傘の日傘に白地の浴衣姿の舞妓さん、なんとも涼し気に見えますよねぇ。もちろん着ている本人たちは暑いのですが、見ているまわりに涼を運んでくれる素敵な姿。
舞妓さんってほんとうに絵になりますね。
先日、京都へ打ち合わせに帰ってきました。
降り立ったって空気を吸った瞬間に「ああ!!京都だなぁ」と実感しました(笑)。
東京でも、九州でも、気温としては同じぐらいになることもあるのですが、やはり1200年の古都は違います!20年もこの夏を過ごしたわりには正直くらくら(苦笑)。でも、これでこそ京都だとも思いました。お昼は浴衣姿の舞妓さん、夜には花見小路を次のお座敷へ急ぐ芸妓さんを見かけて・・・
あんなに重装備をしながらも、なぜかTシャツで歩く人たちよりも涼し気に見えるから不思議です。よくお座敷で「暑くないんですか?」と聞かれていましたが、なるほど聞きたくなるほど涼し気。本当は溶けてしまうほど、暑いんですけどねぇ。着物をきちっと着ていたら、着ている本人はともかく、まわりには涼を運ぶものらしいことを発見した京都でした(笑)。
夏になると、京都のお店などで見かけるこの団扇。これは、芸・舞妓が夏のご挨拶にお茶屋さんやご贔屓のお客様、またよく行く喫茶店やお店などにお配りするものです。お店にとっても、ここは芸舞妓さんがよく来てくれるのですよ、という宣伝にもなるわけですね。
朱の色で大きく書かれた名前。右に書かれていているのは、屋形にお世話になっている人は屋形の屋号に、自前さんのお姉さんは実家の名字になります。裏の家紋もまたしかり。
昨今では私をふくめ、日本全国から舞妓さんに憧れて京都へでてきます。名字も地方の名前でかわったものがでてきたり、また家紋という風習のない地方からの子もでてきたり。ゆっくり見るとまた楽しいものです。うちはいたってノーマルな丸に橘ですが、前にいた芸妓さんで、ほっぺにペケ印のついた少しヤクザな雀が三羽円陣をくんでにらみあっている、とても面白い家紋がありました。なんていう家紋なのだろう・・・と気になりながら、聞けず仕舞い。今度紋帳で調べてみなくては。この団扇、なんとなく普通の団扇と違う風を運んでくれる気がするから、不思議ですね(笑)。
私の初めての縫物の浴衣を、甥っ子が袖を通してくれました。まだつかまり立ちの8か月の男の子。
この反物は和裁の先生が、入用分だけわけてくださったものです。今時なかなかこのような古典柄を、しかも入用分だけわけてくださるところは少なくて助かりました。
兵児帯は実家から母がもってきてくれたもので、かれこれ50年物の年代物です。叔父、兄、甥っ子と世代を経て大活躍。この緑の色も今はなかなかみかけませんねぇ。渋くってなんともかわいい。
甥っ子はとても古典的なTHE日本な顔だちの子で、今回のコーデがぴったりで大好評!!
一つ身なので、2、3年は着てもらいたいところなのですが、お父さん似なのですぐにおっきくなるのかもしれません。
少し早いけれど次は四つ身に挑戦しようかな。
自分の縫ったものを着てもらえる喜びを感じた、1枚目のお仕立てでした!!
父が亡くなって、16年。今年は17回忌でした。私が舞妓さんの時に急にこの世を立ってしまった父。父と過ごした時間は中学卒業までなので、同じだけ父のいない時間が過ぎました。舞妓さんになるのを反対していた父で、男親だからやっぱり心配性。ホームシックになって公衆電話から家にかけると、母は「屋形のお母さんが心配するから」と怒るのですが、父が出ると「水はどうだ、辛くはないか、帰ってきてもいい」。まさに飴と鞭でした。でも反対を押し切ってでてきた手前父には心配かけられないので強がって「みんな優しくて、とっても楽しい」と言って電話を切っていました。あの電話があったから、舞妓さんデビューまでもったのかもしれません。いっぱい聞きたいことがあったのに、反抗期や照れでなんにも聞けずじまい。今でも枕元でもたってくれればいいのに、と思います。アウトドアとものを作るのが好きなのは父譲り。きっとこんなちょっと変わったローソクも喜んでくれるはずだと選んできました。
13回忌からイベントや遊ぶのが好きだった父を偲び、親族お泊りキャンプがはじまりました。今年で5回目。釣りにいったり、海にいったり、山に登ったり。20人は軽く超えるので小さい学校のキャンプ並みです。夏休みの時期に、20人以上の宿泊を探すのは毎年けっこう至難だったります。ロッジだと3軒。来年からは学校用の宿泊施設を探そうかと・・・(笑)。叔父叔母、いとこ、はとこ・・・それぞれ、毎年状況が変わる中で、1年に一度顔を合わせて過ごす時間は、今ではなくてはならない年間行事となりました。日頃の浮世の悩みから解放されるひととき。家族だけだとこうはいかない、なんともよい距離感。居心地がいいものです。これも父のおかげだなぁと思い、今回も手を合わせたのでした。
この夏、皆様も親族キャンプ企画してみてはいかがでしょうか?!意外と、かなり楽しいものですよ!
初めての展示会をさせていただきました。今日お越しくださいました皆様、ありがとうござました。京風きつけ教室の今井さんや、元・祇園の友人の力を借りての展示会です。とはいっても今回はプライベートサロン型のアットホームな空間と時間の中で、ゆっくり着物を見てもらうコンセプトです。子供のころ、実家での展示会はよく見ていたし、お手伝いもしていましたが・・・いやはやお勉強になりました。前の日は、舞の舞台とまた違うざわざわとした緊張感で夜も寝られず。今回は心強い祇園コミュニティーの助けがあったのでなんとか無事に終わることができました。青春時代の仲間とはありがたいものですね。今回、インスタなどで興味をもってくださったお客様が足を運んでくださったことがとっても嬉しいことのひとつでした。いつもコメントしてくださっている方々とお目にかかれて感激です!SNSを昔は敬遠していたのですが、新しい素敵な出会いを運んでくれる、ありがた~い情報ツールなのだと改めて思う次第です。
今回は新作でまだ途中の商品も見ていただいたり、また下絵からのデザインのお話をさせていただいたりしました。お着物のお好きな方と、お着物のお話をできる・・・もうそれだけでも幸せなひとときです。ただ白塗りしている芸妓さんの格好だと臆面なくおしゃべりできるのですが・・・普通の女子(?)に戻ってだと、なんだか照れくさい。
半年分のドキドキをつかった一日でした。
また次回の開催の時には、ぜひぜひお越しいただきたいです。
その時までには、白くなくてもお話しできるように精進します!!
今日は八朔です。今頃はたくさんのカメラマンさんに囲まれながら、紋付き姿の芸舞妓が「おめでとうさんどす~」と口々にご挨拶にまわっているころでしょう。10メートル歩いただけで溶けてしまいそうな暑さの中で、黒の紋付姿で、年々増える人込みをかきわけて歩く数時間はなにかの行のようなしんどさでした。よその街では、軽装になっているところもあるのですが祇園は未だ正装。どんなに暑くても続けるその心意気が私は好きでした。
毎年恒例で、八朔の出発前にはみんなで玄関で勢揃いのお写真を。20枚近く残る写真には、自分もふくめて、年々お姉さんになっていった歴史が残ります。ある程度お姉さんになったら、白塗りから、からげの恰好になっていきます。そしていつも足元にはチロ。この子で3代目チロです(笑)。大事な家族の一員で、チロのいない写真はありません!!そうそう、たまにカメラマンさん同士で喧嘩されるのに困っていました。お写真をとられる皆様にはぜひご配慮のもと、熱中症に気を付けて、お写真をとっていただきたいです。
和裁教室に通い始めて数か月・・・というか、10回も通えていません。それでも、こんなにかわいい一つ身の浴衣が縫いあがりました。とっても素敵なお師匠さんに巡り合えて、丁寧に楽しく教えていただけた賜物。着物が好きな人は多かれ少なかれ興味があると思います。和裁、おすすめです。こんな風にできているんだ!とか。昔の人の知恵が詰まっていたりとか、着物がもっと愛おしくなります。自分が着るもの、また誰かに縫ってあげるもの。針を運ぶ時間はとても幸せな時間なんです。うちのお師匠さんのすごいところは、まず子供用を勧めてくださったこと。大人用に比べて縫う範囲も狭いので少し楽ですし、でも大人と同じことを勉強できますし、なにより、小さいパーツを見るだけで「かわいい~!」とテンション高めでお稽古がすすみます(笑)。
私は幸い、半年前に生まれた甥っ子がいたので、甥っ子用の一つ身。肩と腰上げをして、さらにかわいく!!縫っている間中、ニヤニヤしてました(笑)。仕事の都合で途中でお稽古になかなかいけなくなっていたのですが、この間のお稽古で急いで間に合うように教えてくださってどうにか地蔵盆までに間に合いました!和裁、ずっとやってみたかたんだよねぇ~と思ってるアナタ!!今ですよ!ほんっとに楽しいですから!
今頃京都は祇園祭の真っ最中ですね。先日から、鉾やお囃子をテレビやSNSで見ると、ちょと心がざわつきます。里心がつくというか・・・そんなに思い入れがあったのか!と自分でもびっくり。思い入れといえば、祇園祭の期間限定のお姉さん舞妓さんの髪型「勝山」です。当時は痛くって重たくって、自分の髪型を愛でる余裕はありませんでしたが、改めてみるとなんとまぁ、可愛らしいのでしょう。特別華やかに装う髪型を見ていると暑さを忘れてしまいそうです。かけものもの年数によって赤からピンク、水色などにかわっていきます。ただ、この髪型、本当に重たいのです。暑さの厳しい京都の夏、高枕でけっこううなされていました(笑)。今はいい思い出です。
10数年前に祇園で同じ時間を過ごした後輩の照ひなちゃんにお声がけいただいて、開店3か月めで初めての展示会に挑戦することになりました。照ひなちゃんは自前と同時の引退して、渡米。会社を設立して10年の新しい世界での大先輩です。呉服店を開業するにあたって沢山のアドバイスをくれる心強い、私にとっては先生のような存在です。そんな彼女にお誘いで、今回共催の形で展示会をすることになりました。この素敵な告知も彼女が制作!とにかく右も左もわからないので、甘えさせてもらっています。
10年以上の時を経て、まさかこんな風に一緒にお仕事できるなんて、思いもよらぬことでした。打ち合わせを重ねるなかで祇園町で一緒に過ごした時間があればこそ、うまく言えないけれど通じ合えるものがあって嬉しくなっちゃいます。たまに昔の話になって打ち合わせからそれてしまうことも多々ですが・・・そんな時間も楽しくて。舞妓さんの時から、大活躍だった舞妓さんでしたが、今も大活躍。和装ヘアのレクチャーもしてはるそうで、いつもびっくりするぐらい美しく洋髪を結い上げています。私の剛毛でもできるそうなので髪が伸びたらレクチャーに参加させてもらわねば! 今制作途中の友禅の産着なども展示予定です。なかなか見ることのない友禅の過程を垣間見ることができますよ!! ・・・正直、今はドキドキしかありません、8月4日まで寝られない日々が続きそうです(笑)。ご興味を持ってくださった方はぜひ詳細をチェックしていただきたいです!おたのもうします!
詳しくはコチラ⇒ http://www.artegroupinc.com/jp/event/
嬉しいことに、先月おもいがけなく、嬉しいご注文をいただきました。祇園町からの別染の浴衣のご注文。お客様のイニシャルを入れてのデザインで、色は三色。男物、大人の女性、若手の女性で色を変えようということに・・・夏のお座敷でお召しになる浴衣です。お世話方の芸妓さんといろいろと知恵を絞り、考えていく工程はとてもドキドキするものでした。でも実は、最初ちょっと物怖じしていました。納期の問題の上に、浴衣はまったく経験がなく、嬉しい反面できるのか、せっかくお声がけしてくださった芸妓さんに迷惑かけないか・・・・駆け出しの呉服店に荷が重くないか。どうしよう?! でも、紗代子にとお話をふってくれた芸妓さんに応えたい!!!
この浴衣を作るにあたって、若手の伊勢型紙の職人さんに出会いました。おじいさんが職人さんで彼は二年前から型紙の世界に入ったそうです。今回、彼がデザイン修正、親方への彫りの依頼、日数のない中での染の手配、また染の立ち合いをしてくれました。
今朝やっと、はじめての顔を合わせの機会をもてました。伊勢型紙の将来を憂いてWEBなどを使って、どうにか伊勢型紙を残せないか奔走しているお話を伺いました。全国にある型染の着物のすべて浴衣も絹のものも、伊勢型紙でできていること。お恥ずかし話ですが私は全然知りませんでした。各地方で彫られていると思っていたのです。そしてその職人さんのほとんどが70歳以上。彫る職人さんだけではなく、絶対に必要な紗張りの方もいなくなること。もう土台から、伝統工芸の世界は厳しい状況にあることを、今回もまた知りました。でも、「今ならまだ、間に合う!」それが今日二人での同意見でした。
今回のご縁を大切に、自分たちの仕事の中であと5年を10年に、20年にできたら。
新たにそんな夢をもつことのできた1日でした。
と、いうことで長吉呉服店は型染のお誂えも全面的にお受けすることにしました!
世界に一つだけの自分たちだけの浴衣、二枚からお受けいたします(お値段、日数などについては、お気軽にお問合わせください!)。
お稽古場のみなさんで、お遊びのお仲間で、ご家族・親戚・カップルで、会社の皆様で。
プリントではなく、本物の染の浴衣をいかがでしょうか。
みなさん、歌舞伎座に一幕見席があるのをご存知ですか?これは名の通り、見たい演目を一幕だけ見ることが可能なとても便利なシステムなのです!お席は4階席で整理番号順の自由席。今日は友人と市川猿之助さんの「流星」を見てきました。なんと1000円。歌舞伎が1000円で見られるなんて!!しかも見たい演目だけなので、時間にもお財布にもお得感があります。歌舞伎座の大きな舞台を上から見ると、一階とはまた違う美しさがひろがります。この席、大向こうとよばれる方がいらっしゃることも多く、間近で「おもだかやッ」などの掛け声を聞けることもあります。けっこうビックリしますけど(笑)。今回は宙乗りのある演目なので、すぐそばまで猿之助さんが飛んでくるのです!これも下では味わえない面白さ。
幕見席に来たのはたぶん十数年ぶりだったのですが、昔は階段を延々と並んでいたのが、新装歌舞伎座ではエレベーターでひっととび。待合の椅子もあり快適に待つことができます。・・・とまぁここまではいいこと尽くし。ただ、すごい人気なのです!今日も3時過ぎからの流星を見るために11時半から並び、発券時間の1時すぎにはすでに完売。今回は女子トークをしている間に時間はアッという間にすぎたので苦ではありませんでしたが、猛暑の折などは厳しいかもしれません。歌舞伎のチケットはお高いのでそうそうも行けず、ファンとしては、そんなに人気があるのなら席数をもう少し増やしてくれればいいのに、なぁんて思ったります。来月も宙乗りがあるので、ぜひご興味のある方は一度オペラグラス持参で行ってみてはいかがでしょうか!!おススメです。
浴衣の別誂えのご注文をいただきました。イニシャルを入れての図案考案から。今回この図案は古本屋さんの兄に昔見せてもらった図案帳からヒントをいただきました。前にしか進まないから、とか、花街では、子宝に恵まれるなどトンボは昔から縁起がよいと言われる柄ですが、より紐なのがかわいいですよね!!そして型紙は伊勢サミットでも注目された伊勢型紙の職人さんにお願いしました。期間が限られた中で、無理をきいてくださったKIMONO DESIGN mediaさんに感謝です!!
そして駆け出しの呉服店に、声をかけてくれた芸妓さんに。離れていても、辞めても、祇園町に助けられているなぁと、本当に有り難く思います。
着物はじめのお客様へ、お品物をお納めにいってきました。「ずっと興味があったけれど、どこでどう買ってよいのはわからなかった」そうで、私が呉服店を始めるということで、トータルコーディネートでご注文くださいました。なんとこのお着物姿、ご自分で着られたのです!お納めした初日に、3回のお稽古で。着物は難しい、めんどう、大変・・・とおっしゃる方も多いのですが、ほんの7、80年前までは普段着。実はそんなに大変ではありません。舞妓さんに来た子だって最初は産着以降着物を着たことのない子もいますが、お稽古に通う中で4,5回も袖を通せば次から一人で着てお稽古にいっています。もちろん、うまく着られていない時もあってそんなときは、お姉さん方にお稽古場で手直しはしてもらうのですが・・・昨今、着物をあまりに特別に扱いすぎて着物離れにつながっているような気がします。
今回も「意外と簡単・・・もっと早く挑戦すればよかったよ」とおっしゃっておられました。
今回のお着物は、初めてということで扱いやすい単衣の出羽木綿に半襦袢、博多帯でのご用意でした。木綿なら、もし汚してもそこまで気も遣いませんし、クリーニングはもちろん家で洗うことも可能。半襦袢も家で洗っていただけます。まずは波平生活(普段を着物で過ごす)で着物に慣れれば、どこに気を付けたらいいのかわかってきます。そうなればしめたもの。絹の着物へステップアップ。観劇や花街へ、お着物の装いでお出かけです。着物といえば女性のイメージですが、着物の力はすごくって、男性やお子さんも、着物を着るとやっぱり女性同様嬉しいもののようなのです。賛否両論ではありますが、京都で流行るレンタル着物それを表しているのでは・・・と思います。だってあんなに流行るのは、着物を着てみたい、って思う人があれだけいるってことですもの。カップルで嬉しそうにお着物で歩く姿は、とても微笑ましい。・・・噺家さんのような男性用着物だけはちょっと・・・微妙ですが(笑)。
梅雨の時期になると手放せない蛇の目傘。
これは本当は蛇の目ではないのですが、今はほとんど通称で和傘は蛇の目と呼ばれてしまっています。雨の京都の街並みになんともいえない風情をそえる和傘ですが、とても高価なものです。舞妓さんのおこづかいじゃとても買えません!!うっかりものの私は舞妓さんのとき、夜のお座敷が何件かあって途中で雨が上がってしまうと忘れてしまう。翌朝青くなって、探し回りました。そして、このように気をつけないと破れてしまう。和傘は柄を下にして立てて置くのですが、伺った先のお店が扱いを知らないと、普通の洋傘と同じように置かれてしまったり、また、傘立てにいれられて、その上に洋傘が突き刺されてしまい、このような惨状になることも多々でした。今回のこの傘は幸いにも、金沢の傘で職人さんが直してくださることになりましたが、いまは張り替えることも難しいのが現状です。もっと和傘が流行ればいいのになぁといつも思います。着物にはやっぱり和傘が絵になります。お着物がお好きな方にはぜひ、おすすめしたいです!雨の日が楽しくなりますよ!
昨日まで京都では五花街が開催されていました。残念ながら今年はよせていただくことはできませんでしたが、妹たちが秋の色種と舞妓さんで出演させていただいておりました。五花街という舞台は、京都の五つの花街の合同の舞踊会で、それぞれの町からひと演目ずつと、最後のフィナーレは五花街の舞妓さんが全部で20人、祇園小唄(違う演目の年もあります)を舞うという、豪華絢爛の会です。町の代表として出させていただくので、緊張もひとしお。私の最後の五花街は2013年でした。お名前をいただいた新名取で出させていただく初舞台。京都会館が工事中ということで南座での開催でした。歌舞伎大好きの私にとって南座は特別な劇場です。その花道から出させていただいたときのうれしさは今も忘れません!!あんまり嬉しくて下駄をけたたましく鳴らして登場。もちろん注意されました(苦笑)
菖蒲浴衣という演目で、いつもの井上流の雰囲気とは少し違う、粋な曲で、粋なお衣装。私はとっても緊張するたちなので舞台を楽しめたことは数えるほどしかないのですが、この時の五花街はそのうちの、貴重な一回です(笑)。そして大きいと思っていた南座の舞台ですが、立ってみると歌舞練場の舞台のほうがはるかに広い。改めて、祇園の歌舞練場の大きさと、その舞台に立たせていただいている有り難さを感じたのでした。
水無月の簪のお話を、今日はしましょう。
6月の花といえば皆さんはなにを思いうかべますか?彼女がさしているのは紫陽花ですね。
私がこの月で好きだった簪は柳の簪。5月末に店出しをした私に、見習いさんの一力さんのお母さんがお祝いに贈ってくださったのが柳の簪でした。
出立てさんの舞妓さんのときはあごまで届く長さの柳に赤い撫子がとんでいました。緑に赤がとても鮮やかで今でも鮮明に覚えています。お姉さんになっていくと柳の長さも短くなり、撫子もピンクに。こんなところでも少しずつお姉さんになっていきます。
私は一度もさせずじまいでしたが、傘の簪にも憧れていました。薄い絹で張られた和傘の上に、柳が下がる、梅雨に風情たっぷりの涼やかな簪、きっとお姉さんか本人さんの特注品だったのではないでしょうか?うらやましかったなぁ・・・・
東京にきてから、縁あって和裁教室に通っています。着物を扱うにあたって、名称や仕組みを知っておくために、ゆっくりとしたペースで始めた和裁。実は舞妓さんのときから興味があったのですが、ほかのお稽古もありお稽古に通うことは叶いませんでした。でも、その昔、芸舞妓さんの女紅場学園では創設時は和裁が授業にはいっていたのだそうです。いまは、すぐに悉皆やさんや呉服屋さんに預けてしまいますが、着物がもっと身近にあった時代、自分たちで手入れをして大切にきていたんでしょうね。
当たり前ですが、縫い方ひとつひとつに、意味と知恵が込められていて、先生のお話を伺いながら針を進めるのはとっても楽しい時間。
1枚の反物を着物、仕立て直してまた着て、子供用にまた縫い直して何度も生まれ変わり、小物やお座布団になったり最後まで使うことができる。物のない時代だからといえばそれまでですが、本当の豊かさってのは、どこにあるんだろなぁと考えさせられます。
この針刺しも、先生いにいただいた端切れから。私のお稽古初日の記念すべき作品です(笑)!!ちなみの、このヘラもお三味線の撥の生まれ変わりなのだそうです!
お客様のご注文のお品が出来上がってまいりました。還暦の記念に、なにか新しいことに挑戦したいとおっしゃられてお着物デビューをなさいました。何度か打ち合わせの末、ダンディズムを追及なさりまずは一人でしっかりお着物を着られるように、家で波平生活から始めることになりました。
着物はなにより慣れるのが一番。難しいことを考えずとにかく生活の中に取り入れるとのこと。
ご自分で納得する着こなしが出来てはじめて、外出するそうです。
60歳のダンディズム!かっこいいですね!!
今月から紬の単衣に馬蹄の博多織の帯でデビューです。
今回、お客様とお話しさせていただいて、男の方のお洒落に対する情熱は、もしかしたら女性の上をいくのかもしれないと思いました。
歳を重ねるなかで、オシャレも変わっていきます。
着物を選んでくださったこと、そして、お気に召していただけたこと、とっても嬉しい一日でした。
ただいま、秋に向けてお誂えの還暦にちなんだ厄落としの羽裏を染めています!
揃いの浴衣のお誂えのご注文をいただいて、お客様とご相談しながら準備をしています。
今回は男物と、大人の女性、若手の女性用の三色を同じ図案で染めることに。まず今回は色選びからです。
例えば男物。イメージはグレー系のお色目・・・青鈍(あおにび)、鉄御納戸(てつおなんど)、熨斗目花色(のしめはないろ)、素敵で難しいお名前のついた候補の数々から檳榔子色(びんろうじいろ)を目指すことになりました(正直今の日本人でこの色の名前ですぐに色が頭に浮かぶ人は数えられる程度しかいないと思われます・苦笑)。色見本と、実際のお着物にに仕立てた時の色は思いと違ってくることも多々・・・と職人さんのお話を伺いながら慎重にすすめています。夏までに仕上げないといけないので悠長にはしていられないのですが。染屋さんが箱から出してくれる端切れの数々。
藍色も水色の、微妙に違う数多の色に感動と難しさで思わずため息が・・・。着物を通じで日本の歴史と文化の奥の深さに毎度、心の底から感動します。そして職人さんの熱い思いにも。次回は図案のお話ができるように、がんばります。
昨日、用事で銀座へでかけましたら、御神輿に遭遇いたしました。
ちょっと前から、ちらほらお提灯は見かけていて、いつのあるかしら・・・とぼんやり思っていただけに偶然、立ち合えてちょっと嬉しくなっていました。せっかくなので帰り道は中央通りをそぞろ歩いて・・・ビルの谷間にけっこうな数のお神輿や提灯がまつられていて、お当番の方も半被姿で集まっておいででした。時代小説が好きで、たびたび舞台となる日本橋界隈。今では思いを馳せるすきもないほど、立派なデパートやビルばかりですが、今回お祭りを見てちょっとホッとしました。
現代になり、お祭りを守り続けるのは大変なことだと思いますが、ちゃんと形を変え、工夫されながら続けられている。
道の角々に、スペースをどうにか作りお提灯を飾る、その努力がたまらなくいとおしいと思います。
ネオン輝く背景とお神輿、これはこれで有りですよね。
女紅場学園という舞妓さん・芸妓さんの学校があるのをみなさん、ご存知でしょうか?
祇園甲部歌舞練場の裏にあり、都をどり中は楽屋としてつかわれるのですが、普段は私たちの学校です。
必須科目から選択科目まで、いろいろなことを教えてくださいますが、もちろん和物ばかりなので、お着物で通います。
・・・ということは、上履きも、靴ではなく草履なのです。仕込みんの時から、赤い鼻緒のお姉さんのおさがりを使わさせていただいていたのですが、ある時、こんな素敵なプレゼントをいただきました。
亀治郎さん(今の四代目猿之助さん)の大ファンだったことを知る友人が別誂えの鼻緒で、上草履を贈ってくださったのです。赤い鼻緒が並ぶ草履の中で、どんなに焦っていっても絶対に間違わないお草履。とっても嬉しかった。それ以来10年以上お稽古場で愛用した(結構酷使された様子がうかがえる痛みようですよね・苦笑)一足は今でも手放せず、手元のあります。そしてそれ以来、店出しした妹筋の舞妓さんには上草履を贈ることにしていました。お稽古が少しでも楽しくなるように。たかが上履きと思われるかもしれませんが、毎日通う中で、他と違う一足はとても大事なお稽古の友なのでした。
店出しの日、ご挨拶まわりが終わると、引いてくれはったお姉さんやお母さんとお盃をかわします。
義理の姉妹となる大切な儀式。男衆さんが取り仕切ってくださり、西村さんでは引いてくれたお姉さんだけではなく、全員そろってのお盃です。たくさんのお姉さんがいる屋形なのでお盃も10杯以上いただくことになるのです。ほんの1滴ほどですが、緊張と疲れで私の時には、ぽわぁ~となってしまいました(笑)。妹を引くときにはお姉さんからひとこと妹に言わねばなりません。これがなかなか難しい。なにが、今一番彼女に必要な言葉なのか・・・まだまだ若輩のお姉さんだったので最初の妹の時には悩みました。
結局私は縁あって4人妹もたせてもらいましたが、ひとつ決めたことは「素直」でした。いろんなことを教えてくださるお姉さんやお母さんがいて、伝わり方でなかなか上手く受け取れないこともあります。それはとってももったいない。でもどうしても毎日の中で心が濁ってしまう時も多くあり素直さを見失ってしまう。なので、心がけて素直でいること。素直にお姉さん方の言葉に耳を傾けること。心がけていないと本当にこれ、結構難しいんです・・・。
店出しの3日間、割れしのぶという髪に結い上げられた、出立てさんの舞妓さんの髪型です。
ただ、かんざしはこの3日間はやはり特別。
櫛から、前差し、花かんざしに至るまですべて鼈甲でできているものをつけさせていただきます。鼈甲でできた花かんざしの精巧さに子供心に驚いたものです。とても繊細で壊れやすいものなので、暖簾にひっかけただけでも破損してしまうそうで、出発前には重々気を付けるように言われました。
後にある銀の羽のようなものは「たけなが」と言われてこれも3日間のみに飾りです。この羽があるだけで、日本髪がさらに華やかになりますよね。
この期間が、自分でかんざしを挿すことも、とることもできません。毎日髪結いさんにいって、きれいに整えていただくのです。そしてお座敷の前には姉さんやお母さんが最終チェック。これも、ちょっと嬉しい時間にひとつでした。
お店出しから6日間、屋形の玄関をにぎやかに彩る
目録。圧巻の迫力です。
芸妓の衿替えの時にも同じように玄関が華やかに飾られます。見ているだけで心の浮き立つ目録。
このポスターのようなものは目録とよばれいていて、たとえて言えば、ロビーのお花にのようなものに相当するように思われます。お店出しの前日に、衣装を着せ終わった男衆さんが屋形にきて貼ってくれます。けっこうな大きさですし、貼るときの序列もあるので、男衆さんにしかできません!
見習いさんのお茶屋さんをはじめ、姉妹筋のお姉さん方、お出入りの呉服屋さん、役者さん、ご贔屓のお客様。まだデビュー前なのでご贔屓は、ひいてくださったお姉さんのご贔屓さんが贈ってくれるのです。なかなか粋ですよね。
手書きで書かれた絵にはそれぞれ寿ぎの意味が込められています。なかなかポップな色使い(笑)。
普通はこれを見ることはかないませんが、実は見れるところがあるのです!!祇園の佐川急便さんには、オープン時に贈られた目録がそのまま貼られています。荷物を出すついでに、ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
今日は用事で銀座へ。こちらへ引っ越すまでは東京はビルばかりのイメージでしたが、そんなことはなくて・・・町の随所に手入れされたお花が楽しませてくれます。今日はとってもきれいに咲いている紫陽花をみつけました。
今はもうなくなりましたが、祇園の女紅場学園への坂道のところにも大きめの植木鉢がいくつかあって、いつもそこには時候の花が咲いていました。お稽古に急ぐ道の中で、季節を感じる一瞬。
いったい、どなたがお世話していたのか・・・ずっと気になりながらも、聞かずじまい。道は舗装され、いつの間にか植木鉢もなくなっていました。今日紫陽花を見てふと、そのこと思い出したのでした。
今日は、西村さんの新しい舞妓さんのデビューの日でした。今日誕生した西村さんの末っ子は朋子ちゃん。
京都ではデビューのことを、お店出しといいます。
仕込みさんを約一年経験して、お師匠さんのお許しをいただいて、ひと月の見習いさん(わかりやすいくと研修生)を経た人のみが、この晴れの日を迎えられます。半だらりの帯から、だらりの帯へ。黒の紋付の正装のお衣装は、優に10キロを超える重さ。肩に衣装をのせただけで、体がよろけてしまいます。早朝に髪結いさんにいって、おしろいやさんに顔をしてもらい、衣装をつけて、男衆さんの伴われお茶屋さんにご挨拶へ。私の時は、まだお茶屋さんが90件近くあってなかなか長い道のり。衣装は重たいし、さらでおろしてもらったおこぼの鼻緒は痛いし・・・でも、それが吹き飛ぶほどうれしい一日です。
今の1年は早いですが、この年の、舞妓さんにデビューするまでの1年はとっても長かったですから。
3日間ほどはこの黒紋付きでまわるのですが、それまでは見習いさんのお座敷しか知らないのでどこのお茶屋さんにいっても、右も左もわかりません。でもみんな通ってきた道なので、この日はお姉さん方も寛容に見守ってくださいます(笑)。正直この3日間はほぼお座敷の記憶がないのです。もう座っているだけで精一杯。ふわふわ嬉しかった感情だけが今もまだ残っています。
20年前の5月30日。
私が店出しをした日です。神戸の震災の翌年で世の中はちょっとひっそりしていました。今日から自分を振り返る意味も含めて、このブログでたまに思い出を書いてみようかと思います。
花見小路をこぼ、こぼっと音をさせて歩く舞妓さん。だらりの帯との絶妙なバランスがなんとも可愛いですよね。舞妓さんに出てすぐは中に鈴が入っていて、かわいらしい音がするのですが不思議と髷のかわるころには知らない間に鈴が取れてなくなって。片方ずつ、いつの間にやら音がしなくなるのを寂しく思ったことを思い出します。鼻緒も赤からピンク、薄紫や水色とどんどん落ち着いた色目になっていきます。小さい舞妓さんのときはお茶屋さんの玄関に薄紫や水色の鼻緒があるともう緊張して・・・どのお姉さんが来てはるのやろ・・・とドキドキ。たった、3つ、4つしか変わらない歳ですが、雲の上のような存在でした。
歩きにくそうに思うおこぼですが、諸説のうちのひとつに舞妓さんの帯が重たいために、わざと前のめりになる履物のしたと聞いたことがあります。なるほど、衣装をつけて歩くと歩きやすいのです。これも先人の知恵なのでしょうね。
同期の舞妓さんで夜の花見小路をどっちが早いか、次の電信棒までかけっこして怒られたのもいい思い出です。
先日、京都へ行っておりました。
屋形のお母さんの白寿のお祝いで、連絡のつくOBのお姉さん方と現役の芸妓さん、舞妓さんとお祝いの宴。およそ半世紀にわたり舞妓さんを育ててくれたお母さんとお姉さん。99歳から17歳までがお母さんと姉さんの関係という不思議なお席でした。
懐かしいお話もできたりして、あったかくてとてもステキな時間。
15歳までの実家の家族と、15歳からの京都の家族。ふたつもてつ稀有な経験の中で教えていただくとことも二倍・・・いやそれ以上でした。
毎年、各地いろいろなところから、個性的な15歳を受け入れて育ててくれる懐の深さ。
昔、舞妓さんのときにお客様に、「どうして西村さんの子はみんないい子なのかな。なんでだと思う?」とおっしゃっていただいたことがあります。私はなんとも、間抜けで「ごはんがおいしいから」と答えて爆笑されました(笑)。でもその時お茶屋さんのお母さんが感心してくださってこうおっしゃったのです。
「そうかぁ。それでようわかったわ。ご飯を作るというのは大変なことなんですわ。ここの屋形はそこをちゃんとしてあげはる。本当の愛情がなかったら、なかなか出来ることやないと思います。」
当時すでに80歳を超えていたお母さんですが、10代の口に合うように、ロールキャベツやハンバーグをお肉1キロ近くも使って作ってくださっていました。まさに愛のつまった母の味。実家はお商売で忙しかったので、私は京都に来て初めて母の味を知ったのかもしれません。まだまだ思い出話があるのですが、それはまたの機会に。不老長寿のお薬があるのなら、お母さんと姉さんに一番に届けにいきます。
昭和の初めに九州・大分で創業された長吉呉服店。
大叔父がはじめた呉服のお商売は、大叔父の早世で祖母が継ぐことになったそうです。その後時代は、着物から洋服中心の時代へ。長吉呉服店もその後、衣料のナガヨシへ名前を変えていきます。今は兄が4代目で衣料と介護用品を中心としたお店になりました。それでも、ずっと着物が好きだった祖母と母が、呉服部門を縮小しながらも残しておいてくれました。前回の里帰りで、実家の古いアルバムで写真を探したのですが・・・出てくるのは、イベントものの記念写真か、家で宴会しているお写真ばかり(苦笑)。真面目に店頭や店内で撮ったお写真がみつかりません!!
イベント好きも、芝居好きも、脈々と流れるDNAのものだとよくわかります(笑)。
大分の片田舎で、いろんなものを呼んできてたんですねぇ・・・。
第二次世界大戦も、バブル崩壊も乗り越えてお店を守り、育てていたご先祖さまたち。たくさんの白黒の写真にとても励まされます。きっとお客様に喜んでいただけることを、ああでもない、こうでもないと、模索しつづけいていたのだと思います。今の世の中で、呉服を続けるのは難しいと心配の声もたくさん頂きましたが、私はどうしても挑戦してみたくて、今の情報ツールであるネットで始めることにしました。
我が家にはお商売に関する家訓が多数あり、それを標に何十年の時を経て、長吉呉服店の独立再建に挑みます。
どうぞ、皆さま、お力添えのほどをよろしくお願いいたします。
歌舞伎座の團菊祭へ、着物女子会で行ってまいりました。三人の共通点は、祇園町の元・芸妓さん。10代から知っている気心の知れた仲間で、菊之助さんのご長男の初お目見得を拝見に。
私たちが10代だったとき、菊之助さんお兄さんも10代だったわけで・・・年月をちょっぴり感じる舞台でした。
まだ二歳の和史くん、2000人の観客を前に照れくさそうで、とっても可愛らしい。三本締めも、バイバイも上手にできました。
こうやって、勝手に親戚のおばさん気分のファンが増えていくのでしょうねぇ・・・役者さんって大変ですね(笑)。お友達の二人は菊之助さんにちなんで菊の模様のはいった附下で。私は時候で色無地に菖蒲の帯でよせていただきました。通りがかりの外人さんにも喜んでもらえて、着物って得ですねぇ。
浅草に用事があってお出かけしてきました。
駅を降りると笛の音がにぎやかに。
あれ?なんだろう・・・・?
なんと今日は、かの有名な三社祭りの初日だったようです。芸者さんや半被姿のいなせなおじさん方をお見かけして、なんだか得した気分になりました。
雷門の近くを通ると今度は涼やかな音色。
もう風鈴が売られる時候になったのですねぇ。
私が子供のころにしてみたかったお仕事のひとつが風鈴売り。昔、実家で幻のように現れた風鈴売りの衝撃をおぼえました。涼を売り歩く商人に憧れたものです。
三社祭は今日から3日間だそうです。
明日も出かけてみたくなりました。
すっかり初夏の時候ですね。
今日は東京は五月晴。
こんな日は衣替え日和ですねぇ。春物のをひっぱりだして、悉皆行きとタンス行きの選別を。
タンス行きはベンジンでちょこっとお手入れ。
そしてなにより大変なのはしわ伸ばし・・・
私はひざ裏にいっぱい汗をかくので、すぐ皺になっていまいます。まぁでも来シーズンに気持ちよく着るためには致し方ありませんねぇ。
汚れを見つけたら、そく悉皆です。祇園時代からお世話になっている悉皆屋さんへ。
昔から、焦って変な処理をしないように口を酸っぱくして言われていたのでちょっと高くついても、大事なお気に入りの衣装は無理をしないこと!これが長く楽しむためのポイントなのかもしれません。
わたくしごとですが、今日は誕生日でした。
何歳になったかはともかく(数えてたらおそろしいこといなっていました。母もおそろしいと言っていました・苦笑)、感慨深い一日です。去年のこの日はどこで過ごしていたか、その前の年は・・・毎年、なんの疑いもなく同じように、同じ人たちに囲まれて歳を重ねていくものだと思っていました。それがまさか私が別の道を歩むことになっているなんて。これは絶対に誰一人として想定していなかったことです。私自身も。
舞妓さんのときのように、ただただお祝いをしてもらえて浮かれている場合ではなくなってきて・・・不安ばかりが募るおひとりさまです(笑)。でも今日、電話、メールやライン、お花のお届け物、インスタなどで離れていてもお祝いをしてもらう中で、去年までと違う喜びがありました。どこかの歌にあった、一人だけどひとりじゃない、その感覚がちょっとわかった気がします。歳を重ねるってこういうことなのかな・・・嬉しいことに、気が付ける、そんな歳をの取り方をしたいなぁと思います。嬉しいことを増やすのは、周りじゃなくて自分の頭の中。そんなことに気がついたら世の中楽しいことだらけ!ということを少し学習した2016年のお誕生日でした。
来年の5月7日は、どんな日になっているのでしょう。そんなことを考えるとグーニーズ(←古い?!)の映画並みにドキドキです!!
今日は国立劇場に妹(祇園町での)の晴れ舞台を応援にいってきました。
なんと朝10時半開演で40曲の邦楽が演奏されます。終わるのは夜9時ごろでしょうか・・・
お弟子さんがそれぞれ晴れ着をお召しになって日頃のお稽古の成果を披露します。私はとっても緊張するたちなので、妹の幕になっただけで自分が弾くわけでもないもに、手に汗びっしょり。妹の舞台でそんな感じなので、自分の時は棹も、バチも水からあがったようになっていました。
彼女は堂々と、とても立派に道成寺を弾いていて、ちょっと誇らしい気持ちになりました。祇園のご縁での姉妹で血縁があるわけではないのに、やっぱり気になるし、心配だし、誇らしい。
私は実家では末っ子だったので、そんな気持ちを祇園で妹をもつまで知りませんでした。不思議な感じです。頼りないお姉ちゃんで申し訳なかったですが。
指揮者がいないのに、ちゃんと演奏できるのは何故なのか?確かにこれも不思議ですよね。「間」というものの面白さと怖さを感じます。たくさんの長唄を聞いて、あらためて邦楽の面白さを感じた一日でした。
これは我が家の桃太郎どの御一党です。
年に1度の出番に、毎年はりきって箱から現れます。
このお人形が来てから5月5日が楽しみなりました。
毎年、配置を変えては遊ぶのです。本来なら、桃太郎は鬼の上にのっているのですが、たまには犬にお手柄をゆずってもよいでしょう!犬も嬉しそうですし・・・でも家来の分際なので、活躍はぼかし気味に(笑)。
こんなことで、けっこう楽しめるものですねぇ。
来年には勘九郎さんのところのご子息の初舞台、二人桃太郎が歌舞伎座で上演されるとのことなので、桃太郎の帯を今から考案しています!
さて、今日は近所のお風呂屋さんでは菖蒲湯らしいので、邪気を払いに出かけましょうか。
連休に友人とお着物おでかけ。
行先は大江戸博物館です。両国の駅を降りて5分。
壮観な建物の中には江戸の世界が広がります。細部にまでこだわったこの博物館、江戸への愛と賛美がつまっていました。
ジオラマの数々は、双眼鏡をもっていけば何時間でも楽しめること間違いなし。ドラえもんがいてくれたなら、スモールライトで小さくしてもらって、この世界に飛び込みたい!!とも思わせてくれます。吉原も、芝居小屋もありまして、この日は大道芸を見せてくれました。ファーストフード発祥ともいえる、二八そばやお寿司屋さんの屋台も楽しい!
原寸大のセットではこんなお遊びもできちゃいます。
裏長屋では、洗い張り中の着物も干してあったり、4畳半での家族三人の暮らしぶりがのぞけたり。江戸庶民はは今でいう断捨離生活だったのですねぇ。物がないので、最後まで大切に使う。ごみ焼却施設の社会見学も大事ですが、江戸のエコな暮らしを学ぶのも一興。
シンプルな暮らしの中で、ちょっと遊び心のあるデザインを取り入れて生活を楽しむ。とても豊かな国民だったのですね。
新緑の美しい季節。五月に入りましたね。
一年の中で一番好きな季節です。どこに行くのも楽しくなります。
京都にいるときは5月の連休はみやこメッセの古書市にでかけていました。広い会場にたくさんのお店がそれぞれの自信の商品を並べていて、時間がいくらあっても足りません。この市を知ったのは、姉のご主人が古本屋さんだったから。
あがたの森書房というお店は、いまは美術書に力を入れているらしく京都のいくといつも美しい木版の本を見せてくれます。
斬新で美しく、丁寧な本の数々・・・よくぞ残っていてくれた!!と思うのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、生で見てもらえるときっとわかってもらえるはず!
今年は、東京にいるので古書市には行けなくて残念。5日までですので、京都にお住まいで連休なにをしようかなぁ~と思っている方はぜひ、足を運んでみてください!
50万冊の古書、圧巻ですよ。
4月の博多座、揺れがおさまらない中、実家のお店主催のバスでの観劇。震災後は見に行く側も、演じる側も苦悩の公演だったと思います。
賛否両論悩んだ末、出演者の方々が、あのハードな公演の休憩時間に募金活動をつづけてくださっていること、また震災後の口上のお話をきいて、決行いたしました。
結果としては、舞台を見にいかれたお客様が、とにかく喜んでくれました。震災後、幾日もずっと地震のことしか考えらず眠れなかった日々を、忘れることができた一瞬だったそうです。
演じる側と見る側が、お互いに「ありがとう」と手を握る姿は忘れられません。
歌舞伎の枠も、漫画の枠も、老いも若きもすべてを超えた究極のエンターティメントの力。
ONE PIECEという漫画を読んだことのなかった私ですが、メッセージのたくさんつまった作品なのですね。泣いて、笑って、驚いて。北川悠仁さんの楽曲「TETOTE」にも、元気をもらいました。。
再来年には再演が決まったそうです。まさにTo be continued!
みんなに幸せと元気を運んでくれる舞台の再演が今から楽しみです。
この度の、熊本・大分地方の地震、心よりお見舞い申し上げます。
当初このブログとお店は、4月半ばに始める予定でした。ですが、その日私の故郷である九州が未曾有の震災に見舞われました。今も、大好きだった熊本・大分で苦しい避難生活を続けている方がたくさんいらっしゃいます。
そして、まだ揺れ続けています。
何かしたいけれど、何もできない現状で悩みましたが、こんな時だからこそ、やっぱりお仕事をはじめようと思いなおしました。もし、被災地に私が何かできるとすれば、今すぐではないでしょう。15歳まで私を育んでくれた、そして今でも癒してくれる故郷の力に早くなれるようになるためにも、開店準備を始めることにしました。上の写真は、4年ほど前に熊本で撮ったものです。雄大で、美しい、大好きなところ。少し時間はかかるかもしれませんが、強い心で、支援の形を模索したいと思います。
九州のこと、ブログのこと、呉服店のこと、どうぞよろしくお願いいたします。
都をどりや温習会が終わってからの楽しみにひとつが遠出です。舞台の2,3か月前からお稽古で時間的にも気持ち的にもなかなか余裕がなく、どうしても気分の晴れない日々がつづいてしまいます。でも舞台が終わればごほうびが待っている!と思えば、どうにかがんばれるもの。15,6歳からのお客様の中には、親元を離れた舞妓さんたちにとって父のような存在なってくださる方も多く、そんな私たちを暖かく応援してくれたり、はげましたりしてくださいました。
「をどりが終わったら、今度できた大坂の高いビルに連れっててあげるから、がんばりや」と励みになる楽しい提案をしてくださって、お座敷にいる芸舞妓さんの日にちを合せて遠足の日取りを決めるのです。中学をでてすぐに祇園にきた私たちにとって、京都にないきらびやかは夜景も新世界の串カツも珍しくって芸妓さんも舞妓さんもおおはしゃぎ。京都を離れて、羽根がのばして・・・帰るころに「次は温習会やなぁ、舞台楽しみにしてるで。ほな次は鶴橋にみんなでいこな」「やったぁ~!」・・・他愛のないものです(笑)。花街・・・と聞くと艶めかしいイメージがあるかもしれませんが、私の中ではちょっと違っていておっきな家族のようなところでした。その中で密かに「お父さんズ」と慕っていたお客様方は、実際実の父より話す機会も多く、十五歳からの私の成長を見守ってくれていました。
お稽古の悩みも、人間関係も、その他もろもろご相談したり、またされたり。特に私は色気のあるタイプではなかったせいもあるのでしょうが・・・(苦笑)。今でも、お父さんズは、たまにこのブログを見てくださっていて、気にかけてくださっているとお茶屋さんのお母さんから教えてもらいます。そのたびに、心の奥がぽっと暖かくなって、心配かけないようにがんばろう、と思えるのです。もちろん、お母さんズ、お姉さんズはもっといらっしゃいますが、その話はまたの機会に。
私にとって四月三十日は二十年間特別な日でした。さきほど、カレンダーをみて、あぁ千穐楽の日なんやなぁと京都の四月の日々を思い出しておりました。仕込みさんにきてから祇園にお世話になっている間、この日を迎えるまで春の喜びなど感じることもなく(苦笑)。とにかく無事にこの日を迎えるのが毎年の一番の目標。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。都をどりはそれほど、特別で大切な舞台でした。二月から始まるお稽古から、寝坊しないか、舞を覚えられるか、怪我も風邪もなにがあっても四月三十日までは舞台に出なくては。一応私は本番にお休みをしたことはありませんでしたが、舞台稽古中にインフルエンザを第一号で発症したことが・・・・
一堂に会してのお稽古なので、翌日からバタバタと発症者がでて本番ギリギリまでお休みのひとがいたときには、もう申し訳なくて。翌年からは健康に過信することなく、嫌いな予防接種も都をどりを逆算して打ってのぞむようになりました(あまり早く打つと四月まで効力がないらしく)。一日四回の舞台で、役は毎日日替わり。総をどりと言われる群舞、お役つき、お囃子、お茶と毎日とかわります。役によって楽屋入りの時間も、準備も違うので油断ができません!!夜はお座敷もあるので、つい飲みすぎてしまうことも・・・ひと月お休みのないこの一か月のおかげで、いまどんなに忙しくても、なんとか乗り越えられるような気がします。
本当は今月にもっと都ををどりのことを書くつもりでしたが、バタバタしていて結局四月三十日。
時季外れですが今から少しずつ書くつもりです!!
都をどりで書画の展示コーナーを見てくださったことはありますでしょうか?
祇園の女紅場学園には書画科があります。今日は日本画科のおはなし。日本画の教室では、日展の先生が来てくださって教えてくださいます。芸舞妓さんは絵を描くのが好きな子が多いように思うのですが、いかんせんみんな時間がないので生徒数はそんなに多くはありません。学校にはちゃんと岩絵の具も膠も、金泊もそろえてくれている有難いお稽古場。膠を電熱のヒーターでくつくつ煮ながらお座敷で目にする日本画はこんなに大変な工程を経て出来上がるのかと最初は驚いたものです。
黙々と描く時間は無になれる大切な時間でした。毎年都をどりには出品させていただく四月に向けて何を描くのか決めて・・・。いつも締めきりギリギリなので、今年こそは大丈夫!と早めに決めてもやっぱりギリギリ。お稽古の合間をぬっては教室に駆け込んで書き進めいくのですが・・・素人なりにみなさんこだわりの強いので最後の最後まで粘ります(笑)。私もその一人・・・先生にはご迷惑をたくさんをおかけました。今でも、もしいつか時間ができたら、日本画を描いてみたいなぁっ思います。岩絵の具の箱を見てるだけで幸せな気持ちになれますから。もっとたくさん描いておけばよかったな。
舞妓さんといえば「だらりの帯」。花見小路を歩く舞妓さんの背中に大きくゆれる美しい帯は、まるで夢の世界に迷い込んだような気持にさせてくれます。大きく染帯と織帯があり、6~7メートルもあり、下にはそれぞれの屋形の家紋が。これは一説によると昔はまだまだ幼い年の舞妓さんで、夜遅くになって迷子にならないためのものだったと聞いたことがあります。特にいまは屋形の件数も少ないので、後ろ姿でどのこの家の子か一目でわかるのです。染帯の時期になると、かぐや姫の
帯や、長刀鉾の帯、フルーツの柄など、楽しい帯も
多く見ていても楽しくなります!!この帯には、大きな帯枕がふたつも使われており、その重さと大きさだけできっとみなさん驚かれるはず。男衆さんの着付けでしっかり結んでいただかないと、体への負担は大変なものに。でもこの衣装、男衆さんはたったの5分で着つけてくださるのです。まさに神業!
半だらり、といいうのを皆さんはご存知でしょうか?これは約一年間の仕込みさんをへて、お師匠さんから店だしのお許しをいただいた子がデビューの約ひと月前から見習いにいく時の格好です。舞妓さんは、だらりの帯。でもまだ半人前の間は半分のだらり。初々しくて可愛い恰好ですよね!
見習いさんというのは、今でいうとインターンみたいなもので、決まったお茶屋さんに行儀見習いで預かってもらうのです。西村さんの子は一力さんへ。私も一力さんでたくさんのことを教えていただきました。
おしろいをするのも、髪を結うのも、裾をひくのも、お座敷に出てお客様や、よそのお姉さんとお話するのもはじめて。まだ16,7の女の子には心臓がはりさけそうな毎日・・・くたびれて帰っても寝るのは高枕。
おしろいは、もうとにかくひどくて、毎回笑われて。今の子は比較的みなさん上手ですが、当時は本当にみんなひどかった・・・(苦笑)。「なんえ、
おしろい壺から出てきたみたいやな」なぁんてことも言われて「おしろい壺ってなんどすか?」って聞いてまた笑われて。祇園小唄も裾がからまって上手に舞えなくて、そんなときは地方さんのお姉さんがすこしお三味線をゆっくりしてくださったり(笑)。失敗談は数えきれません。お座敷のどこが上座で、どこに気を配らねばならないのか・・・お酒の種類、タイミング、暗号のような言葉。「ハテナ?」の日々が続くのでした。
お着物のいいところ・・・それは何度でも生まれ変わってくれること。本当に気に入った一枚の着物大切にきて、何度も八卦をかえてみたり、最終的にはお座布団や炬燵布団になったり、最後まで楽しめる。いいものだなぁと思います。
この梅の小紋を購入したのは10年ほど前、ぽってりとした縮緬にグレーの濃淡で描かれた反物はひと目で気に入ったものでした。当時まだ20代(後半ですが)だったので八掛は呉服屋さんが地味になりすぎんように、とこの色の八卦を選んできてくれました。年に二か月ほどの出番の着物ですが、色目としては地味なようで華やかで着ていくと周りの方に喜んでいただける一枚は、春先には大活躍。洗いにも何度だしたのでどうしても縮んでしまい今回仕立て直しに出すことにしました。さて八掛選び!春めいた薄色をいろいろもってきましたが、思い切って地味目に。今度はじっくり帯で楽しめる着物になりそうです。来年の楽しみができちゃった(´艸`*)!
今日は息抜き投稿。
祇園甲部の女紅場学園の非常口案内です。ある日さりげなく非常口のマークが書き換えられていました(´艸`*)。
こんな遊び心ののあるひとが、女紅場にいたなんてー!!(←失礼・笑)ちっちゃく衝撃でした。
舞妓さんの学校にふさわしいこのマーク、丁寧なようで、まぁまぁいい加減なこのバランスが絶妙です。肩にはちゃんと縫い上げはあるし、翻る袖に緊急事態の緊張が走ります(笑)。
ところで国際規格として世界で見かける緑の非常口マークはなんと日本人がデザインしたものなんですって。たまにこんな風なパロディーをみつけてはにやけています(笑)。
ちなみに、弥栄会館のお手洗いの案内もかわいいので、この春おでかけの方はぜひチェックしてみてください!!
仕込みさんに入って、毎日毎日お母さんからいろんなことを教えていただく中で、最初の課題がお箸の上げ下ろしでした。屋形にはいって、用事を覚えるより先にまずは毎日のごはんですから。私は心強いことに同じ家にもう一人仕込みさんがいて同期として、まるで双子のように大きくなりました。私は握り箸で、彼女は左利き(笑)。毎回のごはんの時に、お母さんに丁寧に教えてもらうのですが、癖のものですからなかなか大変でした。そんなん気にしていたらご飯の味もわからへん。使えるならいいやん!って正直ちょっぴり思っていて(笑)。
でもその時にお母さんが、なぜ直さなくていけないのか諄々と説いてくださって。「舞妓さんに出たらな、お客様の前で一緒にごはんよばれんならんときもあるし、お取り分けせなあかんときもあんのえ。そのときにおかしなお箸を使い方してたら笑われてしまうやろ。そやさかいに今の間に直しとかんと。」・・・ああ、それは直しとかな・・・と子供心に納得。どうにかお店出しまでには間に合ったのでした。あとご飯を早く食べること、お風呂に早く入ることも、まず教育してもらいました。昔なら家や学校で当たり前に教育されていたことが、私たちと時代ぐらいから個性や、自由という言葉でなおざりにされ始めていて、屋形のお母さんは教えることが10倍、いや、もっと増えたのではないでしょうか。
「私、舞妓さんになる!!」と九州大分らからでてきたのは21年前の春。祇園には同期が6人いました。あまり多い年ではなかったのですが、なんと100%の生存率で翌年にはなんと6人とも舞妓さんデビューできた珍しい年。うちの同期はドライでベタベタ付き合うタイプではなく、とってもマイペースな仲間で、今も変わらず付き合っています。同期というのは友達ではなく、同志。学校のときのとは違う関係性が心地よくもありました。
3月の中学卒業後すぐにお世話になる屋形にはいり、住み込み生活がはじまるわけですが・・・着物もちゃんと着た事のない子たちを1年でお座敷に出られるようにするのは並大抵のことではなく、それはお姉さんもお母さんも、お師匠さんも根気のいることだったと思います。そして本人たちも。故郷も、育った環境もバラバラな私たち。預かってもらっている屋形のしきたりや、家風も大きく違う中でお互いを励ましあい、大きくなっていきました。
お世話になった「西村」さんでは、仕込みさんの当初は高下駄と半幅帯で。この下駄が嬉しくって!髪にはリボンのついたネットがお姉さんがお下がりで。着物も最初はお姉さんやお母さんが着せてくれますが、そのうちすぐ、一人で挑戦させられて・・・お稽古いく前に、見せにいって直してもらってちょっとずつ着られるようになる、そんな感じでした。ある意味ちゃんと着付けとして習っていないので、今でも自己流です。近年では着付け教室に行かないと着物は着られない風潮がありますが、ほんの100年前の普段着。難しく考えすぎのような気もします。もっと肩の力をぬいてお着物を着ていただけたら、着物文化が少しだけ広がるのに。手にもっている長細いものはお扇子入れ。仕込みさんのお稽古は、これだけを抱きかかえて門前のお稽古場に通うのでした。そうそう、一度6人のうち一人だけ100円のたまたま持っていたことがあって、お稽古帰りに缶ジュースを買ってビルの陰でみんなで飲んだことがありました。いっぱいのカケソバならに缶ジュース。これが帰ってから、こっぴどく怒られて・・・正直当時はなんでこんなことでここまで怒られるのかさっぱりわかりませんでしたが、今になれば有難い教えだったと思います。そして祇園町の情報網の速さに震えあがった事件でもありました。門前のお稽古場から家に帰るまでに、情報のほうが先に届く。それぐらい街全体が見守っているその、有難さと怖さを最初に知った甘露でほろ苦い、缶ジュースの思い出です(苦笑)。
銀座の真理福さん姉さんのところにかかっている私の大好きな絵。とっても懐かしく、あったかい気持ちになれる絵です。
いろんなお姉さんのことを思い出す一枚・・・今は私が左側のお姉さんじゃないといけないんだろうけど、この絵をみて自分を映すのは舞妓さんの姿。あったかい気持ちになる半面、私は最後までお姉さんになれていなかったんじゃないかなぁ・・・と反省する絵でもあります。
こうやって、姉妹筋ではないお姉さん方も着物や簪を直してくださって、それが恐縮しながらも嬉しいものでした。花街の中では、基本お母さんとお姉さんしかありませんが、本当に祇園の先輩みんながお姉さんでお母さん。先輩のお姉さん方はわりと個性的で(笑)、憧れと恐れを抱きながら育ちました。
よく、イジメとかあるんでしょ、と山村美沙サスペンス好きのお客様に聞かれていましたが(笑)、意外とないものでイジメはありません!好き嫌いがはっきりしているだけで陰湿なものではないのです。これをイジメといえばそうなのだけど・・・ちょっと違う。上下関係がしっかりしている、個人主義の世界。きつく言われいるとどこかで違うお姉さんが見ていてそっとフォローをしてくれる、なんとも言えないバランスのおっきな家族。そんなあったかいところでした。
祇園の路地の奥にひっそりのある和菓子屋さん。甘泉堂さんというお店なのですが、ここの羊羹は絶品です!!今なら栗蒸し羊羹、夏なら水ようかん。仕込みさんのときにこちらの水ようかんをよばれたときの衝撃。いくらでも食べられる品のいい甘さと舌ざわり。いつか一本食べてみたいっ!と思った私は、自前になって本当に挑戦しました。
ここのお店は味ももちろんですが、敷居の高さも値打ちがあります。無人の店先に立ち、ひたすら「すいません~」と呼びかけ続けないとお店の方が現れてはくれません。そして奥から・・・・とまぁ、あとはいってのお楽しみに。うちの母や呼びかける前に店先でかなり躊躇⁽笑)。買ったあとも「さすが京都・・・」としきに感心していました。羊羹の他にも、不思議な形の最中やお汁粉。バレンタインには予約制のハートの薯蕷饅頭なども。わりと遅い時間まで開いているので、お土産を買い忘れたときなどにも重宝なお店です。
祇園の隠れた名店のご紹介でした!!
2007年は貫一お宮。そう熱海の海岸を散歩する、悲恋のあの二人です。これを思いついたのは、お客様が歌うカラオケを聞いてでした。実際には詳しくお話も知らなくて・・・まぁでも、なんとなくダイヤモンドに目がくらんだお宮ちゃんと、今月今夜の名セリフでお客様世代にはおなじみかなぁと⁽笑)。歌舞伎の演目を選んでも、お客様の三分の一は演目自体を知らない方が増えてきたころでもありました。
そしてなにかほかの組と違うことがしたい私は、パロディーに当時オダギリジョーさんのCMのライフカードを選んだのでした。お客様が貫一お宮のENDを選べる・・・「お金」「勉強」「愛」三パターンのオチがあるというわけです。「お金」は浜田省吾さんの♪MONEY 「勉強」はなんだったけなぁ。「愛」は♪愛の讃歌を選曲して。二日間で約八十件まわるのですが、酔ってくるとお宮を蹴る足に手加減がきかなくなって・・・お化けが終わるころにはお宮ちゃんがアザだらけ(;゚Д゚)!
ごめんね、ごめんね~と蹴っては謝る、まるでDVな彼氏のような二日間だったのでした(苦笑)。
もぉもたろさん、ももたろさん♪
この年に選んだのは桃太郎でした。なぜこの曲を選んだのか・・・・それはコンビを組む彼女は絶対に桃太郎が似合うと思ったから(笑)!私の目に狂いはなく、凛々しい桃太郎姿に!!
ということで・・・私は犬に。雉と猿も揃わねば鬼退治どころかお座敷にもいけません。猿は東京のぬいぐみやさんで調達。雉は剥製というわけにもいかず、京都造形芸術大学さんの学生さんに協力していただきました。重たくなく、かわいく、おしゃれな雉を・・・という無理なお願いをテスト期間中の彼女たちは完璧に仕上げてくれました。発砲スチロールの雉!しかもネックレスなどの装飾のついた超ラブリーな雉に。鬼退治もテンションが上がるってものです。
私の「犬」問題も大変で。裏方さんに知恵をしぼっていただきました。まずは鬘。遊園地で見つけてきたおもちゃの耳を鬘に!お化粧も犬らしさを追及しながらも芸妓のかわいらしさをギリギリに残して(笑)!衣装は・・・どの袴が犬に見えるか、いっぱい並べて選ばせてくださいました。
そして当日には、なんと背中に「いぬ」のサプライズ!!いつも都をどりでお世話になっている最強のメンバーが、お化けも本気で遊んで考えてくださるという心強さ。このクォリティに支えられて、胸を張ってお座敷に行けるのです。確かこの時はパロディは平井堅さんのPOP STAR。真顔でJ-POPを踊る桃太郎と犬・・・シュールでしょ(笑)。
そして祇園では今日からお化け。妹たちが三人で初お化けをします。応援したくって新幹線に飛び乗って、この記事を書きながら京都へ向かっています。お化け魂(なんやそれ・笑)、引き継いでもらえたようで嬉しいです。
この演目は「猩々」と呼ばれるもの。お酒が大好きな妖怪・・・有名な演目で能にもありますし、井上流でもありますが、本来若輩には舞えない大切な演目なのです。ですがお化けは一応別物。
一年に一度違うお流儀の舞を習ってもよい行事なのでこの時とばかり選びました!この真っ赤な鬘と衣装を着てみたくって!そう、意外と単純な理由で演目選び⁽笑)。
このように、たとえ余興であっても本物の拵えをして、お座敷をまわるのですが・・・二日間で80件ほどお座敷をまわらせていただくでしょうか。ようは80回踊りも踊ります。ひたすら、踊って、飲んで、走る!!最後のほうはもうわけのわかないテンションに⁽笑)。
そして衣装は舞台の時ではありえない酷使で傷んでしまうのです。二日目にはそれを衣装やさんが苦笑いしながら丁寧に直してくださって、また出陣!!
ちなみにラメできらめく酒壺はサヨコ特製です。父からの遺伝か小道具を作るのが大好きな私はこの年あたりから道具つくりにもはまっていきました。
いそいそとノムラテーラーに通っては、夜な夜な小道具つくり。ちなみにオレンジの紐は鼓の調べをわけてもらって。改心の出来の壺でした(´艸`*)。
自画自賛ですが。
さて・・・せっかくお酒にまつわる演目をするのだから、パロディーもお酒にしなくては。
「SAKE」と書かれた箱に、一升瓶を仕込んでいざお座敷へ!酒壺の中には、五合は入る朱塗りの大盃がしのばせてあります・・・そう、お客様への振る舞い酒です!!
パロディには子供のころにCMで聞いていら「カッパパ~飲んじゃった~、ちょっといい気分~♪」を選曲。この曲、もう舞妓さんで知っている人はいなんでしょうねぇ・・・
頭におさらも乗っけて、見てください、この笑顔!楽しそうでしょ?!楽しいんですよ~。
お酒を振る舞うと返り打ちにあうこともしばしばで、九時を回るころには早くも、いい気分~ウィッ
なのでした。
早いもので一月も今日で終わり。明日から二月です。祇園にいるころは毎年この時期は節分のお化けの準備におわれている時期でした。そもそも厄払いとして常と違う格好でお参りにいったのが起源のようですが、花街では格好だけにとどまらないとっても楽しい風物詩です。この日は芸妓さんが気心の知れた仲間と組んで、仮装をした上でお座敷で芸をして歩くのです。芝居好きの私は舞妓さんの時からずっと憧れていた行事のひとつでした。襟替えをするやいなや、すぐに同期の子とお化けデビューしたときの演目が「勢獅子」。初参加なのでなるべく軽装で場のあるものを・・・こんな風にちゃんとお祭りの格好をして、お座敷で長唄に合わせて踊りを踊ります。獅子舞もあるので厄払いにお客様の頭にかみつたりして喜ばれたものです。そしてお化けには必ずパロディーが。同じ家のコンビだったので「兄弟船」を選びました。私のポリシーとして私の知る限り祇園で見たお化けの演目はしない!と固く心を決めて2003年から2015年まで、毎年一年で私が一番はりきる節分がはじまったのでした。
しばらくが私の渾身のお化けシリーズをアップしていこうと思います。お付き合いいただけたらうれしおす。初年度はこんなものですが…年々すごくなっていくのでお楽しみに!!なにせ、一年中来年のお化けをなににするか考えているような芸妓でしたから⁽笑)。
友禅の打ち合わせに京都へ。久々に地下鉄に乗ったら・・・「あ~!!わたし!」!!
舞妓さんの最後の年に、都をどりのポスターに描いていただいたものが今も観光協会のポスターに使われていて忘れかけて、いた頃にこうやって見かけるのです。かれこれ十七、八年前ですかねぇ。こうやって見かけると懐かしくってうれしいものです。
右のお扇子を持つ手に私の癖がでていて、当時姉さんに「紗代子さんの手やなぁ」って言われて苦い思い出も一緒に思い出します⁽苦笑)。
都をどりのポスターは昔から日本画と決まっていたようで、かつては磯田又一郎さん、秋野不矩さん、広田多津さんなども手がけておられました。こちらの絵は辰巳寛先生で、今は女紅場の先生でもあります。都をどりの会場では昔のポスターも飾られていて、日本画がお好きならこちらもなかなか見応えがあって楽しいですよ!
これは昨年のお正月にとったもの。
親戚一同で着物を着てお参りにいこう!という物好きな母と私の企画でこんなに賑やかな一団となりました。それにしても着物とはなんと素晴らしいことでしょう!
この中で一番古いものは赤い被布も下のピンク小紋。おおよそ40年。これ、母と一番下の子以外全員着たことがあります・笑!!あ、いやまてよ。もっと古いものが。右端の紅白の絞りが母の10代のものなのでもっと年代物ですね。他にも私のであったり、姉のものであったり、姪っ子ものであったり・・・それぞれの年頃に合わせて共有できる着物。それは思い出の共有でもあります。
前の日に着物を引っ張り出しててんやわんやでしたが、とっても楽しいお正月になりました。
ちなみに、男性軍は拗ねモード。どうやら着たかったようです・笑。来年には亡くなった父の着物も、縫い上げをして甥っ子も着られることでしょう。
箪笥にお着物の眠っているアナタ!めんどくさがらずに来年のお正月はご家族で着物で初詣、いかがですか?!
新春の新橋演舞場へ舞妓さんが観劇に。
私も歌舞伎の大好きな舞妓だったので、歌舞伎に、しかも東京のお芝居へ連れていただけるときは指折り楽しみにしていたものです。だいたいこういうときは「そんなり」といってお白粉をぬらずに、普段のお化粧でおでかけします。着物もお芝居にもよりますが、小紋や附下で・・・屋形にいる間はお母さんの用意してくださったものを着ていきます。南座など劇場が近いときはショール程度ですが、大阪や東京のお芝居の時は道行を着て。
よぉくみてみてください!!肩にはちゃんと縫い上げが!舞妓さんの身に着けるものには振袖、お稽古着、見えないけれどお襦袢、そしてこのように道行や雨ゴートにまで縫い上げがあります。
もうこれ以上は大きくならないのですが(なっても困りますが・笑)、幼さを演出するために縫い上げを続けるのです。喪服も同様で、縫い上げがあり、お袖も長さも長め。たったこれだけでのことで、喪服でさえもどこか幼く可愛らしくなるのが不思議です。翌日の昼の部も見て帰るそうで、とっても嬉しそうな二人なのでした!
今日で紋日も終わりですね。明日からは日常がもどります。先日1月8日に京都国立博物館の新春の催しがありました。春の舞、と題して祇園甲部の芸舞妓さんが、一階ロビーの特設舞台で二回公演舞を舞い、簡単な説明や質問なども加わる舞台。
この写真は第一回のもので、去年のお写真です。
そもそもは、不定期で京都国立博物館にお世話になり勉強会をしていたのが発端で、お声がけいただいた催しでした。今年は去年にも増して大盛況だったとのこと。ご縁がつながっていくのはうれしいかぎりです!!
お正月の十五日までのこの時期は、七日と十五日は黒紋付きで、他は色紋付き。普段の裾引きよりも少し豪華な衣装で、三つ紋です。
今年は芸妓さんが「せっかくなら」と黒紋付きにしてくれたそうで、華やかな中にも凛とした美しさがあったことでしょう。私は今年は用事が重なって当日のお手伝いはいけませんでした・・・(涙)
来年も、引き続き開催予定ですので、ぜひ皆様2018年のお正月は国立博物館へ!
お勉強会の様子も、そのうち載せますね。
あけましておめでとうさんどす。
新年のご挨拶が今頃にになってしまいました。
年末年始といろんなことが変わり、動き出し、気が付いたら2017年を迎えていました。
長吉呉服店はじめてのお正月です。とはいえあまりのバタバタで。格別なにをするわけでもないのですが、お正月飾りを買って、鏡餅を用意した程度。京都のころは、根引きの松を買ってきって、半紙に巻いて水引で結んで門に用意したものですがさすがに東京ともなると・・・そしていまの家の佇まいにはしっくりこないので(笑)。
今年はどんな年になるのかなぁ・・・なんて考えていましたが、どんな年にするかは自分次第。
旧年中にいただいたご縁を大切に育みながら、私らしい2017年にしていこうと思います。
本年も、よろしくお願いいたします。
久々に祇園でのお話を。このカゴを見たことがありますでしょうか?舞妓さんや芸妓さんが裾を引いた格好のときお座敷に行くときもっていく鞄=カゴです。
店出しのときには舞妓さんは赤、芸妓さんは薄紫や水色などの無地に名前の縫いの入ったものを誂ます。普段はかわいい小風呂式や布を見つけて、祇園の幾岡やさんに持っていくと誂てくれるのです。紐もお店で選ぶのですが、紐一つで舞妓さんらしくなったり、芸妓さんらしくなったり。
夏は白、冬は黒のカゴ。一時は国内でのカゴがなくなりかけたことがあり、小風呂敷ではほんの少し足りなくなって困った時期もありました。
気になる中身は芸舞妓の舞のお道具の舞扇や手ぬぐい。お化粧直しのお紅やコンパクト、千社札、手鏡に櫛・・・などなど。私は必ず本を入れていました。お客さまのご到着が遅れて、お座敷待ちの時間の時に読む本。この本のおかげで、待ち時間がちっとも苦ではありませんでした。ただしその分カゴは重たくなってしまって。いつも筋トレ状態(笑)。今でもその癖は抜けなくて、カバンに本が入っていないと、どこか落ち着きません。待ち時間はスマホを触っていることのほうが多くなってきたのに・・・(苦笑)。
開業するのあたり「長吉呉服店」を消し札を作ってちょうど一年。携帯電話につけて肌身離さずもっている消し札を書いてくださった師匠のお店に奇遇にもだどりつけたのは私にとって幸先のよい嬉しい出来事でした。
最近、本当に不思議なご縁がたくさんあります。
京都にいた20年につながるご縁で、でも京都にいるときはつながらなかったご縁。
東京にでてきたからこそ、つながったご縁です。
つなげてくださる方にも感謝でいっっぱいで、鷲さまにも手を合わせますが、縁を運んでくださった方にもこっそり手を合わせています(笑)。
先日、初めて酉の市にいってきました。11月の初めての酉の日の市だった11日。待ち合わせの時間を聞いたときは耳を疑いましたが、午前0時から始まる市だったとは!!この日は0時ごろから小雨がぱらついていて、鷲神社につくと電球色の中に色とりどりの熊手が華やかに飾られて、どこか違うところへ迷い込んだような不思議な景色でした。京都のえべっさん(十日戎)に当たるものなのでしょうが、もっといろんな色が入っていて、えべっさんに比べどこか異国情緒を感じました。
たまたまお供した先で私も初熊手を購入することにしたのですが・・・そこでなんとも嬉しいご縁をいただきました。名前を入れていただく際に「長吉呉服店、知っているよ!」と。お店の中を見上げると橘右之吉師匠が!!寝ぼけまなこの私は一瞬なにがなんだか・・・(笑)。
伺ったお店「よし田」さんは後で聞けば師匠ゆかりのお店だったのです。
ずっと憧れだった京縫の教室へご縁あっていかせていただきました。京都でもとても有名な長艸縫工房さんの体験教室で、今回は袱紗入れに挑戦。地色のグレーは事前に決めていましたが、糸の色は当日に選ばせていただけます。今回は水色系、紫系、オレンジ系が用意されており、私はオレンジを。
紋付などのよく使われている京縫はある意味身近にあるものではありましたが、こうやって挑戦させていただいて改めて祇園にいるときになんと素晴らしい着物を着させていたんやなぁと思いました。こんな風にして、あの紋付の菊の花弁は一枚一枚化粧されていったのかと。同じ糸でも先生が針をもつと糸の艶がでます。当たり前なのかもしれませんが、目の前で見ると本当に不思議。伝統工芸士の技をこんなに近くで拝見できて、とても幸せな時間でした。いつか時間と財力ができたら通いたいなあ・・・。
先日のハロウィン、皆様は仮装なさいましたか?今回は色の連想コーデのお話です。もともとはヨーロッパの行事で秋の収穫を祝い、悪霊を退散させるためのもので日本人には関係のないもののはずですが、いまや一大イベント。そこらじゅうにカボチャの飾りや、衣装があふれます。祇園にいたころの節分のお化けに近いのでしょうが、まだまだハロウィンは私にはなじみのないもの。そんなときに、この着物コーデででかけたら、「すごい!ハロウィンコーデですね。さすがす!!」とほめていただきました。
正直私にはなんのことやら・・・(苦笑)。だって、薄紫の花扇の附下に御所解の帯でとっても古典な組み合わせなど思っていたので。聞けば色目なのだそうです。紫✖黒✖オレンジはハロウィンを連想させるものだったそうで聞けば納得。ということでその日は「ハロウィンコーデです」とさも得意げに過ごしました(笑)。
先日の京都で、とても素敵なご縁をいただきました。たまたま立ちよった祇園のカフェでオーストリアから来た花街と日本文化が大好きな女の子がいて、今回の来日で着物を作りたいのだど・・・・でも言葉の壁もありなかなか難しいというお話を伺いました。相談ぐらいならお手伝いしますよ~という話から、今回のご購入に至りました。
舞のお稽古にも、鼓にお稽古にも通っている彼女は、どこか日本的な物腰でとても素敵な女性。薄い色のお着物を探していたそうです。そんな中で彼女が私のホームページからお気に入りの一枚を選んでくださって!!
この大人ピンクの一枚、金の入った少し洋の要素をも入った模様。オーストリアでも、観劇、コンサート、およばれ・・・どんな場面でも活躍間違いなしのお着物を選んでくださいました。日本文化を積極的にお勉強している彼女とのお話の時間はとても楽しくって。
外国の方から見た日本、京都、祇園、伝統芸能、着物。日本人が思っているよりずっと魅力的です。
ただ、日本人でも敷居が高く、入口の見つかりにくい世界でもあるのも事実。彼女のように、ちゃんとした着物を一枚持つことでさえも、簡単なようで難しい。日本人でもそう感じることの多いところなので外国の方にはなおさらでしょう。どうしてそんなことのなっちゃうのでしょうねぇ。着物や歌舞伎に興味があるけど、入口がみつからない方!ぜひ長吉呉服店へご相談ください!!
自分の大好きな世界を少しでも理解していただいて、広めたい。彼女との時間の中でそんな風に思いました。
随分とブログをご無沙汰してしまいました。8月末からの遠征にはじまりバタバタと日々が過ぎていって、ふと暦を見ると10月も半ば・・・さて、久々にブログ、何から書きましょう。こちらは前に足立美術館に行ったときに魯山人コーナーの部屋で見つけた言葉です。よく、「ロサンジン、ロサンジン」と耳にする有名な魯山人ですが、この足立美術館に行くまでは正直そんなに興味深く思っていませんでした。このことばを見たときに、なんてカッコいいのだろう!と。そして日本人をとてもよく表している。‘’仕事は辛くて当たり前‘’これが常識とされるのが不思議ま風潮。楽しんで仕事しているちょっと浮いてしまうような・・・なので、ちょっと辛そうに演じてみたり(苦笑)。仕事の中に遊びを見つけても、楽しんでも、別にいいのか・・・とちょっとホッとしたものです。
私はとにかく遊ぶのが大好き。
インスタグラムのハンドルネーム(?)が『ASOBIWOSENTOYA』というぐらい遊び好き。仕事でも趣味でもなんですが・・・趣味だけで遊んでいると霞を食べて生きていかなくていけなくなるので、仕事にも見つけることにしています。帯の制作をしていても、小物の包装をしていても、強行軍で京都へ仕事にいっていても、どこかいつもわくわく楽しい。でもそうするとまるで仕事をしていなくて遊んでいるみたいに思われたり見られたりするのです。自分の中でそこがどうも違和感があったのですが、このことばを拝読して救われました。魯山人もこうおっしゃっているし、別にいいんだ!!さてさて、今日はどんな楽しいことを見つけて遊びましょう!
あ、もちろん辛いこともしんどいこともあるんですよ!!だからやっぱり「遊ぶ努力」。遊びを見つける努力は大切です(笑)!!
なぜか、虎屋さんのお饅頭ではなく、キティちゃんの薯蕷饅頭がのっていますが、お皿は都をどりで使われるだんご皿。
全部で5色あるのをみなさん知っていましたか?初めて都をどりに行ったときに、お皿を持ち帰ることに驚きました。なんて太っ腹なのでしょう!!
そしてこのお皿、大活躍なのです。お饅頭はもちろん、おかずも、おつまみも、果物も。ほかの花街もお皿をくれますがsれぞれの町によって、工夫があって集めるとなかなか楽しいものです。それにしてもこのだんご皿、なにを載せても、なんとなくおさまるデザインと、絶妙な大きさ。しかも割れにくい!! いつからお皿をおまけにつけてくれたのか知りませんが、都をどりの記念にもなり実用性のあるお土産。これを一番に考案した人物に会ってみたかったなぁと思います。
ちなみにもっと前のだんご皿は、色の鮮やかな永楽さんだったります。たまぁに京都の骨董品やさんで見かけることも。私もこれを大事にとっていたら、孫の代ぐらいには高く売れるのかしら・・・なぁんて考えてしまいます(〃艸〃)。
京都の溶けてしまいそうな暑さの中、白地の浴衣を着て歩く舞妓さんを見かけたことがあるでしょうか?毎年井上流の誂える浴衣は、必ず白地。小さい子供お弟子さんから大きい(年を重ねた意味)お姉さんまで似合うのは、どうやら白地なようです。そして小さな柄が多いのです。柄は毎年かわりますが、今年は団扇の柄だったようですね。桔梗や観世水、茄子、カエルの年もありました。
今年はどんな柄やろ~?と毎年楽しみでした。毎年なので、けっこうたまっていって、十枚以上白地ばかり(笑)。
それにしても和傘の日傘に白地の浴衣姿の舞妓さん、なんとも涼し気に見えますよねぇ。もちろん着ている本人たちは暑いのですが、見ているまわりに涼を運んでくれる素敵な姿。
舞妓さんってほんとうに絵になりますね。
先日、京都へ打ち合わせに帰ってきました。
降り立ったって空気を吸った瞬間に「ああ!!京都だなぁ」と実感しました(笑)。
東京でも、九州でも、気温としては同じぐらいになることもあるのですが、やはり1200年の古都は違います!20年もこの夏を過ごしたわりには正直くらくら(苦笑)。でも、これでこそ京都だとも思いました。お昼は浴衣姿の舞妓さん、夜には花見小路を次のお座敷へ急ぐ芸妓さんを見かけて・・・
あんなに重装備をしながらも、なぜかTシャツで歩く人たちよりも涼し気に見えるから不思議です。よくお座敷で「暑くないんですか?」と聞かれていましたが、なるほど聞きたくなるほど涼し気。本当は溶けてしまうほど、暑いんですけどねぇ。着物をきちっと着ていたら、着ている本人はともかく、まわりには涼を運ぶものらしいことを発見した京都でした(笑)。
夏になると、京都のお店などで見かけるこの団扇。これは、芸・舞妓が夏のご挨拶にお茶屋さんやご贔屓のお客様、またよく行く喫茶店やお店などにお配りするものです。お店にとっても、ここは芸舞妓さんがよく来てくれるのですよ、という宣伝にもなるわけですね。
朱の色で大きく書かれた名前。右に書かれていているのは、屋形にお世話になっている人は屋形の屋号に、自前さんのお姉さんは実家の名字になります。裏の家紋もまたしかり。
昨今では私をふくめ、日本全国から舞妓さんに憧れて京都へでてきます。名字も地方の名前でかわったものがでてきたり、また家紋という風習のない地方からの子もでてきたり。ゆっくり見るとまた楽しいものです。うちはいたってノーマルな丸に橘ですが、前にいた芸妓さんで、ほっぺにペケ印のついた少しヤクザな雀が三羽円陣をくんでにらみあっている、とても面白い家紋がありました。なんていう家紋なのだろう・・・と気になりながら、聞けず仕舞い。今度紋帳で調べてみなくては。この団扇、なんとなく普通の団扇と違う風を運んでくれる気がするから、不思議ですね(笑)。
私の初めての縫物の浴衣を、甥っ子が袖を通してくれました。まだつかまり立ちの8か月の男の子。
この反物は和裁の先生が、入用分だけわけてくださったものです。今時なかなかこのような古典柄を、しかも入用分だけわけてくださるところは少なくて助かりました。
兵児帯は実家から母がもってきてくれたもので、かれこれ50年物の年代物です。叔父、兄、甥っ子と世代を経て大活躍。この緑の色も今はなかなかみかけませんねぇ。渋くってなんともかわいい。
甥っ子はとても古典的なTHE日本な顔だちの子で、今回のコーデがぴったりで大好評!!
一つ身なので、2、3年は着てもらいたいところなのですが、お父さん似なのですぐにおっきくなるのかもしれません。
少し早いけれど次は四つ身に挑戦しようかな。
自分の縫ったものを着てもらえる喜びを感じた、1枚目のお仕立てでした!!
父が亡くなって、16年。今年は17回忌でした。私が舞妓さんの時に急にこの世を立ってしまった父。父と過ごした時間は中学卒業までなので、同じだけ父のいない時間が過ぎました。舞妓さんになるのを反対していた父で、男親だからやっぱり心配性。ホームシックになって公衆電話から家にかけると、母は「屋形のお母さんが心配するから」と怒るのですが、父が出ると「水はどうだ、辛くはないか、帰ってきてもいい」。まさに飴と鞭でした。でも反対を押し切ってでてきた手前父には心配かけられないので強がって「みんな優しくて、とっても楽しい」と言って電話を切っていました。あの電話があったから、舞妓さんデビューまでもったのかもしれません。いっぱい聞きたいことがあったのに、反抗期や照れでなんにも聞けずじまい。今でも枕元でもたってくれればいいのに、と思います。アウトドアとものを作るのが好きなのは父譲り。きっとこんなちょっと変わったローソクも喜んでくれるはずだと選んできました。
13回忌からイベントや遊ぶのが好きだった父を偲び、親族お泊りキャンプがはじまりました。今年で5回目。釣りにいったり、海にいったり、山に登ったり。20人は軽く超えるので小さい学校のキャンプ並みです。夏休みの時期に、20人以上の宿泊を探すのは毎年けっこう至難だったります。ロッジだと3軒。来年からは学校用の宿泊施設を探そうかと・・・(笑)。叔父叔母、いとこ、はとこ・・・それぞれ、毎年状況が変わる中で、1年に一度顔を合わせて過ごす時間は、今ではなくてはならない年間行事となりました。日頃の浮世の悩みから解放されるひととき。家族だけだとこうはいかない、なんともよい距離感。居心地がいいものです。これも父のおかげだなぁと思い、今回も手を合わせたのでした。
この夏、皆様も親族キャンプ企画してみてはいかがでしょうか?!意外と、かなり楽しいものですよ!
初めての展示会をさせていただきました。今日お越しくださいました皆様、ありがとうござました。京風きつけ教室の今井さんや、元・祇園の友人の力を借りての展示会です。とはいっても今回はプライベートサロン型のアットホームな空間と時間の中で、ゆっくり着物を見てもらうコンセプトです。子供のころ、実家での展示会はよく見ていたし、お手伝いもしていましたが・・・いやはやお勉強になりました。前の日は、舞の舞台とまた違うざわざわとした緊張感で夜も寝られず。今回は心強い祇園コミュニティーの助けがあったのでなんとか無事に終わることができました。青春時代の仲間とはありがたいものですね。今回、インスタなどで興味をもってくださったお客様が足を運んでくださったことがとっても嬉しいことのひとつでした。いつもコメントしてくださっている方々とお目にかかれて感激です!SNSを昔は敬遠していたのですが、新しい素敵な出会いを運んでくれる、ありがた~い情報ツールなのだと改めて思う次第です。
今回は新作でまだ途中の商品も見ていただいたり、また下絵からのデザインのお話をさせていただいたりしました。お着物のお好きな方と、お着物のお話をできる・・・もうそれだけでも幸せなひとときです。ただ白塗りしている芸妓さんの格好だと臆面なくおしゃべりできるのですが・・・普通の女子(?)に戻ってだと、なんだか照れくさい。
半年分のドキドキをつかった一日でした。
また次回の開催の時には、ぜひぜひお越しいただきたいです。
その時までには、白くなくてもお話しできるように精進します!!
今日は八朔です。今頃はたくさんのカメラマンさんに囲まれながら、紋付き姿の芸舞妓が「おめでとうさんどす~」と口々にご挨拶にまわっているころでしょう。10メートル歩いただけで溶けてしまいそうな暑さの中で、黒の紋付姿で、年々増える人込みをかきわけて歩く数時間はなにかの行のようなしんどさでした。よその街では、軽装になっているところもあるのですが祇園は未だ正装。どんなに暑くても続けるその心意気が私は好きでした。
毎年恒例で、八朔の出発前にはみんなで玄関で勢揃いのお写真を。20枚近く残る写真には、自分もふくめて、年々お姉さんになっていった歴史が残ります。ある程度お姉さんになったら、白塗りから、からげの恰好になっていきます。そしていつも足元にはチロ。この子で3代目チロです(笑)。大事な家族の一員で、チロのいない写真はありません!!そうそう、たまにカメラマンさん同士で喧嘩されるのに困っていました。お写真をとられる皆様にはぜひご配慮のもと、熱中症に気を付けて、お写真をとっていただきたいです。
和裁教室に通い始めて数か月・・・というか、10回も通えていません。それでも、こんなにかわいい一つ身の浴衣が縫いあがりました。とっても素敵なお師匠さんに巡り合えて、丁寧に楽しく教えていただけた賜物。着物が好きな人は多かれ少なかれ興味があると思います。和裁、おすすめです。こんな風にできているんだ!とか。昔の人の知恵が詰まっていたりとか、着物がもっと愛おしくなります。自分が着るもの、また誰かに縫ってあげるもの。針を運ぶ時間はとても幸せな時間なんです。うちのお師匠さんのすごいところは、まず子供用を勧めてくださったこと。大人用に比べて縫う範囲も狭いので少し楽ですし、でも大人と同じことを勉強できますし、なにより、小さいパーツを見るだけで「かわいい~!」とテンション高めでお稽古がすすみます(笑)。
私は幸い、半年前に生まれた甥っ子がいたので、甥っ子用の一つ身。肩と腰上げをして、さらにかわいく!!縫っている間中、ニヤニヤしてました(笑)。仕事の都合で途中でお稽古になかなかいけなくなっていたのですが、この間のお稽古で急いで間に合うように教えてくださってどうにか地蔵盆までに間に合いました!和裁、ずっとやってみたかたんだよねぇ~と思ってるアナタ!!今ですよ!ほんっとに楽しいですから!
今頃京都は祇園祭の真っ最中ですね。先日から、鉾やお囃子をテレビやSNSで見ると、ちょと心がざわつきます。里心がつくというか・・・そんなに思い入れがあったのか!と自分でもびっくり。思い入れといえば、祇園祭の期間限定のお姉さん舞妓さんの髪型「勝山」です。当時は痛くって重たくって、自分の髪型を愛でる余裕はありませんでしたが、改めてみるとなんとまぁ、可愛らしいのでしょう。特別華やかに装う髪型を見ていると暑さを忘れてしまいそうです。かけものもの年数によって赤からピンク、水色などにかわっていきます。ただ、この髪型、本当に重たいのです。暑さの厳しい京都の夏、高枕でけっこううなされていました(笑)。今はいい思い出です。
10数年前に祇園で同じ時間を過ごした後輩の照ひなちゃんにお声がけいただいて、開店3か月めで初めての展示会に挑戦することになりました。照ひなちゃんは自前と同時の引退して、渡米。会社を設立して10年の新しい世界での大先輩です。呉服店を開業するにあたって沢山のアドバイスをくれる心強い、私にとっては先生のような存在です。そんな彼女にお誘いで、今回共催の形で展示会をすることになりました。この素敵な告知も彼女が制作!とにかく右も左もわからないので、甘えさせてもらっています。
10年以上の時を経て、まさかこんな風に一緒にお仕事できるなんて、思いもよらぬことでした。打ち合わせを重ねるなかで祇園町で一緒に過ごした時間があればこそ、うまく言えないけれど通じ合えるものがあって嬉しくなっちゃいます。たまに昔の話になって打ち合わせからそれてしまうことも多々ですが・・・そんな時間も楽しくて。舞妓さんの時から、大活躍だった舞妓さんでしたが、今も大活躍。和装ヘアのレクチャーもしてはるそうで、いつもびっくりするぐらい美しく洋髪を結い上げています。私の剛毛でもできるそうなので髪が伸びたらレクチャーに参加させてもらわねば! 今制作途中の友禅の産着なども展示予定です。なかなか見ることのない友禅の過程を垣間見ることができますよ!! ・・・正直、今はドキドキしかありません、8月4日まで寝られない日々が続きそうです(笑)。ご興味を持ってくださった方はぜひ詳細をチェックしていただきたいです!おたのもうします!
詳しくはコチラ⇒ http://www.artegroupinc.com/jp/event/
嬉しいことに、先月おもいがけなく、嬉しいご注文をいただきました。祇園町からの別染の浴衣のご注文。お客様のイニシャルを入れてのデザインで、色は三色。男物、大人の女性、若手の女性で色を変えようということに・・・夏のお座敷でお召しになる浴衣です。お世話方の芸妓さんといろいろと知恵を絞り、考えていく工程はとてもドキドキするものでした。でも実は、最初ちょっと物怖じしていました。納期の問題の上に、浴衣はまったく経験がなく、嬉しい反面できるのか、せっかくお声がけしてくださった芸妓さんに迷惑かけないか・・・・駆け出しの呉服店に荷が重くないか。どうしよう?! でも、紗代子にとお話をふってくれた芸妓さんに応えたい!!!
この浴衣を作るにあたって、若手の伊勢型紙の職人さんに出会いました。おじいさんが職人さんで彼は二年前から型紙の世界に入ったそうです。今回、彼がデザイン修正、親方への彫りの依頼、日数のない中での染の手配、また染の立ち合いをしてくれました。
今朝やっと、はじめての顔を合わせの機会をもてました。伊勢型紙の将来を憂いてWEBなどを使って、どうにか伊勢型紙を残せないか奔走しているお話を伺いました。全国にある型染の着物のすべて浴衣も絹のものも、伊勢型紙でできていること。お恥ずかし話ですが私は全然知りませんでした。各地方で彫られていると思っていたのです。そしてその職人さんのほとんどが70歳以上。彫る職人さんだけではなく、絶対に必要な紗張りの方もいなくなること。もう土台から、伝統工芸の世界は厳しい状況にあることを、今回もまた知りました。でも、「今ならまだ、間に合う!」それが今日二人での同意見でした。
今回のご縁を大切に、自分たちの仕事の中であと5年を10年に、20年にできたら。
新たにそんな夢をもつことのできた1日でした。
と、いうことで長吉呉服店は型染のお誂えも全面的にお受けすることにしました!
世界に一つだけの自分たちだけの浴衣、二枚からお受けいたします(お値段、日数などについては、お気軽にお問合わせください!)。
お稽古場のみなさんで、お遊びのお仲間で、ご家族・親戚・カップルで、会社の皆様で。
プリントではなく、本物の染の浴衣をいかがでしょうか。
みなさん、歌舞伎座に一幕見席があるのをご存知ですか?これは名の通り、見たい演目を一幕だけ見ることが可能なとても便利なシステムなのです!お席は4階席で整理番号順の自由席。今日は友人と市川猿之助さんの「流星」を見てきました。なんと1000円。歌舞伎が1000円で見られるなんて!!しかも見たい演目だけなので、時間にもお財布にもお得感があります。歌舞伎座の大きな舞台を上から見ると、一階とはまた違う美しさがひろがります。この席、大向こうとよばれる方がいらっしゃることも多く、間近で「おもだかやッ」などの掛け声を聞けることもあります。けっこうビックリしますけど(笑)。今回は宙乗りのある演目なので、すぐそばまで猿之助さんが飛んでくるのです!これも下では味わえない面白さ。
幕見席に来たのはたぶん十数年ぶりだったのですが、昔は階段を延々と並んでいたのが、新装歌舞伎座ではエレベーターでひっととび。待合の椅子もあり快適に待つことができます。・・・とまぁここまではいいこと尽くし。ただ、すごい人気なのです!今日も3時過ぎからの流星を見るために11時半から並び、発券時間の1時すぎにはすでに完売。今回は女子トークをしている間に時間はアッという間にすぎたので苦ではありませんでしたが、猛暑の折などは厳しいかもしれません。歌舞伎のチケットはお高いのでそうそうも行けず、ファンとしては、そんなに人気があるのなら席数をもう少し増やしてくれればいいのに、なぁんて思ったります。来月も宙乗りがあるので、ぜひご興味のある方は一度オペラグラス持参で行ってみてはいかがでしょうか!!おススメです。
浴衣の別誂えのご注文をいただきました。イニシャルを入れての図案考案から。今回この図案は古本屋さんの兄に昔見せてもらった図案帳からヒントをいただきました。前にしか進まないから、とか、花街では、子宝に恵まれるなどトンボは昔から縁起がよいと言われる柄ですが、より紐なのがかわいいですよね!!そして型紙は伊勢サミットでも注目された伊勢型紙の職人さんにお願いしました。期間が限られた中で、無理をきいてくださったKIMONO DESIGN mediaさんに感謝です!!
そして駆け出しの呉服店に、声をかけてくれた芸妓さんに。離れていても、辞めても、祇園町に助けられているなぁと、本当に有り難く思います。
着物はじめのお客様へ、お品物をお納めにいってきました。「ずっと興味があったけれど、どこでどう買ってよいのはわからなかった」そうで、私が呉服店を始めるということで、トータルコーディネートでご注文くださいました。なんとこのお着物姿、ご自分で着られたのです!お納めした初日に、3回のお稽古で。着物は難しい、めんどう、大変・・・とおっしゃる方も多いのですが、ほんの7、80年前までは普段着。実はそんなに大変ではありません。舞妓さんに来た子だって最初は産着以降着物を着たことのない子もいますが、お稽古に通う中で4,5回も袖を通せば次から一人で着てお稽古にいっています。もちろん、うまく着られていない時もあってそんなときは、お姉さん方にお稽古場で手直しはしてもらうのですが・・・昨今、着物をあまりに特別に扱いすぎて着物離れにつながっているような気がします。
今回も「意外と簡単・・・もっと早く挑戦すればよかったよ」とおっしゃっておられました。
今回のお着物は、初めてということで扱いやすい単衣の出羽木綿に半襦袢、博多帯でのご用意でした。木綿なら、もし汚してもそこまで気も遣いませんし、クリーニングはもちろん家で洗うことも可能。半襦袢も家で洗っていただけます。まずは波平生活(普段を着物で過ごす)で着物に慣れれば、どこに気を付けたらいいのかわかってきます。そうなればしめたもの。絹の着物へステップアップ。観劇や花街へ、お着物の装いでお出かけです。着物といえば女性のイメージですが、着物の力はすごくって、男性やお子さんも、着物を着るとやっぱり女性同様嬉しいもののようなのです。賛否両論ではありますが、京都で流行るレンタル着物それを表しているのでは・・・と思います。だってあんなに流行るのは、着物を着てみたい、って思う人があれだけいるってことですもの。カップルで嬉しそうにお着物で歩く姿は、とても微笑ましい。・・・噺家さんのような男性用着物だけはちょっと・・・微妙ですが(笑)。
梅雨の時期になると手放せない蛇の目傘。
これは本当は蛇の目ではないのですが、今はほとんど通称で和傘は蛇の目と呼ばれてしまっています。雨の京都の街並みになんともいえない風情をそえる和傘ですが、とても高価なものです。舞妓さんのおこづかいじゃとても買えません!!うっかりものの私は舞妓さんのとき、夜のお座敷が何件かあって途中で雨が上がってしまうと忘れてしまう。翌朝青くなって、探し回りました。そして、このように気をつけないと破れてしまう。和傘は柄を下にして立てて置くのですが、伺った先のお店が扱いを知らないと、普通の洋傘と同じように置かれてしまったり、また、傘立てにいれられて、その上に洋傘が突き刺されてしまい、このような惨状になることも多々でした。今回のこの傘は幸いにも、金沢の傘で職人さんが直してくださることになりましたが、いまは張り替えることも難しいのが現状です。もっと和傘が流行ればいいのになぁといつも思います。着物にはやっぱり和傘が絵になります。お着物がお好きな方にはぜひ、おすすめしたいです!雨の日が楽しくなりますよ!
昨日まで京都では五花街が開催されていました。残念ながら今年はよせていただくことはできませんでしたが、妹たちが秋の色種と舞妓さんで出演させていただいておりました。五花街という舞台は、京都の五つの花街の合同の舞踊会で、それぞれの町からひと演目ずつと、最後のフィナーレは五花街の舞妓さんが全部で20人、祇園小唄(違う演目の年もあります)を舞うという、豪華絢爛の会です。町の代表として出させていただくので、緊張もひとしお。私の最後の五花街は2013年でした。お名前をいただいた新名取で出させていただく初舞台。京都会館が工事中ということで南座での開催でした。歌舞伎大好きの私にとって南座は特別な劇場です。その花道から出させていただいたときのうれしさは今も忘れません!!あんまり嬉しくて下駄をけたたましく鳴らして登場。もちろん注意されました(苦笑)
菖蒲浴衣という演目で、いつもの井上流の雰囲気とは少し違う、粋な曲で、粋なお衣装。私はとっても緊張するたちなので舞台を楽しめたことは数えるほどしかないのですが、この時の五花街はそのうちの、貴重な一回です(笑)。そして大きいと思っていた南座の舞台ですが、立ってみると歌舞練場の舞台のほうがはるかに広い。改めて、祇園の歌舞練場の大きさと、その舞台に立たせていただいている有り難さを感じたのでした。
水無月の簪のお話を、今日はしましょう。
6月の花といえば皆さんはなにを思いうかべますか?彼女がさしているのは紫陽花ですね。
私がこの月で好きだった簪は柳の簪。5月末に店出しをした私に、見習いさんの一力さんのお母さんがお祝いに贈ってくださったのが柳の簪でした。
出立てさんの舞妓さんのときはあごまで届く長さの柳に赤い撫子がとんでいました。緑に赤がとても鮮やかで今でも鮮明に覚えています。お姉さんになっていくと柳の長さも短くなり、撫子もピンクに。こんなところでも少しずつお姉さんになっていきます。
私は一度もさせずじまいでしたが、傘の簪にも憧れていました。薄い絹で張られた和傘の上に、柳が下がる、梅雨に風情たっぷりの涼やかな簪、きっとお姉さんか本人さんの特注品だったのではないでしょうか?うらやましかったなぁ・・・・
東京にきてから、縁あって和裁教室に通っています。着物を扱うにあたって、名称や仕組みを知っておくために、ゆっくりとしたペースで始めた和裁。実は舞妓さんのときから興味があったのですが、ほかのお稽古もありお稽古に通うことは叶いませんでした。でも、その昔、芸舞妓さんの女紅場学園では創設時は和裁が授業にはいっていたのだそうです。いまは、すぐに悉皆やさんや呉服屋さんに預けてしまいますが、着物がもっと身近にあった時代、自分たちで手入れをして大切にきていたんでしょうね。
当たり前ですが、縫い方ひとつひとつに、意味と知恵が込められていて、先生のお話を伺いながら針を進めるのはとっても楽しい時間。
1枚の反物を着物、仕立て直してまた着て、子供用にまた縫い直して何度も生まれ変わり、小物やお座布団になったり最後まで使うことができる。物のない時代だからといえばそれまでですが、本当の豊かさってのは、どこにあるんだろなぁと考えさせられます。
この針刺しも、先生いにいただいた端切れから。私のお稽古初日の記念すべき作品です(笑)!!ちなみの、このヘラもお三味線の撥の生まれ変わりなのだそうです!
お客様のご注文のお品が出来上がってまいりました。還暦の記念に、なにか新しいことに挑戦したいとおっしゃられてお着物デビューをなさいました。何度か打ち合わせの末、ダンディズムを追及なさりまずは一人でしっかりお着物を着られるように、家で波平生活から始めることになりました。
着物はなにより慣れるのが一番。難しいことを考えずとにかく生活の中に取り入れるとのこと。
ご自分で納得する着こなしが出来てはじめて、外出するそうです。
60歳のダンディズム!かっこいいですね!!
今月から紬の単衣に馬蹄の博多織の帯でデビューです。
今回、お客様とお話しさせていただいて、男の方のお洒落に対する情熱は、もしかしたら女性の上をいくのかもしれないと思いました。
歳を重ねるなかで、オシャレも変わっていきます。
着物を選んでくださったこと、そして、お気に召していただけたこと、とっても嬉しい一日でした。
ただいま、秋に向けてお誂えの還暦にちなんだ厄落としの羽裏を染めています!
揃いの浴衣のお誂えのご注文をいただいて、お客様とご相談しながら準備をしています。
今回は男物と、大人の女性、若手の女性用の三色を同じ図案で染めることに。まず今回は色選びからです。
例えば男物。イメージはグレー系のお色目・・・青鈍(あおにび)、鉄御納戸(てつおなんど)、熨斗目花色(のしめはないろ)、素敵で難しいお名前のついた候補の数々から檳榔子色(びんろうじいろ)を目指すことになりました(正直今の日本人でこの色の名前ですぐに色が頭に浮かぶ人は数えられる程度しかいないと思われます・苦笑)。色見本と、実際のお着物にに仕立てた時の色は思いと違ってくることも多々・・・と職人さんのお話を伺いながら慎重にすすめています。夏までに仕上げないといけないので悠長にはしていられないのですが。染屋さんが箱から出してくれる端切れの数々。
藍色も水色の、微妙に違う数多の色に感動と難しさで思わずため息が・・・。着物を通じで日本の歴史と文化の奥の深さに毎度、心の底から感動します。そして職人さんの熱い思いにも。次回は図案のお話ができるように、がんばります。
昨日、用事で銀座へでかけましたら、御神輿に遭遇いたしました。
ちょっと前から、ちらほらお提灯は見かけていて、いつのあるかしら・・・とぼんやり思っていただけに偶然、立ち合えてちょっと嬉しくなっていました。せっかくなので帰り道は中央通りをそぞろ歩いて・・・ビルの谷間にけっこうな数のお神輿や提灯がまつられていて、お当番の方も半被姿で集まっておいででした。時代小説が好きで、たびたび舞台となる日本橋界隈。今では思いを馳せるすきもないほど、立派なデパートやビルばかりですが、今回お祭りを見てちょっとホッとしました。
現代になり、お祭りを守り続けるのは大変なことだと思いますが、ちゃんと形を変え、工夫されながら続けられている。
道の角々に、スペースをどうにか作りお提灯を飾る、その努力がたまらなくいとおしいと思います。
ネオン輝く背景とお神輿、これはこれで有りですよね。
女紅場学園という舞妓さん・芸妓さんの学校があるのをみなさん、ご存知でしょうか?
祇園甲部歌舞練場の裏にあり、都をどり中は楽屋としてつかわれるのですが、普段は私たちの学校です。
必須科目から選択科目まで、いろいろなことを教えてくださいますが、もちろん和物ばかりなので、お着物で通います。
・・・ということは、上履きも、靴ではなく草履なのです。仕込みんの時から、赤い鼻緒のお姉さんのおさがりを使わさせていただいていたのですが、ある時、こんな素敵なプレゼントをいただきました。
亀治郎さん(今の四代目猿之助さん)の大ファンだったことを知る友人が別誂えの鼻緒で、上草履を贈ってくださったのです。赤い鼻緒が並ぶ草履の中で、どんなに焦っていっても絶対に間違わないお草履。とっても嬉しかった。それ以来10年以上お稽古場で愛用した(結構酷使された様子がうかがえる痛みようですよね・苦笑)一足は今でも手放せず、手元のあります。そしてそれ以来、店出しした妹筋の舞妓さんには上草履を贈ることにしていました。お稽古が少しでも楽しくなるように。たかが上履きと思われるかもしれませんが、毎日通う中で、他と違う一足はとても大事なお稽古の友なのでした。
店出しの日、ご挨拶まわりが終わると、引いてくれはったお姉さんやお母さんとお盃をかわします。
義理の姉妹となる大切な儀式。男衆さんが取り仕切ってくださり、西村さんでは引いてくれたお姉さんだけではなく、全員そろってのお盃です。たくさんのお姉さんがいる屋形なのでお盃も10杯以上いただくことになるのです。ほんの1滴ほどですが、緊張と疲れで私の時には、ぽわぁ~となってしまいました(笑)。妹を引くときにはお姉さんからひとこと妹に言わねばなりません。これがなかなか難しい。なにが、今一番彼女に必要な言葉なのか・・・まだまだ若輩のお姉さんだったので最初の妹の時には悩みました。
結局私は縁あって4人妹もたせてもらいましたが、ひとつ決めたことは「素直」でした。いろんなことを教えてくださるお姉さんやお母さんがいて、伝わり方でなかなか上手く受け取れないこともあります。それはとってももったいない。でもどうしても毎日の中で心が濁ってしまう時も多くあり素直さを見失ってしまう。なので、心がけて素直でいること。素直にお姉さん方の言葉に耳を傾けること。心がけていないと本当にこれ、結構難しいんです・・・。
店出しの3日間、割れしのぶという髪に結い上げられた、出立てさんの舞妓さんの髪型です。
ただ、かんざしはこの3日間はやはり特別。
櫛から、前差し、花かんざしに至るまですべて鼈甲でできているものをつけさせていただきます。鼈甲でできた花かんざしの精巧さに子供心に驚いたものです。とても繊細で壊れやすいものなので、暖簾にひっかけただけでも破損してしまうそうで、出発前には重々気を付けるように言われました。
後にある銀の羽のようなものは「たけなが」と言われてこれも3日間のみに飾りです。この羽があるだけで、日本髪がさらに華やかになりますよね。
この期間が、自分でかんざしを挿すことも、とることもできません。毎日髪結いさんにいって、きれいに整えていただくのです。そしてお座敷の前には姉さんやお母さんが最終チェック。これも、ちょっと嬉しい時間にひとつでした。
お店出しから6日間、屋形の玄関をにぎやかに彩る
目録。圧巻の迫力です。
芸妓の衿替えの時にも同じように玄関が華やかに飾られます。見ているだけで心の浮き立つ目録。
このポスターのようなものは目録とよばれいていて、たとえて言えば、ロビーのお花にのようなものに相当するように思われます。お店出しの前日に、衣装を着せ終わった男衆さんが屋形にきて貼ってくれます。けっこうな大きさですし、貼るときの序列もあるので、男衆さんにしかできません!
見習いさんのお茶屋さんをはじめ、姉妹筋のお姉さん方、お出入りの呉服屋さん、役者さん、ご贔屓のお客様。まだデビュー前なのでご贔屓は、ひいてくださったお姉さんのご贔屓さんが贈ってくれるのです。なかなか粋ですよね。
手書きで書かれた絵にはそれぞれ寿ぎの意味が込められています。なかなかポップな色使い(笑)。
普通はこれを見ることはかないませんが、実は見れるところがあるのです!!祇園の佐川急便さんには、オープン時に贈られた目録がそのまま貼られています。荷物を出すついでに、ちょっと立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
今日は用事で銀座へ。こちらへ引っ越すまでは東京はビルばかりのイメージでしたが、そんなことはなくて・・・町の随所に手入れされたお花が楽しませてくれます。今日はとってもきれいに咲いている紫陽花をみつけました。
今はもうなくなりましたが、祇園の女紅場学園への坂道のところにも大きめの植木鉢がいくつかあって、いつもそこには時候の花が咲いていました。お稽古に急ぐ道の中で、季節を感じる一瞬。
いったい、どなたがお世話していたのか・・・ずっと気になりながらも、聞かずじまい。道は舗装され、いつの間にか植木鉢もなくなっていました。今日紫陽花を見てふと、そのこと思い出したのでした。
今日は、西村さんの新しい舞妓さんのデビューの日でした。今日誕生した西村さんの末っ子は朋子ちゃん。
京都ではデビューのことを、お店出しといいます。
仕込みさんを約一年経験して、お師匠さんのお許しをいただいて、ひと月の見習いさん(わかりやすいくと研修生)を経た人のみが、この晴れの日を迎えられます。半だらりの帯から、だらりの帯へ。黒の紋付の正装のお衣装は、優に10キロを超える重さ。肩に衣装をのせただけで、体がよろけてしまいます。早朝に髪結いさんにいって、おしろいやさんに顔をしてもらい、衣装をつけて、男衆さんの伴われお茶屋さんにご挨拶へ。私の時は、まだお茶屋さんが90件近くあってなかなか長い道のり。衣装は重たいし、さらでおろしてもらったおこぼの鼻緒は痛いし・・・でも、それが吹き飛ぶほどうれしい一日です。
今の1年は早いですが、この年の、舞妓さんにデビューするまでの1年はとっても長かったですから。
3日間ほどはこの黒紋付きでまわるのですが、それまでは見習いさんのお座敷しか知らないのでどこのお茶屋さんにいっても、右も左もわかりません。でもみんな通ってきた道なので、この日はお姉さん方も寛容に見守ってくださいます(笑)。正直この3日間はほぼお座敷の記憶がないのです。もう座っているだけで精一杯。ふわふわ嬉しかった感情だけが今もまだ残っています。
20年前の5月30日。
私が店出しをした日です。神戸の震災の翌年で世の中はちょっとひっそりしていました。今日から自分を振り返る意味も含めて、このブログでたまに思い出を書いてみようかと思います。
花見小路をこぼ、こぼっと音をさせて歩く舞妓さん。だらりの帯との絶妙なバランスがなんとも可愛いですよね。舞妓さんに出てすぐは中に鈴が入っていて、かわいらしい音がするのですが不思議と髷のかわるころには知らない間に鈴が取れてなくなって。片方ずつ、いつの間にやら音がしなくなるのを寂しく思ったことを思い出します。鼻緒も赤からピンク、薄紫や水色とどんどん落ち着いた色目になっていきます。小さい舞妓さんのときはお茶屋さんの玄関に薄紫や水色の鼻緒があるともう緊張して・・・どのお姉さんが来てはるのやろ・・・とドキドキ。たった、3つ、4つしか変わらない歳ですが、雲の上のような存在でした。
歩きにくそうに思うおこぼですが、諸説のうちのひとつに舞妓さんの帯が重たいために、わざと前のめりになる履物のしたと聞いたことがあります。なるほど、衣装をつけて歩くと歩きやすいのです。これも先人の知恵なのでしょうね。
同期の舞妓さんで夜の花見小路をどっちが早いか、次の電信棒までかけっこして怒られたのもいい思い出です。
先日、京都へ行っておりました。
屋形のお母さんの白寿のお祝いで、連絡のつくOBのお姉さん方と現役の芸妓さん、舞妓さんとお祝いの宴。およそ半世紀にわたり舞妓さんを育ててくれたお母さんとお姉さん。99歳から17歳までがお母さんと姉さんの関係という不思議なお席でした。
懐かしいお話もできたりして、あったかくてとてもステキな時間。
15歳までの実家の家族と、15歳からの京都の家族。ふたつもてつ稀有な経験の中で教えていただくとことも二倍・・・いやそれ以上でした。
毎年、各地いろいろなところから、個性的な15歳を受け入れて育ててくれる懐の深さ。
昔、舞妓さんのときにお客様に、「どうして西村さんの子はみんないい子なのかな。なんでだと思う?」とおっしゃっていただいたことがあります。私はなんとも、間抜けで「ごはんがおいしいから」と答えて爆笑されました(笑)。でもその時お茶屋さんのお母さんが感心してくださってこうおっしゃったのです。
「そうかぁ。それでようわかったわ。ご飯を作るというのは大変なことなんですわ。ここの屋形はそこをちゃんとしてあげはる。本当の愛情がなかったら、なかなか出来ることやないと思います。」
当時すでに80歳を超えていたお母さんですが、10代の口に合うように、ロールキャベツやハンバーグをお肉1キロ近くも使って作ってくださっていました。まさに愛のつまった母の味。実家はお商売で忙しかったので、私は京都に来て初めて母の味を知ったのかもしれません。まだまだ思い出話があるのですが、それはまたの機会に。不老長寿のお薬があるのなら、お母さんと姉さんに一番に届けにいきます。
昭和の初めに九州・大分で創業された長吉呉服店。
大叔父がはじめた呉服のお商売は、大叔父の早世で祖母が継ぐことになったそうです。その後時代は、着物から洋服中心の時代へ。長吉呉服店もその後、衣料のナガヨシへ名前を変えていきます。今は兄が4代目で衣料と介護用品を中心としたお店になりました。それでも、ずっと着物が好きだった祖母と母が、呉服部門を縮小しながらも残しておいてくれました。前回の里帰りで、実家の古いアルバムで写真を探したのですが・・・出てくるのは、イベントものの記念写真か、家で宴会しているお写真ばかり(苦笑)。真面目に店頭や店内で撮ったお写真がみつかりません!!
イベント好きも、芝居好きも、脈々と流れるDNAのものだとよくわかります(笑)。
大分の片田舎で、いろんなものを呼んできてたんですねぇ・・・。
第二次世界大戦も、バブル崩壊も乗り越えてお店を守り、育てていたご先祖さまたち。たくさんの白黒の写真にとても励まされます。きっとお客様に喜んでいただけることを、ああでもない、こうでもないと、模索しつづけいていたのだと思います。今の世の中で、呉服を続けるのは難しいと心配の声もたくさん頂きましたが、私はどうしても挑戦してみたくて、今の情報ツールであるネットで始めることにしました。
我が家にはお商売に関する家訓が多数あり、それを標に何十年の時を経て、長吉呉服店の独立再建に挑みます。
どうぞ、皆さま、お力添えのほどをよろしくお願いいたします。
歌舞伎座の團菊祭へ、着物女子会で行ってまいりました。三人の共通点は、祇園町の元・芸妓さん。10代から知っている気心の知れた仲間で、菊之助さんのご長男の初お目見得を拝見に。
私たちが10代だったとき、菊之助さんお兄さんも10代だったわけで・・・年月をちょっぴり感じる舞台でした。
まだ二歳の和史くん、2000人の観客を前に照れくさそうで、とっても可愛らしい。三本締めも、バイバイも上手にできました。
こうやって、勝手に親戚のおばさん気分のファンが増えていくのでしょうねぇ・・・役者さんって大変ですね(笑)。お友達の二人は菊之助さんにちなんで菊の模様のはいった附下で。私は時候で色無地に菖蒲の帯でよせていただきました。通りがかりの外人さんにも喜んでもらえて、着物って得ですねぇ。
浅草に用事があってお出かけしてきました。
駅を降りると笛の音がにぎやかに。
あれ?なんだろう・・・・?
なんと今日は、かの有名な三社祭りの初日だったようです。芸者さんや半被姿のいなせなおじさん方をお見かけして、なんだか得した気分になりました。
雷門の近くを通ると今度は涼やかな音色。
もう風鈴が売られる時候になったのですねぇ。
私が子供のころにしてみたかったお仕事のひとつが風鈴売り。昔、実家で幻のように現れた風鈴売りの衝撃をおぼえました。涼を売り歩く商人に憧れたものです。
三社祭は今日から3日間だそうです。
明日も出かけてみたくなりました。
すっかり初夏の時候ですね。
今日は東京は五月晴。
こんな日は衣替え日和ですねぇ。春物のをひっぱりだして、悉皆行きとタンス行きの選別を。
タンス行きはベンジンでちょこっとお手入れ。
そしてなにより大変なのはしわ伸ばし・・・
私はひざ裏にいっぱい汗をかくので、すぐ皺になっていまいます。まぁでも来シーズンに気持ちよく着るためには致し方ありませんねぇ。
汚れを見つけたら、そく悉皆です。祇園時代からお世話になっている悉皆屋さんへ。
昔から、焦って変な処理をしないように口を酸っぱくして言われていたのでちょっと高くついても、大事なお気に入りの衣装は無理をしないこと!これが長く楽しむためのポイントなのかもしれません。
わたくしごとですが、今日は誕生日でした。
何歳になったかはともかく(数えてたらおそろしいこといなっていました。母もおそろしいと言っていました・苦笑)、感慨深い一日です。去年のこの日はどこで過ごしていたか、その前の年は・・・毎年、なんの疑いもなく同じように、同じ人たちに囲まれて歳を重ねていくものだと思っていました。それがまさか私が別の道を歩むことになっているなんて。これは絶対に誰一人として想定していなかったことです。私自身も。
舞妓さんのときのように、ただただお祝いをしてもらえて浮かれている場合ではなくなってきて・・・不安ばかりが募るおひとりさまです(笑)。でも今日、電話、メールやライン、お花のお届け物、インスタなどで離れていてもお祝いをしてもらう中で、去年までと違う喜びがありました。どこかの歌にあった、一人だけどひとりじゃない、その感覚がちょっとわかった気がします。歳を重ねるってこういうことなのかな・・・嬉しいことに、気が付ける、そんな歳をの取り方をしたいなぁと思います。嬉しいことを増やすのは、周りじゃなくて自分の頭の中。そんなことに気がついたら世の中楽しいことだらけ!ということを少し学習した2016年のお誕生日でした。
来年の5月7日は、どんな日になっているのでしょう。そんなことを考えるとグーニーズ(←古い?!)の映画並みにドキドキです!!
今日は国立劇場に妹(祇園町での)の晴れ舞台を応援にいってきました。
なんと朝10時半開演で40曲の邦楽が演奏されます。終わるのは夜9時ごろでしょうか・・・
お弟子さんがそれぞれ晴れ着をお召しになって日頃のお稽古の成果を披露します。私はとっても緊張するたちなので、妹の幕になっただけで自分が弾くわけでもないもに、手に汗びっしょり。妹の舞台でそんな感じなので、自分の時は棹も、バチも水からあがったようになっていました。
彼女は堂々と、とても立派に道成寺を弾いていて、ちょっと誇らしい気持ちになりました。祇園のご縁での姉妹で血縁があるわけではないのに、やっぱり気になるし、心配だし、誇らしい。
私は実家では末っ子だったので、そんな気持ちを祇園で妹をもつまで知りませんでした。不思議な感じです。頼りないお姉ちゃんで申し訳なかったですが。
指揮者がいないのに、ちゃんと演奏できるのは何故なのか?確かにこれも不思議ですよね。「間」というものの面白さと怖さを感じます。たくさんの長唄を聞いて、あらためて邦楽の面白さを感じた一日でした。
これは我が家の桃太郎どの御一党です。
年に1度の出番に、毎年はりきって箱から現れます。
このお人形が来てから5月5日が楽しみなりました。
毎年、配置を変えては遊ぶのです。本来なら、桃太郎は鬼の上にのっているのですが、たまには犬にお手柄をゆずってもよいでしょう!犬も嬉しそうですし・・・でも家来の分際なので、活躍はぼかし気味に(笑)。
こんなことで、けっこう楽しめるものですねぇ。
来年には勘九郎さんのところのご子息の初舞台、二人桃太郎が歌舞伎座で上演されるとのことなので、桃太郎の帯を今から考案しています!
さて、今日は近所のお風呂屋さんでは菖蒲湯らしいので、邪気を払いに出かけましょうか。
連休に友人とお着物おでかけ。
行先は大江戸博物館です。両国の駅を降りて5分。
壮観な建物の中には江戸の世界が広がります。細部にまでこだわったこの博物館、江戸への愛と賛美がつまっていました。
ジオラマの数々は、双眼鏡をもっていけば何時間でも楽しめること間違いなし。ドラえもんがいてくれたなら、スモールライトで小さくしてもらって、この世界に飛び込みたい!!とも思わせてくれます。吉原も、芝居小屋もありまして、この日は大道芸を見せてくれました。ファーストフード発祥ともいえる、二八そばやお寿司屋さんの屋台も楽しい!
原寸大のセットではこんなお遊びもできちゃいます。
裏長屋では、洗い張り中の着物も干してあったり、4畳半での家族三人の暮らしぶりがのぞけたり。江戸庶民はは今でいう断捨離生活だったのですねぇ。物がないので、最後まで大切に使う。ごみ焼却施設の社会見学も大事ですが、江戸のエコな暮らしを学ぶのも一興。
シンプルな暮らしの中で、ちょっと遊び心のあるデザインを取り入れて生活を楽しむ。とても豊かな国民だったのですね。
新緑の美しい季節。五月に入りましたね。
一年の中で一番好きな季節です。どこに行くのも楽しくなります。
京都にいるときは5月の連休はみやこメッセの古書市にでかけていました。広い会場にたくさんのお店がそれぞれの自信の商品を並べていて、時間がいくらあっても足りません。この市を知ったのは、姉のご主人が古本屋さんだったから。
あがたの森書房というお店は、いまは美術書に力を入れているらしく京都のいくといつも美しい木版の本を見せてくれます。
斬新で美しく、丁寧な本の数々・・・よくぞ残っていてくれた!!と思うのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、生で見てもらえるときっとわかってもらえるはず!
今年は、東京にいるので古書市には行けなくて残念。5日までですので、京都にお住まいで連休なにをしようかなぁ~と思っている方はぜひ、足を運んでみてください!
50万冊の古書、圧巻ですよ。
4月の博多座、揺れがおさまらない中、実家のお店主催のバスでの観劇。震災後は見に行く側も、演じる側も苦悩の公演だったと思います。
賛否両論悩んだ末、出演者の方々が、あのハードな公演の休憩時間に募金活動をつづけてくださっていること、また震災後の口上のお話をきいて、決行いたしました。
結果としては、舞台を見にいかれたお客様が、とにかく喜んでくれました。震災後、幾日もずっと地震のことしか考えらず眠れなかった日々を、忘れることができた一瞬だったそうです。
演じる側と見る側が、お互いに「ありがとう」と手を握る姿は忘れられません。
歌舞伎の枠も、漫画の枠も、老いも若きもすべてを超えた究極のエンターティメントの力。
ONE PIECEという漫画を読んだことのなかった私ですが、メッセージのたくさんつまった作品なのですね。泣いて、笑って、驚いて。北川悠仁さんの楽曲「TETOTE」にも、元気をもらいました。。
再来年には再演が決まったそうです。まさにTo be continued!
みんなに幸せと元気を運んでくれる舞台の再演が今から楽しみです。
この度の、熊本・大分地方の地震、心よりお見舞い申し上げます。
当初このブログとお店は、4月半ばに始める予定でした。ですが、その日私の故郷である九州が未曾有の震災に見舞われました。今も、大好きだった熊本・大分で苦しい避難生活を続けている方がたくさんいらっしゃいます。
そして、まだ揺れ続けています。
何かしたいけれど、何もできない現状で悩みましたが、こんな時だからこそ、やっぱりお仕事をはじめようと思いなおしました。もし、被災地に私が何かできるとすれば、今すぐではないでしょう。15歳まで私を育んでくれた、そして今でも癒してくれる故郷の力に早くなれるようになるためにも、開店準備を始めることにしました。上の写真は、4年ほど前に熊本で撮ったものです。雄大で、美しい、大好きなところ。少し時間はかかるかもしれませんが、強い心で、支援の形を模索したいと思います。
九州のこと、ブログのこと、呉服店のこと、どうぞよろしくお願いいたします。